ここはどこだ?!あれ、このベッドの感覚はいつもと違う。。。いったい今、何時だ?むむ。。ゆっくりと体を起こして時計を見ると、なんと10時すぎ。うっかり寝過ごしてしまったのだ。いつも自然に早起きすることから目覚ましなどかけずに寝たのだが、よほど疲れていたのか、今年はじめて7時間も寝てしまった。寝坊の結果、10時半のアポはミスってしまうし、徳島KLCのスタッフには、Rickと連絡がとれないと、心配をかけてしまうことに。そうそう、徳島にきていたのだ。
弁解の余地はない。しかしながら前日は危機一髪の奇跡の搭乗を果たしたことから、精神的にも限界にきていたのだろう。土曜ながら東京での仕事は忙しく、ノンストップでメール処理、書き物をしながら、ふと気が付くと羽田発徳島行き18時25分の飛行機に乗るには、ぎりぎりとなる17時近くになっていた。その飛行機に乗らないと、夜21時に徳島の秋田町で行われる30周年記念パーティーの打ち合わせに間に合わない。「やばい」、と慌ててバッグにパソコンを放り込み、JR目白駅まで走る。ここから先は1分単位の勝負だが、とにかく17時01分発の山手線に乗らなければ18時までに空港に着けない。が、タッチの差で乗り遅れてしまった。この4分が運命のいたずらとなる。
4分待って乗った次の電車は17時05分発。「まずい」、と思いつつ駅探アプリを開いて最短の羽田空港到着時間を見ると、何と18時06分だ。羽田発の飛行機は18時25分なので19分しかない。無理だ。。。電車を降りて地下ホームから上階に昇るまでのエスカレーターが長く、都合3本のエスカレーターを使って搭乗ロビーまで行かねばならない。普通の人ならゆうに10分はかかってしまう。また、飛行機の搭乗手続きは出発20分前に打ち切ってしまうのが業界のルール。そもそも19分しかない。気持ちが落ち込む。
そんな時、いつものひらめきが脳を駆け巡る。何事もあきらめるな。飛行機が出発してしまうまで全力で疾走するべきだ!そう思うと、とにかくできることはすべてやることにした。羽田空港のJALは空港第一ビルなので、電車の最後尾車両のドアに立ち、まず、降りたら鞄を抱えてダッシュでエスカレーターを駆け上ることにした。そして途中もひたすら走り、3つのエスカレーターを乗り越えれば、チェックインカウンターまでは3分で到達すると目論む。すると出発まで15分となる。厳しい。苦しい戦いだ。でも諦めない。決して。
ところがもうひとつ重大な問題があった。まだ切符を買っていないのだ。まだ若々しく45歳でふるまっているのだが、この歳になると当日券が半額になる。それを使わない訳にはいかない。よってカウンターでまず発券をして、それから搭乗手続きになるので、締め切り時間を過ぎていて、なおかつ、チケットも持っていないとなると、無謀なチャレンジだ。そんなことは、わかりきっている。それでも諦めない。できることはすべてやる。
そして計画通り、ヨーイドン、で猛ダッシュした。周りの人は、きっと「あの人、やばい。。。」と思って見ていたことだろう。アメリカだったら警察に捕まっている。爆弾を抱えていると思われるからだ。でもここは日本。人目を気にすることなく、ひたすら突進あるのみ。が、鞄を抱えてエスカレーターを走り上がるのはつらく、途中で息が切れる。でもここはマラソンで鍛えた足だ。有無を問わず、走り通して頑張る。そして息を切らせながらJALのカウンターに到着した。18時10分。
そこに人が並んでいたら、それも運命。ミッション・インポッシブルは崩壊する。が、何と幸運なことに誰ひとり並んでいない。しかも真ん中のカウンターには賢そうな女性スタッフが立っていた。「すいません、18時25分発の徳島便、なんとか乗らせてください」そう話かけ、JALスタッフが慌てて端末を見始める。そして自分が語る次の一言で周囲が凍結する。「まだ、チケット買ってないので、それもお願いします。。」すぐにそのスタッフは自分がお願いするままに画面操作をするのだが、その状況を見て心配した上司の女性が寄ってきて、「出発20分前をすぎていますし、まだチケットも購入されてないので、ちょっと無理なのですが。。」と話かけてきた。ああ、やっぱりだめだよな、そうだよな。
でも諦めきれず、「そこを何とかお願いします!」「荷物検査を受けたらゲートまで走っていきますから!」と無理強いするかのごとく、お願いをしてみた。既に飛行機の出発まで10分少々しかない。そこで上司の方がもしかして。。。と、画面をのぞいてみて表情がちょっと変わる。すぐに飛行機のゲートが10番であることに気が付いたのだ。羽田空港は大きい。よってゲートに到達するまで5分程度かかるのは当たりまえ。ところが10番ゲートとは、JALの荷物検査から出た真正面なのだ。それを確認した上司の方はすぐに、「やってみて」とスタッフに声をかけ、発券を進めてくれたのだ。しかもゲートにまで連絡してくれて、ぎりぎりで搭乗する客が一人いることを伝えてくれた。「やった!!」そして若いスタッフはてきぱきと処理を進め、すぐに発券手続きが完了した。
そこで釘を刺された。「こういうことは今回限りでお願いしますね。。。」と優しい声で。そして「ありがとう!!」と挨拶し、早足でカウンターから荷物検査場に足を運ぶ自分がいた。そこからはてきぱきと荷物検査をうけて、ゲートまで再びダッシュ。そして無事にゲートに到達した時刻が18時18分。よくよく振り返ってみると、電車を降りてから発券して飛行機に乗るまで12分という、ギネス記録にも掲載されるべきありえないことを達成していたのだ。無論、これはJALスタッフの優れたスキル、協力があったから実現できたことだ。年間100回近くJAL便に乗る最上級クラスのエリート客ということもあるのだろうが、本当にありがたいことだ。
徳島に到着後、すぐにホテルにチェックインし、それからぱっと夕食を口にして、会合する場所に向かった。体はくったくったになっていたが、まあ、自分しか打ち合わせできる人がいないことから仕方がない。やるっきゃない、という思いで夜半すぎまで打ち合わせをした。そんな成り行きもあり、体にボロが生じてきていたのだろうか。夜の2時以降、記憶がない。。。そしてふと目を覚ましても、自分がどこにいるかさえわからない始末。そして気がつけば、近年はじめての寝坊だ。ま、ぐっすり眠れたことが唯一の慰めとなる。
本来、30周年のパーティーとは社員が企画し、自分は創業者として呼ばれる立場にあるはずだ。ところがこの会社は、そういう空気を読んで、企画運営を手伝おうとボランティア精神を発揮して活躍してくれるような人があまりいない。みんな会社からやってもらうことに慣れ切っているのだろう。よって、パーティーの企画は土台から、創業者の自分がやることになる。これもまたつらい仕事だ。その結果が、今回のJAL搭乗ハプニング。良い経験になったが、これを繰り返すと人生が短命になるのはわかりきっている。ストレスは体に良くない!
ゴルフトーナメントでは、ホールインワンをすると、その記録を達成した人がオーナーとなり、仲間を呼んで打ち上げを開催し、皆にご馳走するという習わしがある。今のサウンドハウスはまさに、ホールインワンだ。創業者がホールインワンという偉業を達成した結果、皆を招待し、ご馳走を提供して大盤振る舞いをする。これもまたホールインワン以上に大変なことだが、為せば成る、何事も、と、ひたすらポジティブに考えて前進する。これが自分の人生なのだ。
