徳島から羽田に戻る飛行機の中で、携帯をいじっていると、ふと表示されたYAMAPが勝手気ままに表示する「移動距離ランキング」。その内容に自分自身が驚くことになる。
そこには画像付きの1画面で、1〜3位の移動距離が表示されていた。3位は「走り遍路15日目 大洲から45番岩屋寺まで最難関の70㎞」。2位は「走り遍路18日目 伊予三芳から石鎚山経由で瀬戸内を縦断!」 距離は76.8㎞。そして1位は「走り遍路11日目 37番岩本字から38番金剛福寺 足摺岬まで…」85.5㎞。そうだ、昨年、過酷な遍路旅にチャレンジし、1日で80㎞を走り抜け、区切りうち22日で見事、1200kmを完走した思い出がよみ返ってきた。
それだけではない。ありがたいことにYAMAPは「2024年の活動データ」として、自分の登山記録を事細かに報告してくれた。そこでさらに驚愕の数字を目にする。YAMAPが記録した2024年の登山・遍路の総距離は、なんと950㎞。もう少しで1000kmだ。しかも登りつめた標高距離は23㎞。つまり23000メートルを登ったことになる。良くぞそこまで頑張ったと、今更ながら、言葉に尽くせない思いになる。サウンドハウスの会長として、日々、仕事は山積みだ。それに加え、財団の仕事、子会社の仕事が溢れ、なおかつ、自分がライフワークとするhistoryjp.comのサイトに掲載する執筆業務がある。時間が足りないのは明らかだ。よって不可能を可能にするために、登山や遍路では常にノートPCをリュックに入れて、休憩の度に開いてメールチェック、レスをし、タイムリーに指示を流すことに努めるだけでなく、執筆も継続した。これは簡単なことではないが、一度決めたからにはやるしかない。
それにしても、走ったこともない80㎞の距離にチャレンジし、痛みや苦しみをこらえて全うする自分の精神力はどこからくるのだろうか?1200㎞の遍路道を22日間で走り続ける頑張りの源はどこからくるのだろうか。DNA由来だろうか?その理由は、はっきりとはわからない。自分が理解していることは、一度やると決めたことは何が何でも成し遂げるまで頑張る、という強いメンタルも持っているということだけだ。一度マインドをフィックスすると、その目標に向かって突き進む精神力が何故、自分にはあるのかが、むしろ不思議に感じる。
無論、その思いが実らなかったこともない訳ではない。その1例がフルマラソンだ。43歳の時、社員に誘われてホノルルマラソンに参加した後、7年間で20回、フルマラソンを走った。その間、毎月およそ300~400㎞はトレーニングのため走り続けた。つらいことも多々あり、怪我もあり、仕事の合間をぬって走るのは、並大抵のことではない。それでも電車に乗らず、銀座から池袋まで走るようなことは当たり前のように思って頑張った。何としてもサブスリー、3時間を切りたいと願っていたからだ。そして国際大会に参加する度に記録は毎回更新され、ついに3時間、とび台に到達した。
ところがそれから3度、サブスリーに挑戦するも、すべてとび台の記録に終始してしまった。いろいろな理由があった。体調が完璧でないとか、気候がすぐれないとか、睡眠不足とか。が、言い訳無用である。絶対にサブスリーを達成すると心に決めたにも関わらず、それを実現できなかったことに、不甲斐なく思っていた自分がいた。しかも真冬のトレーニングを極寒でしすぎて体を冷やしすぎ、体温の調節がうまくいかなくなる極度の自律神経失調に陥ってしまった。目的を達成できずに体がこけてしまうことは、無念としか言いようがない。
しかし、そんなことでめげてばかりいてはならない。それでも自分の強みである強靭なメンタルは復活した。どんなことにもめげない。すべてをポジティブに考え、チャレンジし続ける。そして必ずゴールが見えてくると信じる。そんな思いがあるからこそ、本当に大変なサウンドハウスの会社経営も、我慢しながら続けられるのだろうと思う。50万人のサウンドハウスファンがいると思えば、どんなつらいことでも、こなしていくことができる。やれば何とかなる!前向きに考えて進めば、結果は出る。そう思えるのが自分の強みなのかもしれない。たとえそれが思い込みであっても、気持ちを強く持つことが、成功の秘訣であることに違いはない。
