ついに来るべき時が来てしまったのか。数日前のことだった。月1回の内科検診で、あれ、と思ったのが、普段とは違う高い血圧のレベル。いつもは上が130前後で安心しきっていたのに、医師から157だよ、と言われてしまった。でもなぜか、医師はまずいとも何とも言わず、黙って見過ごしてくれていたので、こちらも何ら深く考えることもなく、家に帰った。
その夜のことだった。最近になって頻繁に血圧を測るようにしていたことから、仕事の合間に何となくまた測ってみると、あれ、やっぱり150台で高いな、と少し心配になった。そこで軽い減圧剤25㎎を一錠飲み、これで大丈夫と安心しきって仕事しながら、時折テレビを見ていたその時、体が説明のつかない違和感に襲われはじめた。そしてまた血圧を測ってみると、何これ!170になっている。普段よりも40も高い。そうこうしているうちに、体の中に氷が入ってくるような冷たい感触がじわりじわりと広がり始めた。これはまずい。まさかもっと血圧が上がっているのか!もう一回測定すると、今度は192という見たこともない数字。
なるほど、こうやって高血圧の人は、脳血管がブチ切れて、脳内出血や、くも膜下出血で亡くなってしまうのか、と悪夢が脳裏をよぎる。そういえば、自分の両親はどちらも、くも膜下が原因で死去している。これも年貢の納め時か、と万が一を考え、同居している次男には、自分がもし朝起きてこなかったらよろしく頼むとLINEをしておいた。布団に入ると、高血圧のせいで、手がつめたく感じられ、体が震えてきそうで気持ち悪くなった。こうなったらもう寝てしまい、朝、起きて生きていたら感謝しようと、とにかく寝入ることにした。
翌日、無事に目を覚ますことができたものの、血圧は高いまま。そこで早速、近くの病院に行って、検査を受けることにした。しかしながら、特定の原因を見つけるには至らず、減圧剤の薬だけをもらってくることになる。ところがその日、処方して頂いた薬を飲んだにも関わらず、血圧が下がらないのだ。とにかく翌日まで様子をみることに。幸い、2日目の夜には150まで下がってきたが、それでもまだ高い。そして何とかその原因をつきとめようとしたが、医者も教えてくれなかったように、わかりようがなかった。
実はこの血圧事件の前、もうひとつ大変な体験を経ていて、それがまだ尾を引いていたのだった。2週間前のこと、朝、起きてみると、うん?寝違えたのかな、と思うほど、首が痛かった。自分にぴったり合う枕を使っているし、寝相はとても良い方なので、寝違える、なんてことはこの何十年間、体験したことがない。まあ、仕方がないことか、数日もたてば痛みはなくなり、首は元通りになる、と思い特に心配はしなかった。
ところがその翌日、とんでもないことがおきてしまった。何と、これまで体験したことのないようなひどい激痛が、首と肩の周りをはしった。痛みには慣れていることもあり、ちょっとやそっとではくじける自分ではない。ところがこの痛みは半端なく自分を襲い、時折、「ワ~!」と大声を出してしまうほど強烈だったのだ。しかも、手元にあるロキソニンをいくら飲んでも全く効き目がない!こんな状態では仕事など手につくわけもなく、とにかく病院に行って検査をお願いすることにした。
レントゲン検査の結果わかったことは、以前、患ったことがある軽い頸椎症が悪化して、頸椎ヘルニアになっているということだった。しかしながら、激痛だけで、まだ腕が痺れているわけでもなかったことから、医師の判断でMRI検査はパスして、とにかく強めの痛み止めを処方して様子をみることとなった。残念なことに、この痛み止めもほとんど効き目がなく、何日も激痛に襲われる日々が続くことになる。そしてセカンドオピニオンをもらうため、違う病院に行っても、医師の結論は、ほぼ一緒。多少、処方する薬が違うくらいで、あとは薬が自分に合う、合わない、程度の違いであり、何ら変わりはなかった。そしてネットでいろいろな情報を調べてみても、確かに、手足がしびれてないことから、痛みだけだったらやがて収まってくるようにも思えてきた。
そして4日前、この激痛が始まってからもう10日も経った頃、さらなる異変がおきた。激痛はだんだんと和らいできて、もうすぐ治るかなと思っていた矢先、突然、首や肩、背中がスーッとする感じを覚えた。ちょうど、サロンパスやロキソニンのテープのような消炎剤のシールを貼ったように、スーッと冷たい感じが何時間も続いた。あれ、なにか塗ったのかな?と考えたほど、奇妙なフィーリングだった。その翌日、驚いたことに、あのスーッと感じていた部分が麻痺し、触っても何も感じない部分が広範囲に広がっていた。手の痺れをバイパスして、いっきに麻痺してしまったのだろうか?よくよく考えてみると、激痛がはしっていた首、肩、肩甲骨の上部の広いエリアが麻痺していたのだ。
もしかして頸椎ヘルニアが一気に悪化してしまい、手のしびれを超えて、首、肩の麻痺となってしまったのかと不安になってきた。さらにおかしなことに、排尿障害も同時におき始めていた。簡単に言うと、おしっこがでるまで、すごく長い時間がかかるし、量が少ないので、頻繁にトイレに行く、ということだ。最初はあれっ?と思う程度だったが、さすがに2日目は、病気だ!と確信した。そしてネット上でいろいろと情報を検索して調べてみた。すると、やっとのことでなんとなく全容が見えてきたのだった。
まず、突如自分を襲った高血圧の原因は、この頸椎ヘルニアだったことがわかってきた。あまりの激痛から、高血圧になることがあるということだ。よってこれは減圧剤の量をうまく調整することによって対処療法が可能なので、心配はなくなった。しかし痛みは減っても肩を中心に広範囲で麻痺しているということは、頸椎ヘルニアの症状が悪化している可能性が高いということだ。その結果、排尿障害も起きている。そしてこのまま放置しておくと、自然治癒の可能性が徐々に低くなり、手術しなければならなくなることも理解できた。そして頸椎ヘルニアの手術は何だかんだいっても、後遺症が残る可能性があり、できれば避けた方がよい、ということだ。
そこでついさっき、病院に行き、その症状と経緯を話すと、早速MRI検査の予約となり、2日後に検査して即日、結果がわかることになる。病名はまだ断定できないが、おそらく頸椎椎間板ヘルニア、もしくは稀に発症する頸椎リウマチかもしれないようだ。
病名はともかくとして、ひとつのことだけは確実に身に染みてわかった。これ以上、今の自分の首をいじめると、首を絞める、すなわち本当に頸椎をダメにして手術しなければならなくなる、ということ。よって、もうランニングは首に衝撃を与えることから走れなくなり、仕事する時も、前かがみになってストレートネックを助長するのも、絶対にだめとわかった。長時間労働が厳禁となる。睡眠不足もだめ。そうでなくても首回りの筋肉が固まっており、風呂にでもゆっくり入ってのんびりしなければならない。こうして改善しなければならない生活習慣が、どんどんとリストアップされ、それを実行しなければ、「あなたはおしまいよ。。。」と言われんばかりに首地獄が目前に迫っている。本当の闘いは、これからはじまる。
つまらんことをいっぱい書いた。それでもだれかのためになれば感謝だ。はっきり言って、頸椎ヘルニアになった理由は自分が一番良く知っている。3つの原因がある。まず、長年にわたる長時間のPC作業。今もって連日、5~10時間はこなしてきている。これがもう、限界に達しているということだ。これまでは飛行機に乗って10時間ぶっ続けでノートPCをいじっていた、なんて頑張っていたが、その結末が、頸椎ヘルニアだ。振り返ってみれば、よく20数年も続いたものだ。
2つ目の原因が、竹ヶ島のハードワークだ。島を綺麗に整備するという作業に取り組み、かれこれ10年の月日が経つ。その間の苦労は言葉では言いつくせない。雑木林を整備して、ジャングルを公園化する作業は、よほどの覚悟がなければできない。そしてチェーンソーで雑木を切って綺麗にしていく作業が続いた結果、首を痛めていたのだ。なぜなら、チェーンソーは危険な作業であり、神経を集中して下を向いて、手足に力をこめて切る作業故、それを長時間実行すると、首がこちこちに固まってしまうのだ。よって、過去、何度も首が固まり、地元のマッサージの先生から注意をうけながらほぐしてもらってきた。それも限界に達してしまったのだ。
もうひとつの原因が、長距離のマラソン、トレイルラン、そしてつい最近走り終えた1200㎞の遍路みちだ。長時間のランニングは背中と腰、首にものすごい負担がかかる。ましてや走り遍路ともなると、1日12時間、ぶっ続けで走ることになる。すると途中から段々と首を支えることができなくなり、うつむきかげんでひたすら走り続けることになる。それ故、大変な負担が首にかかるだけでなく、それが長時間続くのだ。体に言い訳ができない。これら3つの苦行を長年にわたり実践した結果、自分の首が遂に、「まいった!」「降参!」と音を上げて、ギブアップした。
さて、ここまで書くと、なんでそんな無理をしてきたのですか?と言う質問が飛んできそうだ。自業自得ですよ、と言われんばかりに、非難されることもあるだろうと思う。大事なことを伝えたい。それは頸椎ヘルニアにはなってしまったが、悔いはないということだ。もし、そうなることが事前にわかっていたら、果たしてこの3つの苦行は最初から手をつけなかったか?そう考えてみると、答えは簡単だ。こういう結果になることがわかっていたとしても、この3つの苦行は、絶対に避けられない自分が歩むべき道であり、間違いなく実行していたということだ。
まず、自分の会社は自分が責任をもつしかなく、自分にしかできないことがまだ、多々残されている。また、未だに人間でいえば10代の若者のような会社だ。ひとつ間違えば、暴走族、不登校になりかねないような弱体企業だし、成長期の問題を抱えすぎている。よってまだまだ、関わっていかなければならない。それが自分の責任というものだ。また、竹ヶ島は自分の島、自らが責任をもってその素晴らしさを世に知らしめる務めがある。こればかりは世界でただひとり、自分しかできない。だから、どんな苦労があっても我慢して、島を整備する。たとえ首を痛めたとしても、何度も病院に行ったとしてもだ。最後のトレイルランと遍路ラン。これら全国の山々と四国の遍路を駆け巡る大変な努力から、かけがえのない経験と感動をいっぱいいただいた。これも言葉では言いつくせないほど、あまりに素晴らしい体験を経てきただけに、いかなるコストを払ってでも自分のものとしたい。
人生悔いなしとは、剣の達人が言った言葉だろうか。自分の人生にも悔いはない。今、首を痛めているが、その原因は熟知している。だからあえてその苦しみを今、受けて立っている。そして今日も我慢の日が続く。それでも悔いはない。これまで自分が歩んできた道は素晴らしく、いつか大きく花開く時が来ることを確信しているからに他ならない。首の痛みを抱えながら、なんでこんな長い原稿を飛行機の中で書いているのか、今日も不思議に思う。
