「あれ、グラグラしてきた。」「え、なんでこんなにぐらぐらする?!」突如、衝撃が走る。「うそ、痛い!」「やばい!」、「え?血がでてきた。。」「どうしよう?」 何でこんなことになってしまったのか、一瞬の不安が脳裏をよぎる。これは地震による怪我の話ではない。体の話である。自分の大切な歯がこけてしまった時のことである。歯周病という歯茎の病気がある。50歳にもなると、全人口の半数がかかる病だ。テレビのコマーシャルで幾度となくその言葉は聞いていたが、その歯周病の恐怖が或る日、自分を襲ったのだ。
そもそも昨今まで20年近く、歯医者にはお世話になったことがなかった。自分の歯は強い、骨密度は30歳、という自負もあり、およそ適当に歯を磨いているような日々を過ごしていた。ところが数年前、次から次へと小さな虫歯に悩まされるようになり、歯科医にお世話になりはじめた。しかもその連鎖がひどく、1-2-3と連続で次から次へと続いたのだ。そしてある時、運命の時がきた。遂に奥歯の命が絶たれ、抜歯を宣告され、あえなく抜かれてしまうこととなる。
その結果が初のインプラントに結び付き、これも経験と思い、先生にお願いすることにした。何と半年近くもかかるとは思わず、歯茎内の骨を固めるために固定材を注入し、それが固まるまで待たせられつつも、待てば海路の日和あり。きちんと歯が収まった。そして人工の歯だから虫歯になることはないと安堵した結果、奥歯まで歯ブラシをいれることを怠ったのだ。その甘い判断があさはかであり、悪夢へと展開する。
ある時、固いものが痛くて食べれなくなってきた。「何だ、また虫歯かな?」と思っていてしばらくすると、左右どちらも物を噛むと痛くなってきたのだ。もはやガムも嚙めないし、大好きな煎餅も食べれなくなってしまった。「これはいったいどうしたことか」と思い悩んでいたその時、ふと、口の中に指をいれて歯にさわってみると、何と、歯がぐらぐらするではないか!まさかと思って、何度確かめても、ぐらぐらするだけでなく、さわればさわるほど、ゆるゆるになってくる。恐ろしや。。。「歯が抜けてしまうぞ」と危機感を抱き、大至急、歯医者の先生のアポをとり、行くことにした。
そこでくだった判決が、「歯周病」であった。そして驚いたことに、そのインプラントだけでなく、左右両方の他の奥歯周辺も同時に初期の歯周病となっていたことが発覚。どうりで、煎餅が噛めなかったわけだ。その結果、せっかく入れた新作のインプラントは抜くことになってしまった。つまり、インプラントやり直し、という大事件になってしまったのだ。後からわかったことだが、インプラントこそ、きちんと歯を磨いて歯茎の周りをクリーニングしないと、歯周病になりやすいということだ。
そこから勉強が始まる。簡単にまとめると、これまでは歯茎が収縮することを嫌っていたため、歯茎にあまりあたらないように歯を磨いていた方針を転換し、奥歯も含めてしっかりと歯茎にあてて歯磨きをすることが大事ということだ。しかも、できるだけ毎食後に磨くということも重要になる。なぜなら、歯周病は食後の食べ物が腐食した菌によるものであり、長時間放置することが、歯周病の原因となることがわかったからだ。しかもそれらの食事のカスは歯と歯の間にはさまりやすく、歯ブラシではとりきれない。よって、デンタルフロスなるものが登場し、歯磨きごとにフロスを使うということを徹底しなければならなくなった。しかも歯間ブラシと言われるフロスよりもさらに一歩進んだ器具も使って歯間をきれいにすることを歯科医から学ばされた。そこまでして、やっと歯周病は防げるのだ。
このボディーメンテは簡単ではない。なぜなら、時間がかかるし胡散臭いといわざるをえないほど、面倒くさいのだ。それでも物を噛みたい、食べたいものをガツガツと嚙み砕きたいという願望の方がダントツ勝る。よって自分の体のため、歯科医の推奨するままに言うことを聞き、我慢して歯のメンテをめちゃめちゃグレードアップすることにした。するとどうだろう。たった3か月で歯茎がしまり、他の歯もしっかりとした感じがしてきたのだ。そして煎餅だろうが、軟骨であろうが、固いものを左右どちらでも噛めるようになった。万歳!
つまるところ、人間の体も老いてくるとメンテに時間がかかるということだ。歯、ひとつとっても、若い頃に比べるとメンテに何倍も時間をかけなければならない。それ以外にも体の不具合をあげればきりがないだろう。しかしながら、それが人生であり、人の定め、生きる道とわきまえることにより、いつしかそのメンテナンスが楽しくも思えるようになってくる。みるみると歯が強くなり、若がえっていくように思えると、それまでの苦痛が喜びにとって代わり、快感にも思えてくるのだ。
人の体とは、もしかして長寿の盆栽を育てるようなものかもしれない。日々のケア、思いやりが大事であり、その結果はぱっと見ではわからない。しかしながら続けているうちに、ふと気が付くと歳をとり、それでも不思議と以前より美しくなっているのだ。そんな人生になることに期待する今日この頃である。
