2足の草鞋という言葉があるが、一体自分は何足の草鞋を履いているのだろうか、とふと考える時がある。そもそもアメリカに住んでいた当時の本職は、不動産のデベロッパーだった。ブローカーのライセンスも取得し、商業不動産を売買しながら、ショッピングセンターや病院コンプレックスの建設、改装などに取り組んでいた。ところが二足の草鞋を履いており、なんと80年代は、ごく一般的な教会の牧師もしていた。
今思い起こすと、確かに自分が経営する不動産会社はアメリカにあり、教会は日本にあった。ということで、毎月ほぼ2週間毎に、アメリカと日本を往復していたのだ。あの時の大変さを振り返ると、ぞっとする。よくぞ耐え難きを頑張って耐えたものだと、自分でも感心する。あの時差を克服する苦しさは、半端ではない。それでも教会では日曜日に説教をするだけでなく、週末の夜はギターを弾きながら、賛美歌やゴスペルを歌い、会衆を導いていた。まさに究極の「二足の草鞋」だ。
しかしそんな無茶な生活が長続きする訳がない。睡眠不足と激務、そして運動不足がたたり、体が壊れてしまったのだ。ある日、朝起きようとすると、回転性のめまいで立ち上がることができず、何と、一週間の入院となった。幸い、脳梗塞ではなく、メニエール症候群という診断だった。ところがそれがとんでもない苦痛をもたらすことになる。全治に1年もかかったのだ。長い間、頭の鈍痛がとれず、つらい思いをした。それからというもの、自分の体を「少しは」ケアするようになった。
さて、本題に戻ろう。その後、争いごとや裁判の多いアメリカの不動産業に飽き飽きした自分は、帰国を決断。無職となる。やったー。。。やっと二足の草鞋から解放され、自分らしく生きていくことができる!そして新たなる人生の旅路を考えていた時に創業したのが、ペトラクラブというライブハウスだ。バンド活動でギターを弾いてきた経験もあり、また、両親が共に複数のエンターテインメント・ビジネスに携わっていたというDNAもあったからだろうか、ライブステージには幼いころから親しみがあった。そこで早稲田通り沿いの地下に防音効果抜群の店舗を見つけ、そこに小さなライブハウスを作ったのだ。
ペトラクラブというライブハウスは簡単に言うならば、昼は学生向けの定食屋、夜はブッキング中心のライブステージだ。そしてオーナーとして自分は厨房に入り、お米をとぎ、ご飯を炊き、食材を仕入れてお客様のお腹を満たすことに努めた。まったく違う草鞋の登場だ。その履き心地は良くなかった。毎日が掃除と皿洗い。食事を作ることは楽しくないとは言わないが、お酒も出す水商売ということで、長時間労働を極めることになる。このままではまずいと思った。そしてある日、勇断をする。ライブハウスはマネージャーになっていた知人に任せ、思い切って草鞋を脱ぎ捨て、再び渡米し、半年間、山にこもることにしたのだ。
そして日本に帰国した直後、心に浮かんだのが、不思議な思いに導かれた見知らぬ成田への旅だった。そこで新しい草鞋を履くことにより、サウンドハウスが生まれた。それは、これまでの自分の経験、すなわちライブハウスの経営、バンド演奏、不動産の売買、そして教会活動の総決算とも言える。なぜ、教会も絡んでいるのかというと、サウンドハウスの創業を後押ししたのが、成田で出会ったクリスチャンの仲間だったからだ。彼らとの出会いがなければ、サウンドハウスの創業はなかった。そのクリスチャン・ファミリーの中心となったのが、当時、山田洋服店を経営していた山田一族だ。その山田洋服店からサウンドハウスはスタートした。そして8畳の古びたバラック小屋から歴史が塗り替えられていくことになる。
さて、再び本題に戻ろう。では、自分の本職とは結局のところ何なのか?サウンドハウスか?一概にそうとも言えない自分がいる。確かに膨大な時間をさいて、仕事をこなしている。が、内心、自分の本職は別にあると思っている。その決定的な証拠がhistoryjp.comのサイトだ。10年以上も前から、このサイトのために多大な時間をかけてきただけでなく、執筆内容をほんまもんにするために、全国各地をくまなく旅をしてきたのだ。つまりサウンドハウスの仕事をしながら、地方を訪ね、そのついでにリサーチを兼ねてあらゆる場所を回り、地勢の見聞をしてきたのだ。その結果、富士山の頂上から、琉球の海底遺跡まで、日本列島をまるごと見る機会に恵まれた。よって、そこから得た知識と経験に基づき、日本の国民に伝えたいメッセージがどんどんと心の中から湧き上がってくる。それを書き綴った結果が、historyjp.comのサイトだ。
すると結論はいかに。今、自分は二足、いや、三足の草鞋を履いているように思っている。ひとつはサウンドハウスの創業者、会長としての仕事だ。これは責任感から全うしなければならない職務であり、我慢比べに強い自分だけに、やるしかない!と気合をいれて仕事をしている。もう一つの草鞋は、historyjp.comのライターとしての自分だ。今や大勢のファンが全国におり、とにかく書きたいことが山ほどあるも、いかんせん時間が足りない。時間があれば、もっともっと書きたい。よって本職としては、こちらの思いの方が強いと言えよう。三つ目の草鞋も履いている。それはここではあえて説明せず伏せておくことにする。読者諸君の想像と夢に任せたい。
自分にはやりたいことが、今でもいっぱいある。それをひとつひとつ、日々こなすことで精いっぱいだ。だから夜も毎日、ぐっすり眠れる、とは言え、ライトスリーパーだから、朝早く起きてしまう!こんな生活をあと、35年は頑張って続けていくことを夢みている。
