最近、このコラムを読む方が増えていることを知って、複雑な思いだ。嬉しいな、と思う反面、あまりに本音の寝言をモヤモヤと書いていることから、後から振り返ると恥ずかしいな、と思うことさえある。
今、アメリカの東海岸、ハートフォードからこの原稿を書いている。1年前、日本ではあれほどまでにアメリカはコロナでやばい、と言われていたのだが、結果として今では、ほとんどの方が感染して集団免疫の社会体制が整い、誰もが自由に動けるようになった。もちろん、感染者数はまた増えているというニュースもあり、年配者の方の中には稀にマスクをする方もいるが、どうみても社会全体は元に戻っている。日本も現実的には感染していない人の方が少なくなるのは時間の問題であり、早くフリーになればいいな、と思うこの頃だ。東京はもう大丈夫に思えても、地方では、村八分のメンタリティーの後遺症が残っているところもある。
さて、歳にこだわること自体、「あんた、おっさんですか?」、と言われるのを覚悟でまた、書くことにした。自分にとって、とうねんダブルとって45歳。よっしゃ!とうねんとっても55歳、あっぱれ!正に今がちょうど、ハーフポイントを周りきったところで、これからゴールに向かって走ると思うと、まだまだ、と思っている。物事は考えようだ。少なくとも自分の頭の中では、実年齢よりもっと若く、時には30代かなと思う時がある。何しろ、骨密度は毎年計測しているが、いまだに33歳だ。だからどんなに激しくぶつかっても、骨折したことがない。あえて、老眼だけには勝てないと思っていたのだが、ここ最近不思議なことがおきている。何と、新聞がまた、読めるようになってきたのだ。ありえない!嬉しいことだが、体が若返ってきたような気分になる。
すると、まさに今が人生のターニングポイントだ。身近なことを言えば、長年の苦労が実り、やっと再び100%独身の人生に舞い戻ることになった。嬉しい限りだ。結婚して子供が4人できたが、その後、離婚して自分が子供全員の親権者になった。結果、サウンドハウスの仕事をしながら子供の教育に走り回ることとなり、長年、大変な思いをしてきた。学校や塾の送り迎えや弁当作り、そして、病院通いとなると、4人合わせて100回以上は一緒に通院することになる。それでも仕事ができたのは、当時の職場が社宅マンションの真横にあったからに他ならない。日中、行ったり来たりしながらの子育てには、心身ともに消耗した。そして4人目の最後の一人が、今年の6月、大学を卒業することとなった。乾杯!長年の束縛から解放される時が訪れる。
これまでの人生は社会的概念に則って、とにかく責任感をもってやるべきことをやらなくては、という一心で駆け上ってきた。子育てはもちろん、会社経営にしても、社員の生活がかかっていることは百も承知。何しろ200人もの社員がいれば、その給料に依存している家族や知人が500人はいることになる。いや、1000人いるかもしれない。よって、最後まで経営責任がある自分は、ひたすら忠実に仕事をこなさなければならない。また、サウンドハウスを応援してくださる全国何万人ものお客さまに対する責任もある。その応援にこたえなければならない。よって、そうは簡単には「ちょっとお休みさせてください!」なんて言える立場ではないのだ。これがサラリーマンなら別だ。あっさりと今風に、何も言わず、消えていくこともできるのだが、自分のように責任ある立場の人はそうはいかない。ひたすらがんばるのみだ。それも辛いことだ。
とすると、ターニングポイントだから、これからの人生は変わっていくことが期待される。そして、その先のゴールが見えてなければいけない。単に人生、半分終わりました!これから残り半分、がんばります、と言うだけでゴールを知らない人は空しい。決してそうはなりたくない。では残り半分の人生、さて、どう生きていくか?むむむ。
そのゴールはというと、そう簡単に書き記すこともできない。あまりに複雑な思いが連なるからだ。それでも方向性は確実に見えてきている。とにかく大切なことは、悔いのない人生の日々をこれからも歩んで行くということである。それは自分にとって、これまでどおりの全力疾走を意味する。しかも自分のためではなく、他のために、社会のためにすべてを出し尽くせば、後悔はない。そしていつか天に召される時は、感謝の思いで息をひきとること、それに尽きる。そのためにも毎日の生活の中で、心を共にする人と日々一緒に美味しいものを食べて喜び、厳しい労苦の中にも、かすかな喜びを見出すことが大事だと思うこの頃である。ハーフポイントを過ぎたこれからが、大事な人生の始まりなのだ!
