最近、叱られたことがない、という若い世代のスタッフに遭遇することがあり、驚いている。昨今の家庭環境の激変と伝統的な価値観の崩壊に伴い、家庭内での親による教育がおろそかになってしまったのだろうか。親から叱られたことがない、という若者が増えてきているのだ。無論、学校の先生からも叱られたことがないようだ。
その要因として、いくつもの社会現象が考えられる。まず、核家族化や離婚などによる片親家庭の増加により、家庭内に多様な考えが存在せず、また共働きなどにより忙しさのあまり心のゆとりがない教育環境下で、子供にきちんと手をかけられなくなり、ありきたりの家庭教育が手つかずになっていることが想定される。つまり親の教育を受ける機会に恵まれなかった子供たちが増えているように思える。また、片親家庭においては、子供に手をかけることが難しいだけでなく、ある意味で甘やかし、放任してしまう傾向が見え隠れする。勉強だけしてくれればそれでいいと思うのか、炊事、洗濯から何でもしてあげて、家業や家の掃除さえも手伝わすことがないため、子供を叱る機会がないのだ。
おまけに学校では、生徒が叱られるどころか、むしろ逆に先生が生徒から嫌がらせを受け、いじめられ、時には先生が自殺においこまれてしまう事例が後を絶たないと聞く。これはハラスメントの一種であり、「逆パワハラ」とでも言うべき現象なのか。極端な事例かもしれないが、現実問題として学校教育の環境下でも生徒を叱ることが敬遠されつつあることに変わりなく、生徒が野放しになる傾向を危惧せざるをえない。
親から放置されるか、愛されて甘やかされるか、いずれにしても、昨今の家庭環境においては、きちんとした理由があって叱るべき時、愛をもって叱り、子供を教育することを期待することは難しいのだろう。同様に、全国各地で学級崩壊が囁かれる最中、学校教育の現場においても、先生が生徒を叱るという行動自体が、だんだんとタブー視されつつあるように思える。もはや、教育現場は危機的な状況に陥っていると言わざるをえない。
その尾を引きずって若い世代の人たちが社会人になるのだから、入社後に社内において叱られた場合、その言動に対する反応は想像に難しくない。それはおよそ3つのパターンに分かれる。まず、今まで叱られたことがないことから恐怖感をいだき、泣いたり落ち込んだりしてしまうパターンだ。この事例がここ最近、増えてきている。次のパターンは逆で、叱られた体験がなかっただけに、叱られることによって目覚め、なにか新しいことを学び、ちょっとした感謝の気持ちが芽生えてくることだ。このパターンは流石に少ないが、しかし現実に叱られたことを感謝する若手社員は存在する。それによって自分が成長できたと言うのだ。最後のパターンは、無反応、無関心派だ。まあ、叱られちゃったか、しょうもないな、というのりで、さりげなく対応する若者も頻繁に目につく。反省の気運があまり見られないのが残念だ。
ほんとにつまらない世の中になったものだ。親が子供に教育をしない、学校も教育できない、その環境下で育った若者が大勢、社会人になるのだから、会社側はたまったものではない。その教育責任をどうやって会社が負うことができるのだろうか。もはや叱る元気がある上司さえ、ほとんどいなくなってしまったのだ。時代の流れは早い。それについていく、ということは希薄な人間関係をものともせず、DX化する社会に対応すべく、義理や人情、人とのつながりよりも、メタバース、バーチャルな世界における異次元でのつながりをこれからは大事にしてゆくことになるのだろうか。こんなことを考えていては、仕事にならない、いいかげにしろ、と今、自分を叱りつけたものの、叱られることの有難さがわかる人材育成の難しさを思う昨今である。
