小山晃佑(こやまこうすけ)という著名な神学者は世界的に有名であり、「時速五キロの神」という本は世界各地で読まれている。小山氏は戦後すぐにアメリカに渡り、プリンストン大学で神学博士号を取られた。その後、タイ、シンガポール、ニュージーランドで教鞭をとり、最終的にはアメリカに戻られ、ニューヨーク州のユニオン神学校で長年にわたり教えられていた。1980年代、小山氏の存在を知った自分は、わざわざユニオン神学校まで訪ねて行ったことを覚えている。
「時速五キロの神」という本の内容は衝撃的であり、最初に手にした1983年、自身の在り方を深く考えさせられた。世界史の中で最も偉大な人物、歴史を大きく塗り替えた人は誰か、と言えば、まぎれもなくイエス・キリストの名前が筆頭にあがる。多くの証言、歴史書、そして歴史の流れから推察するに、イエス・キリストの偉業は人知では計り知れないほどのインパクトがあり、当時の人々の驚きは察するに余りがある。イエス・キリストは、多くの人々の病を癒し、悪霊に取り憑かれた人の悪霊を追い出し、盲人の目を開き、そして死人をも蘇らしたのだ。そんな話を信じる、信じないは別として、もし、タイムマシンがあるならば、『Back to the Future』のように、イエス・キリストが地上を歩かれていた時代を訪ねてみたいものだ。イエス・キリストの登場以降、人類の歴史は大きく変わったことに違いはない。
さて、本題に戻ろう。世界の歴史を最も大きく動かしたイエス・キリストではあるが、実は、キリストは、時速5kmでしか歩かなかったということに小山氏は着眼した。当時は車もなければ自転車もない。ただ、田舎町の集落を転々と渡り歩きながら、人々と出会い、手を差し伸べていく。しかもイエス・キリストは、時間を見つけては群衆を避けて静かな山に登り、ひとり聖黙の時を過ごされたという。それでも、歴史が大きく変わったのだ。歩くだけで、歴史が動いていく。。。
今の自分はどうだろうか。情報量が満載のデジタル化時代において、朝起きた瞬間から、それら最新情報の収集からはじまる。メールに流れこんでいる大量のメッセージを片っ端から処理し、Lineやメッセンジャーのアプリ系にも目を通し、同時にテレビのモーニングサテライトから経済情報を聞きながら、新聞からは当日のニュースをいち早くゲットする。そして自分のカレンダーを確認すると、やるべきことがいっぱいたまっていて、待ったなし。すべて、フルスピードでこなしていかなければ夜までに到底終わる量でないことは、一目瞭然である。そして連日、「まだまだ!」と気合を入れつつこなしていくものの、最近では歳をとってきたせいか、夜9時過ぎ頃になると「助さん、格さん、もういいでしょう!」という水戸黄門の声が聞こえてくる。
この大きな違いはなんだろう。かたや、何も手にせず、時速5kmで歩きながら人々に語りかけ、時には奇跡を成し遂げ、歴史を大きく塗り替えたイエス・キリストがいる。が、いざ自分を振り返ると、休む間もなく働き続け、身を粉にしてまで毎日自分をすり潰しているにも関わらず、ふと気が付くと歴史が変わるどころか、単に自分が年老いていることだけが心に突き刺さる。この人生観と生き方の相違、時代背景の激変、生きることの目的を振り返らずして、自らの成長はもはや考えられないと断言できる。
とはいえ、「わかっちゃいるけど、やめられない」毎日の流れがある。よって毎朝、聖書を読み、ひと時祈りの時間を持つことでかろうじて、自分の心身を支えている。冷静さを保ち、時代の流れを見据え、自らの歩むべき道を見定めるためにも、最小限、必要な手段であろう。それが禅であっても、瞑想の時間であっても、いい。大事なことは、自らを振り返り、生きることの大切さ、目的を知り、生かされていることに感謝することにつきる。つまるところ、人にとって良いことは、日々、感謝して美味しいものを食べて、ぐっすりと眠れることだと思う。それさえも犠牲にしてがむしゃらに働いても、結局歴史は動かないのだ。現代人に、そして自分にとって大切なことは、時速5kmで歩き、周りを見渡しながら、周囲の人々に人生の恵みを証しつつシェアすることのように思えてきた。夢のような寝言は続く。。。
