アントニオ猪木氏が79歳で亡くなられた。「元気があれば何でもできる!」と大声で豪語しながら、プロレスを楽しむ大勢のファンを盛り上げてきた猪木氏の功績は称賛に価する。確かに物事をすべてポジティブに考え、「何でもできる!」と確信して実行に移すことができるなら、それにこしたことはない。その源となるのが、「元気」だ。その「元気」があるかないかで、人生の道が大きく左右される。
周囲を見渡すと、ここ最近、「元気」のない若者が増えたように思えるのは自分の錯覚だろうか。人に挨拶することさえままならず、ぼそぼそと小声でしか話さない若者は決して少なくはない。しかも腰が重たいせいか、それとも最近はやりのゲームのし過ぎなのだろうか、フットワークの軽さが感じられない若者が多いようにも思う。以前だったら自分が声をかければ、みんなが喜んでついてきたようなイベントも、今では躊躇し、遠慮気味な人が多いのも気になる。なぜ、もっと新しいことを学び、見聞し、あちこちを旅して、新たなる体験をしようと思えないのか、もったいないような気持ちになる。
そんな思いとは裏腹に、確かに自分の人生を振り返ると、これまで人一倍、「元気」があったように思う。だからこそ、思うがままに、やりたいと思ったことを何でも手掛け、とことん努力しながら、実際に成功することができたのだろう。サウンドハウスの創業にしてもしかり、また、市民からの要望で天然温泉施設を作ろうと思い立てば、数年もしない間に、日帰り温泉施設が出来上がっていった。いつか本社を京都に持ちたいと思い、その拠点となる本拠地が欲しいと思えば、いつの間にか京都の会社を買収して再建を手掛けて成功させていた。歴史のリサーチのために徳島に足を運ぶことが多くなったことから、何としても徳島に会社の拠点を設けたいと願えば、1年後には安価に物件を取得できる競売情報を手に入れ、すぐさま小松島に物流センターを構築していた。
さらには女川物流センターの構築も、ひょっとした出会いから瞬く間に夢が実現した。2022年10月1日、念願の出荷がスタートしたのである。この女川プロジェクトは、それこそ体力勝負であり、「元気」がなければ対応できない。何しろ女川は遠い。成田からは電車を4、5本乗り継いで旅をし、6時間かかる。徳島から行く場合は、バスと電車、モノレール、飛行機、そしてさらに電車を3本乗り継ぐことになる。そりゃ、大変な旅だ。が、それさえも自分は苦にしない。それこそ「元気」があるからだ。しかも移動中はテレワークをこなせる絶好のチャンスと心得ている。車の中だろうがどこでもノートパソコンがあれば、乗り物酔いなどすることもなく、バンバンとメールをこなすことができるのも、「元気」の旗印だ。例えば、この3日間を例にとろう。3日前、朝は東京で仕事、夕方は京都で会社スタッフと合流。夜はみんなで楽しむ!翌日は京都から徳島へ移動し、剣山をノンストップで走って登頂、下山後、夜は飛行機で東京。そして翌朝始発で東京から女川、午後は「旅の達人」の証明をするかのごとく、女川から車、飛行機、モノレール、電車、バスを分単位で6回乗り継いで徳島に到着。徳島では会社の夕食会が予定されている。
が、さすがにここまでの旅は、いくら「元気」があっても疲れるのもこれまた、人間の定め。徳島到着後、久々に30分風呂にゆっくり入り、疲れを癒す。すると「元気」がでてきたことから、夕食会ではみんなで乾杯し、徳島の繁華街を一緒にはしごして、夜中にカラオケまで楽しむことができた。その翌日となる今日、早朝から一緒に飲み歩いた新卒を動員して竹ヶ島に向かい、午前中はひたすら丸太を転がして、島をきれいにするためにみんなで汗びしょになって奉仕させていただいた。真夏日の30度。暑かったがこれは我慢のしどころ。そしてこれから東京に向かい、明日はまた始発で女川だ。
この「元気」がいつまで続くのか、それはわからない。しかし不安は一切ない。「元気」が続く限り、「やれることをやるだけ!」といつも思っている。そんな自分を見習え、とも言える訳もない。あくまでこれが自分流。これこそ、「元気があれば何でもできる!」ことの証なのだ。
