ここから本文です

サウンドハウスに与えられた使命 時空を超えて音楽が鳴り響く30周年に乾杯!

2023-02-20

テーマ:サウンドハウス創業者のコラム「Rickの本寝言」

Rickの本寝言 サウンドハウス創業者が本音をついつい寝言でつぶやく!

瞬く間に時が過ぎ去っていく。時間の流れは早いものだ。1993年2月9日にサウンドハウスを創業してから30年という年月が経った。創業当初、日本はまだバブル経済がはじけたばかりであり、多くの物、商品を高値で売って粗利をがっぽりと稼ぐという商習慣がまかりとおっていた。その結果、内外価格差というものが生じ、海外の価格と異常なギャップが生じることになった。そのような不均衡な価格差に対して、断固、戦う決意をした自分がいた。

そのような思いに至った背景をちょっとだけ紹介しよう。海外の相場と比べ2倍の値段で売られても当たり前であったバブル経済の名残ともいえる時代背景を背に、当時は何を輸入販売しても商機があるように思われた。よって1989年、日本に帰国することを決めた際、アメリカで商品を買い付け、日本で国内の相場より安く販売することを考え始めたのだ。20年近くアメリカに住んでいたこともあり、さまざまな商品における現地での相場は、およそ見当がついていただけでなく、何を輸入してもチャンスがあるように思えた。そこで選択肢にあがってきた最初の商品が、なんとビタミン剤だった。当時、ファンケル社も、サプリメントの通信販売をまだ開始していなかったこともあり、日本ではビタミン剤や各種サプリメントが高額に値付けされて流通していた。そこでフットワークの軽い自分は、カリフォルニアにあるビタミン剤の製造工場を訪問し、日本にて販売する交渉を締結し、実際に輸入する段取りまでつけた。

その後、日本に帰国して、いろいろなことに取り組んでいるうちに、なぜかサプリメントの通信販売が頭から消え去っていくのだった。そして始めたことが通信販売とは程遠い、小さなライブハウスの経営だった。高校時代からずっとバンド活動をし、大学でもスタジオギター科に属し、卒業後は1年、ハリウッドでギターを弾いたこともあり、音楽に対する思いが頭から離れなかったのだろう。また、歴史を遡ると1975年にはライブハウスの老舗と言われる渋谷の屋根裏を母親が経営しはじめたことから、PA機材などの買い付けを自分も手伝うことになった。よってライブハウスは常日頃、自分の頭の片隅にあったのだ。そんな音楽への思いが強く心に残っていたからこそ、早稲田通り沿いの地下にあったパン屋さんを買い取って、そこに防音工事を施し、「ペトラクラブ」というライブハウスを開業することになったのだ。

ライブハウスとはいえ、その場所は何しろ早稲田大学のすぐそば。日々、大勢の学生が行き来する場所だ。そこで昼は定食屋としてライブ演奏のビデオを見ながら焼肉定食や唐揚げ定食を食べることができるライブ食堂とし、夜はライブのブッキングを入れて、バンド演奏を聴くことのできる普通のライブハウスとした。しかも年中無休とした。よって、自分の毎日は、火の車のようになる。朝は10時から仕込みだ。厨房に入って味噌汁の具を調理する。また、定食御膳の準備が大変だ。何故なら12~13時の間に、一気に大勢の来客があるからである。小さな厨房で50~60人分の定食を自分ともう一人のスタッフ、2人で作り、配膳するのだから、そりゃ、大変だ。しかしながら、80年代にアメリカで鉄板ステーキハウスの店長バイトをしていたこともあり、水商売は手慣れたものにも思えた。あとは体力勝負。そして店を開け続けながら、夜のライブを通じて接客をし、時には自分も演奏し、やっと終わるのが24時。こんな生活が2年ほど続いた。

幸いにもその「ペトラクラブ」には助け手が与えられ、92年には自分の代わりとなるマネージャー格の女性スタッフがチームに参加してくれた。ありがたかった。そのおかげもあり、当時、婚約していた彼女との挙式がとん挫した際、日本を去り、Richardson Springと呼ばれるアメリカの聖地に半年籠ることになる。そこで学んだことは計り知れず、心がリフレッシュされた後、新たなる気持ちで帰国の途についた自分がいた。そして92年の1月、真冬の山で瞑想にふけっていた時に成田に行くビジョンが与えられた。見知らぬ土地。だれも知り合いなどいない。でも何故か、成田に行かなければならないことを知り、ミッチー君というゴールデンレトリーバーとギター1本をホンダのアコードに積み込んで、あてもないまま成田へと車を走らせた。

そして成田での出会い、数々の衝撃的な出来事、人生の急展開を経て、ふと気が付くと、成田に足を運んでからたった1年足らずで、サウンドハウスが創業していた。振り返ってみると、あまりにうまくできすぎている。事がうまく運びすぎている、そんな思いもないわけではないが、天命であることを確信するあまり、すべてが感謝である。不思議な出会い、何もない所から始まるサウンドハウスの歴史。人助けだけを念頭に、音楽業界、ミュージシャンのために身を粉にして働き続けた結果が今だ。それが自分にとっての30周年の思いにつながる。

人生いろいろ。自分もありとあらゆることを体験してきたが、中でもサウンドハウスの創業からの30年は、奇跡の連続としか言いようがない。そしてサウンドハウスが今では東北の女川とつながり、徳島では竹ヶ島と剣山に紐づけられ、ライブラリーまで淡路島の聖地に建てられ、京都にも拠点を持つことになったのは決して偶然ではなく、それらはすべて、サウンドハウスに与えられた使命と結びつくものであると確信している。まだまだ、サウンドハウスに託された人助けと社会改革の使命は残されている。それをこれからも、ひとつひとつ実現していきたい。命の灯が消えるまで。。。

Rick - 中島尚彦 -

1957年東京生まれ。10代で米国にテニス留学。南カリフォルニア大学、ウォートン・ビジネススクールを経て、フラー神学大学院卒。GIT(Guitar Institute of Technology)第2期生のギタリスト。80年代にキリスト教会の牧師を務め、音楽ミニストリーに従事しながら、アメリカで不動産会社を起業。1989年、早稲田でライブハウス「ペトラクラブ」をオープン。1993年千葉県成田市でサウンドハウスを創業。2001年、月間地域新聞日本シティージャーナルを発刊。主幹ライターして「日本とユダヤのハーモニー」の連載をスタートし、2010年よりwww.historyjp.com を通じて新しい切り口から古代史の流れをわかりやすく解説。2023年、一般財団法人サウンドハウスこどものみらい財団を創設し、こどもたちの支援にも従事。趣味はアイスホッケー、ピアノ演奏、トレイルラン、登山など。四国八十八ヶ所遍路を22日で巡る。グループ企業の経営指導に携わるかたわら、古代史の研究に取り組み、日本のルーツ解明と精神的復興をライフワークとする。

 
 
 
サウンドマートスキル出品を探す サウンドナビアフィリエイト記事を書く

カテゴリーから探す

翻訳記事

ブログカレンダー

2025年4月

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30

ブランドから探す

ブランド一覧を見る
FACEBOOK LINE YouTube X Instagram TikTok