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夢とビジョンはまだ続く! 夢と幻に育まれた人生はいつも面白い!

2024-08-12

テーマ:サウンドハウス創業者のコラム「Rickの本寝言」

Rickの本寝言 サウンドハウス創業者が本音をついつい寝言でつぶやく!

10代の頃、自分には夢があった。テニスプレーヤーとして国内のジュニア・トーナメントで活躍していたこともあり、アメリカに単身でテニス留学までした。何事も諦めが肝心というが、あまりのレベルの差に愕然とし、テニスでプロになることは早々と断念した。アメリカに留学してから2年も経ってない時だった。それでもテニスの夢は持ち続け、いつかカッコいいテニスクラブを経営したいと思っていたのだが、いつしかそんな夢は音楽に変わっていくことになる。

昭和の時代、1970年代はフォークソングとグループサウンズの絶頂期。当時中学生だった自分も、学生ならば誰もがギターを弾く、というような風潮の影響を受け、モーリスのアコースティックギターを購入して、仲間と一緒にギターの練習に取り組んだ。無論、当時はテニスに凝っていたのだが、その肉体労働に加えて、暇さえあればギターを弾いていた。では、いつ勉強するのかというと、中学時代は勉強をあまりしなくなっていたのだが、別段、気にすることもなかった。小学生時代に勉強しすぎた反動の表れだろう。

よって、テニスの夢を断念した後、いつしか夢は音楽に繋がることになる。70年代と言えば、クラシックロックの絶頂期。アメリカの高校でもギタリストが何人もいて、学校のキャンパスでもイベントがある度に、生徒がバンドを組んで、デビッド・ボウイのヒット曲などを演奏しまくっていた。そんな影響もあり、学園祭では自分もバンドを組んで、Deep Purpleの「Burn」をギタリストとして演奏した。素晴らしいキーボード・プレーヤーが仲間にいたこともあり、演奏のレベルは高校生バンドとしてはなかなかのもので、親御さんたちを中心とする観客ではあったが、とても楽しかったことを覚えている。

そんなロック音楽に魅了されたこともあり、大学に入学した後も、ガンガンとギターを弾きまくっていた。そもそもUSCのビジネス科に入学したのだが、専攻はビジネス・マネージメントであっても、アメリカの大学にはマイナー、つまりサブの専攻を持つこともできる。よって、自分はとことん、音楽の授業をとりまくっていた。およそ全体の3分の1のクラスが音楽関係であり、なおかつ、USCにはスタジオ・ギター科、という学部もあったことから、大学でギターの授業に行けることが楽しくて仕方なかった。当時の教授はDuke Miller氏。著名ギタリスト、リー・リトナーの師匠だ。そんな有名な教授の元でギターを弾きながら、大学の単位をとれることは何と幸せなことか。そしていつしか夢はロックギタリストとして有名になることに変わっていく。

しかし、何もかもそんなにうまくいくはずがない。所詮、ギタリストとして、ロックバンドを作って成功を収めることができるのは、万に一人しかいないのはわかっていたが、それでも諦めきれずにいた。そんなある日、デビュー前のVan Halenの激しく、美しいコンサートに出くわした。まさに青天の霹靂であった。ハリウッドのライブハウスで見たエディーの演奏は、正に芸術。曲の構成もすばらしく、何しろエディーのギターの音がさく裂することに感動した。また、エディーならではのギターソロ、ピッキング、タッピング奏法、そして彼風の独特なメロディーの素晴らしさは言葉では説明しようがなく、また、極上の難しい演奏をしているのにも関わらず、まったくミスをしない、すべて完璧な演奏を成し遂げていた。そんなエディー・ヴァン・ヘイレンを追って、大学を卒業した後、1年間ハリウッドに住んでギターの演奏にふけっていたが、それも長続きはしなかった。所詮、自分はロックスターなど、なり得ないと諦め、勉学にもどるため、大学院に行くことにした。

そうしていつの間にか、20代の頃から自分の夢が消え去っていくことになる。振り返ってみても、テニスとギタリストの夢がなくなったあとは、何ら夢がなかったように思う。そうこうしているうちに、いつのまにか年をとってしまった。テニスプレーヤーの夢を掲げてから何と、半世紀が経ってしまったのだ。そして今、自分には新たに夢があることに気が付いた。ここ数年間、同じことを語り続け、思い描いていることから、「あ、これが夢なんだな!」と思うようになる。しかもひとつではなく、いくつもあるのだ。これも年をとってしまった証だろうか。そのうちの2つを紹介しよう。

まず、和田島タウンをつくる夢だ。何故か、徳島県の和田島にこだわる自分がいる。サウンドハウスの西日本物流センターが和田島にあるが、その町の交差点、ど真ん中に土地を取得していることもあり、そこから街づくりをしたい、という夢を描いている。そうでなくても、50年後には人口ゼロになりかねない、過疎化が進んでいる地域である。そこに新しい若者向けの街づくりをしたいのだ。それを音楽の力で成し遂げるため、そこにライブハウスとレストランを作り、サウンドハウスがさらなる成長を遂げることにより、和田島で勤務する若者が何十人にもなり、みんなが和田島に住み着く。すると和田島タウンができ始め、そばにはいつでも誰でも使える陸上競技場、野球場もあることから、最高の生活環境が整うことになる。そんな新しい町、和田島タウンを造成することを夢見ている。

もう一つの夢は、言い方は悪いが、居場所がなくなったこどもたち、望まれないこどもたちをみんな預かることができる、最強のこども施設を作ることだ。昨今、幼児、こどもの虐待がメディアでもとりあげられているが、こどもが邪魔で虐待するなら、こちらで預かるので、ぜひ、ください、と言わんばかりの施設を作ることを夢見ている。その施設に入ると、こどもたちは安心して住むことができるだけでなく、しっかりと教育も受けて、成長することができる。勿論、費用はかからない。すべて施設側が負担するのだ。また、同時に特定妊婦にも住まいを提供し、若い女性がこどもを安心して生める環境も提供したい。行きつくところ、こどもの命を守る働きをしたい、というのが自分の夢になっている。そのために一生懸命働き、そこで得た収入を、こどもたちの命のために注ぎ込む。これが夢の骨子だ。

夢ははかない夢もある。しかし、現実となる夢もある。どちらに転ぶかは神様のみが知っている。そんな神様の恵にあずかることができれば、もしかして夢が実現するかもしれない。だからこそ、まだ、頑張って生きていこうと思う。

Rick - 中島尚彦 -

1957年東京生まれ。10代で米国にテニス留学。南カリフォルニア大学、ウォートン・ビジネススクールを経て、フラー神学大学院卒。GIT(Guitar Institute of Technology)第2期生のギタリスト。80年代にキリスト教会の牧師を務め、音楽ミニストリーに従事しながら、アメリカで不動産会社を起業。1989年、早稲田でライブハウス「ペトラクラブ」をオープン。1993年千葉県成田市でサウンドハウスを創業。2001年、月間地域新聞日本シティージャーナルを発刊。主幹ライターして「日本とユダヤのハーモニー」の連載をスタートし、2010年よりwww.historyjp.com を通じて新しい切り口から古代史の流れをわかりやすく解説。2023年、一般財団法人サウンドハウスこどものみらい財団を創設し、こどもたちの支援にも従事。趣味はアイスホッケー、ピアノ演奏、トレイルラン、登山など。四国八十八ヶ所遍路を22日で巡る。グループ企業の経営指導に携わるかたわら、古代史の研究に取り組み、日本のルーツ解明と精神的復興をライフワークとする。

 
 
 

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