ある時、ある街に佇んでいた。なぜか、胸が熱くなってくる。「あれ、なんだろうか?」ふと、不思議な気持ちになった。しばらく歩きながら街中を見渡していると、素晴らしい天候に恵まれているにも関わらず、何か熱いものがこみ上げてくる。この場所には、そういう力でもあるのだろうか。大勢の人々の思いが天空を通じて、自分の心に響いてくるような、そんな気持ちになる。
そんな心持ちで仕事を続けながら、役場の人たちと会合をするために女川町庁舎に向かった。玄関を入ると広々としたロビーでは、数名の方たちが床の上に何十枚ものバナーを広げながら、それらを1本のロープで吊る準備をしていた。「ああ、何かイベントでもあるのだろうか。。。」、と興味本位にバナーに書かれている文字やロゴ、デザインに目を止めてみた。するとそこに書かれていた文字は、すべて女川への熱い応援メッセージだった。東京の昭和女子大学の学生らが、バナーにそれぞれの思いを綴り、女川町まで届けてきたのだ。
衝撃が脳裏を駆け巡る!「なんと。。。明日は3月11日ではないか。。。」。無論、その日を忘れたわけではない。ただ、日々の多忙なスケジュールの最中、やること、考えることに追われていると、時折自らの時空を見失い、今、自分がどこにいるのか、そして今がいつなのか、ということさえ、頭の中からすっぽり抜け落ちてしまうことがある。夢現のような状態で仕事に没頭していることが多い昨今、3月11日は町民にとっても、日本全国民にとっても大切な震災慰霊祭の日であることを、その前日に自分は失念していた。
そんな情けない自分ではあるが、それでも女川は大好きだ。東北が大好きだ。そして日本が大好きだ。だから東日本大震災が起きた日、自分はアメリカにいたが、その3日後には成田に戻り、成田警察から緊急車両の許可証をもらって八戸から田老、宮古へとバイク2台と燃料、水、その他、救援物資を満載した4トントラックをもって被災地を巡り歩いた。その時の衝撃は、今でも忘れない。。忘れることはできないのだ。だから自分はこれからも、不思議な出会いがあった女川の地にて、自分のできることは何でもやっていく。それが自分の喜びであり、また、生きていく力となっていくことを感じる。
