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3月11日の震災慰霊祭を思う 女川と共に歩むこれからの自分のあり方を振り返る

2022-03-12

テーマ:サウンドハウス創業者のコラム「Rickの本寝言」

Rickの本寝言 サウンドハウス創業者が本音をついつい寝言でつぶやく!

ある時、ある街に佇んでいた。なぜか、胸が熱くなってくる。「あれ、なんだろうか?」ふと、不思議な気持ちになった。しばらく歩きながら街中を見渡していると、素晴らしい天候に恵まれているにも関わらず、何か熱いものがこみ上げてくる。この場所には、そういう力でもあるのだろうか。大勢の人々の思いが天空を通じて、自分の心に響いてくるような、そんな気持ちになる。

そんな心持ちで仕事を続けながら、役場の人たちと会合をするために女川町庁舎に向かった。玄関を入ると広々としたロビーでは、数名の方たちが床の上に何十枚ものバナーを広げながら、それらを1本のロープで吊る準備をしていた。「ああ、何かイベントでもあるのだろうか。。。」、と興味本位にバナーに書かれている文字やロゴ、デザインに目を止めてみた。するとそこに書かれていた文字は、すべて女川への熱い応援メッセージだった。東京の昭和女子大学の学生らが、バナーにそれぞれの思いを綴り、女川町まで届けてきたのだ。

衝撃が脳裏を駆け巡る!「なんと。。。明日は3月11日ではないか。。。」。無論、その日を忘れたわけではない。ただ、日々の多忙なスケジュールの最中、やること、考えることに追われていると、時折自らの時空を見失い、今、自分がどこにいるのか、そして今がいつなのか、ということさえ、頭の中からすっぽり抜け落ちてしまうことがある。夢現のような状態で仕事に没頭していることが多い昨今、3月11日は町民にとっても、日本全国民にとっても大切な震災慰霊祭の日であることを、その前日に自分は失念していた。

そんな情けない自分ではあるが、それでも女川は大好きだ。東北が大好きだ。そして日本が大好きだ。だから東日本大震災が起きた日、自分はアメリカにいたが、その3日後には成田に戻り、成田警察から緊急車両の許可証をもらって八戸から田老、宮古へとバイク2台と燃料、水、その他、救援物資を満載した4トントラックをもって被災地を巡り歩いた。その時の衝撃は、今でも忘れない。。忘れることはできないのだ。だから自分はこれからも、不思議な出会いがあった女川の地にて、自分のできることは何でもやっていく。それが自分の喜びであり、また、生きていく力となっていくことを感じる。

Rick - 中島尚彦 -

1957年東京生まれ。10代で米国にテニス留学。南カリフォルニア大学、ウォートン・ビジネススクールを経て、フラー神学大学院卒。GIT(Guitar Institute of Technology)第2期生のギタリスト。80年代にキリスト教会の牧師を務め、音楽ミニストリーに従事しながら、アメリカで不動産会社を起業。1989年、早稲田でライブハウス「ペトラクラブ」をオープン。1993年千葉県成田市でサウンドハウスを創業。2001年、月間地域新聞日本シティージャーナルを発刊。主幹ライターして「日本とユダヤのハーモニー」の連載をスタートし、2010年よりwww.historyjp.com を通じて新しい切り口から古代史の流れをわかりやすく解説。2023年、一般財団法人サウンドハウスこどものみらい財団を創設し、こどもたちの支援にも従事。趣味はアイスホッケー、ピアノ演奏、トレイルラン、登山など。四国八十八ヶ所遍路を22日で巡る。グループ企業の経営指導に携わるかたわら、古代史の研究に取り組み、日本のルーツ解明と精神的復興をライフワークとする。

 
 
 
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