サウンドハウスを創業してからおよそ30年の月日が経った。こんなにも長い期間、よくぞここまで頑張って仕事をしてきたものだと思うと、時には自分を褒めたくもなる。なにしろ休みはなく、週7日、すべてを返上して働き続けなければならない。そして社員からあがってくる報告を見ながら、足りない部分を補うため、夜中まで作業が続く。それで結果がでればしめたものだが、そうは問屋がおろさない!日々、問題はあちらこちらで生じ、スタッフの尻ぬぐいも含めて自分が動くことになる。そこには終わりがない。
そこまで努力しているのだから、周囲から感謝されるならまだしも、折に触れて煙たがられ、嫌がられてしまう。「ありがとうございます」なんてお礼を言うスタッフは最近、あまり見かけなくなった。やってもらって当たり前。そして間違いを繰り返すスタッフを叱ると、逆切れするスタッフも目につくようになった。反省の念がないのだ。そして話があるので今晩一緒に食事でもしよう、なんて言っても「今日は予定があるので」と、創業者からの招待を平気で断るスタッフの何と多いこと。愕然としてしまう。リスペクトのかけらも持ち合わせていないのだろう。こんな割の合わないつらい仕事であっても、体がもつ限り、ずるずると続いてしまっている。果てしなき戦いだ。
自分は傍から見ると、良くて苦労人、悪ければ、わがままな創業者、かわいそうなおっさんにしか見えないのではないか。経営者とは周囲のスタッフからは良く思われないものだ。これもまた、孤独の原因となる。そしてこの歳になっても、未だに自分の人生を楽しむための時間もろくに作れず、日々、延々と仕事が続く。孤独な経営者の姿とは、まさに自分のことなのだろう。
確かに、会社の経営とは孤独な家業とも言われている。まさにその通りだ。よほどのことがない限り、会社経営などするものではない。あまりに孤独であるからだ。孤独を愛する、愛さないに関わらず、自らをその境地に追い込み、我慢し続けない限り、まともに会社経営などできない。こうして自分が続いているのは、昭和時代に培われた精神力が、いまだに無傷で全身にみなぎっているからに他ならない。これだけは自慢できることなのかもしれない。
会社経営を成功させるためには、戦略的に将来を見据えて、布石をうっていくことが大事だ。そうしなければ競争に負けてしまう。だから経営者は未知の世界へと足を踏み入れていく。その道とは、まだ誰も歩んだことのない淋しく暗い道だ。そしてひとりで信念をもって突き進んでいかねばならない。そして結果は自ら責任をとらねばならず、孤独感も極まる。また、会社経営には人への責任も伴う。社員と社員の家族を養わなければならないという思い。それに加え、大勢のお客様に喜んでもらうために、継続して優良なサービスを提供するという重責。よって経営者はその管理責任から免れない。だからいつも頭の隅っこのどこかには、責任という思いがのしかかっている。その責任という重しがなければ、とっくの昔に自分はこの会社から消え去っている。
その責任を全うするため、しかも逃れることもできないことから、今でもひたすら忍耐を貫き、職務を遂行することに全力を注いでいる。それが自分の描いている孤独な経営者の姿だ。これもまたつらい家業であり、終わりが見えない。でもそれが人生なのだ。古代の賢人は書き記していた。すべては空しい、一切は空であると。まさにそのとおりである。経営者の人生とは空しく、寂しく、また、孤独な日々に象徴されている。いきつくところ、良いこととは、日々仕事をこなし、ごはんとお酒を美味しく感謝していただき、夜、ぐっすりと眠ることだ。それ以上に良いことはない。これこそ、きっと神様がくださったご褒美なのだろう。
