ここから本文です

四国八十八ヶ所遍路 涙の結願 22日にわたる区切り打ちの走り遍路は想い出がいっぱい!

2024-05-20

テーマ:サウンドハウス創業者のコラム「Rickの本寝言」

Rickの本寝言 サウンドハウス創業者が本音をついつい寝言でつぶやく!

2024年5月17日、1200kmにわたる四国88ヶ所遍路巡りを22日で完結するというチャレンジも、遂に最終日を迎えた。第85番八栗寺から第88番大窪寺へ向かい、そこで結願した後、出発地点である第1番霊山寺へとさらに進む、68kmの道のりだ。当日、天気は素晴らしいものの、午後には気温が27度まであがり、特にアスファルトの道路上では体感温度が30度を大きく超えることが推測された。最後まで油断はできず、自分との熾烈な戦いが続く。

遍路みちを進む方法は今日、いくつもの種類がある。大昔から歩き遍路が基本ではあるが、最近では車やバス、タクシーを利用する人がほとんどだ。また自転車やバイクを利用して行く方もいる。自分の場合は「走り遍路」と言う。時間に限りがあり、歩いている時間がもったいないので、ひたすら力の限り走るというスタイルを貫く。

早朝、第85番八栗寺の境内から出発だ。足の親指の爪が剥がれかけており、その他の指も内出血が完治してないままの旅立ちのため、体の状態は万全とは言えないが、それもまた人生。前日にしっかりとテーピングして進むことになる。出発前にロキソニンを2錠飲んだこともあり、さほど痛みを感じることなく、無難に第86番志度寺、第87番長尾寺までの13kmを快適に走ることができた。そして最後、第88番大窪寺に向かう心の準備も兼ねて、長尾寺のベンチに座っていた矢先、横に座っているおじいちゃんが何気なく声をかけてきた。「お遍路さんですか?」と。無論そのとおりであることから、これから大窪寺へ向かい、そこから第1番霊山寺まで行くことをお伝えした。すると、おじいちゃんの熱弁が始まった。

これも天の導きだろうか。とても参考になる話ばかりで、単におせっかいな人という印象ではなかった。あくまで地元の方、遍路を知り尽くしている人が語り部としてお話をしている感があり、じっくりと聞き入ってしまうことに。最初のポイントは、第88番大窪寺まで到達することを「結願」(けちがん)と言い、そして第1番霊山寺まで戻ってくることを「満願」ということだった。そう言えばどこかで耳にした言葉だが、すっかり忘れていた。次のポイントは、長尾寺から最後の大窪寺へと向かう道が3通りあるということ。車道を行くバス通りコース、峠の眺めが良い遍路みちコース、そして険しい山道から女体山の頂上を通っていく四国のみちコースだ。わざわざ地図が掲載されている標識の前まで連れていってくださり、そこで説明をしていただいた。無論、登山に慣れている自分にとって選択肢はただひとつ、四国のみちコースしかない。

3つ目のポイントが重要だった。八十八ヶ所を歩き遍路で全部回った人は、お遍路交流サロンにて賞状をいただけるとのこと。これは初耳だった。しかもその交流サロンとは第88番大窪寺へ向かう途中の遍路みち沿いにあることから、時間の無駄もない。一生に一回、またとない機会だ。苦労して辿り着いた遍路みちの最終地点にて賞状がもらえるならば、それにこしたことはないと思えた。最後におじいちゃんがぽろりと仰ったのは、大窪寺の境内そばにはうどん屋があり、とにかくそこが美味しいから食べるといいよと、ということ。無論、腹ペコになっていたので、そのうどん屋の味に期待がふくらむ。

早速、長尾寺を後にして、お遍路交流サロンへと向かった。すると通りの左側に真新しい建物にも見える交流館が見えてきた。そこには「へんろ資料展示室」も併設されている。四国八十八ヶ所遍路の歴史も含め、さまざまな展示物があり、とても参考になる! 館内に入っていくと、すぐに女性スタッフから声をかけられた。「お遍路さんですか?」と。そこで第1番から第88番までを本日完走することから、賞状をいただけるんですかと聞くと、申請書を手渡された。そこに名前や住所、そしていつから遍路をスタートし、いつ終わるかを書き込んだ。提出して数分後だろうか、スタッフの方が「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」と記載された賞状を持ってこられた。そして授与式のようにきちんと手渡してくださり、「おめでとうございます!」と話しかけていただいた。

長尾寺のおじいちゃんに賞状の存在を教えられ、実際にその任命書を手にした時、何か不思議な気持ちになった。これまでの遍路みちの大変だったこと、つらかったこと、苦しかったことは数えきれないほどあるが、それらがふと、良い思い出のごとくオブラートに包まれて天に舞い上がるような思いになり、気が付くと目からは涙が溢れていた。あまりの感動に、ひさびさに自然と泣けた一瞬であった。賞状をいただいたことが嬉しすぎて、というのが本音だったのかもしれない。まさか遍路大使任命書をいただけるなど、夢にも思わなかったことである。

その後、難関とも言われている四国のみちコースを走り抜けて、第88番大窪寺に到達し、結願となった。大窪寺への山道では、長い峠道の最後の下り階段が続く。そしてもうすぐ遍路みちの旅も終わり、結願となる、と思うと感動のあまり嬉し涙がこぼれそうになる。それほど22日間で八十八ヶ所の遍路みちを巡り、廻るということが、自分にとってはとてつもないチャレンジであったということなのだろう。大窪寺では、会社のスタッフだけでなく、朝日新聞の記者の方も待っていてくださった。汗だくになって走ってくる自分の姿をカメラに収めていたのではないかと推測する。そして境内に入った後は、本殿の前にて祈りを捧げ、周辺を散策しながら写真を撮り続けた。

その後、新聞社のインタビューということで、門の前でカメラを回しながら、質疑応答のようなスタイルで話が始まった。そしていくつかの質問が続いたあと、この遍路みちを回ることで印象に残ったことは何がありますか?という質問を受けた。いろいろな思いが脳裏を駆け巡る中、22日間の間に出会った人たちの思い出が、一気に蘇ってきた。岩屋寺へ向かう途中、朝から4時間何も食べずに走っていてもうやばい、と思っていた時、お店がまだ開いてないにも関わらず美味しいピラフを作ってくださった「太陽がいっぱい」の女将、同じく道中腹ペコでどこも食べるところがなかった時、最高に美味しいチキンカレーを300円で作ってくれた「まがったとこ」のおばちゃん、居酒屋で夕食をいただいている時、空海に関する地元の伝承を熱心に教えてくれた「ほづみ亭」のおばあちゃん、高知のお酒は全部あるよと、丁寧にそれぞれを説明してくれた室戸岬にある岬観光ホテルのご主人など、四国の遍路は人々との大切な出会いの場でもあったのだ。そんな思い出が一気に蘇ってきて、言葉につまり涙してしまうことに。嬉し涙なのだろう。

こうして結願、満願を経て、次なる人生のステップに向かうことになる。これからも人生におけるいろいろなチャレンジ、難関が待ち構えているに違いない。しかしどんな時でも、正しい道を歩み続ける努力を惜しまず、ひたすら精進するならば、必ず天からは助けの手が差し伸べられ、周囲にはお互いを支え合う心優しい人たちが存在することを確信してやまない。人生、まだまだこれからが楽しみだ!

Rick - 中島尚彦 -

1957年東京生まれ。10代で米国にテニス留学。南カリフォルニア大学、ウォートン・ビジネススクールを経て、フラー神学大学院卒。GIT(Guitar Institute of Technology)第2期生のギタリスト。80年代にキリスト教会の牧師を務め、音楽ミニストリーに従事しながら、アメリカで不動産会社を起業。1989年、早稲田でライブハウス「ペトラクラブ」をオープン。1993年千葉県成田市でサウンドハウスを創業。2001年、月間地域新聞日本シティージャーナルを発刊。主幹ライターして「日本とユダヤのハーモニー」の連載をスタートし、2010年よりwww.historyjp.com を通じて新しい切り口から古代史の流れをわかりやすく解説。2023年、一般財団法人サウンドハウスこどものみらい財団を創設し、こどもたちの支援にも従事。趣味はアイスホッケー、ピアノ演奏、トレイルラン、登山など。四国八十八ヶ所遍路を22日で巡る。グループ企業の経営指導に携わるかたわら、古代史の研究に取り組み、日本のルーツ解明と精神的復興をライフワークとする。

 
 
 
サウンドマートスキル出品を探す サウンドナビアフィリエイト記事を書く

カテゴリーから探す

翻訳記事

ブログカレンダー

2025年4月

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30

ブランドから探す

ブランド一覧を見る
FACEBOOK LINE YouTube X Instagram TikTok