ここから本文です

出会いと別れは紙一重 人生の旅路における出会いの結末には別れがある!

2024-03-18

テーマ:サウンドハウス創業者のコラム「Rickの本寝言」

Rickの本寝言 サウンドハウス創業者が本音をついつい寝言でつぶやく!

14歳の時に家を出て見知らぬアメリカへと旅立ち、それからというもの、自分の道はいつも自分で切り拓いていかなければならなかった。すると、いつしか自分の心の中には精神的なたくましさが培われていったようだ。新天地では一人ぼっちになることは当たり前であったことから、それに慣れきってしまったのだろうか。一人でいても、別段寂しいと思うことはなかったように思う。また、我が家の家庭環境は崩壊していたことから、自分にはホームシックになるような帰りたい実家が存在しなかったことも功を奏した。寂しい思いにかられることなく、10代の日々を過ごすことになる。

それから長い年月が過ぎたある日、そんな自分がめずらしく寂しい思いにかられたことがある。「ああ、寂しいというのはこういうことなのか。。。」と、初めて気が付いた出来事を振り返ってみた。かれこれ14-5年も前のことだろうか。いろいろな家族間の問題が山積みとなり、離婚して4人の子どもの親権者となった自分は、会社における社長業という激務をこなしながら、日々、子育てに追われていた。子どもを悪く言うつもりはないが、上の3人に係わるさまざまな問題が勃発し、その後始末にいつも必死にチャレンジしていたのを今でも覚えている。

父親としての自分の役割とは、子どもたちが二十歳、すなわち大人になるまでは、きちんと面倒を見るということだった。そしてそれぞれが、それまでにひとり立ちできるように、教育の場を提供することだった。そのため、仕事の合間をぬっては塾や習い事の送り迎えに追われ、てんやわんやの毎日が続いていた。ところがその努力もむなしく、上の子どもたち3人が全員10代になった頃、中学受験からのストレスや家庭環境の問題もあったのだろうか、問題が同時多発した。ひとりは週末になると黙って友達と夜遊びに出て、夜半すぎまで家に帰ってこなくなった。もうひとりは中学受験を5校、全滅した。最後のひとりは自信過剰になり、勉強をやめてふらふらしはじめた。想定外の出来事の連続に限界を感じていた。

その結果、日々どたばたを繰り返しながら、行きついた結論は、3人ともアメリカの全寮制の中学に入学させるということだった。その結論に達してからの労苦は、あまりに大変であり、言葉では説明することもできない。それからというもの、1年以上をかけて幾度となく子どもたちを連れてアメリカの学校に面談を受けに出向いていた。俗に言う面接試験だ。その結果、見事、3人とも合格し、内2人は同じ学校、もう一人は違う学校となり、3人の子どもたちが一斉にアメリカに長期留学をすることになったのだ。

そして遂に時がやってきた。3人が一緒にアメリカへと旅立つ日が来たのだ。無論、アメリカまで自分が同行した。そしてレンタカーを空港で借りて、米国東海岸にある2つの学校を何時間もかけて行き来し、子どもたちがキャンパス内の寮に入居して落ち着くまで付き添うことになる。これには大変な労苦が伴う。仕事の疲れだけでなく、時差もあり、おまけに長時間運転をしなければならず、体は疲労困憊の限界に達していた。それでもやるべきことはきちんと成さねばならず、頑張って子どもたちをそれぞれの学校まで送り届けた。そして遂にプロジェクトは完結!3人に別れを告げて、アメリカから飛行機に乗って帰国の途に着いた。それまでのあまりに過激なスケジュールから、身も心も疲れ果ててボロボロになっていた自分が飛行機の中にいた。

そして東京に戻ってきて、玄関のドアを開けて電気をつけた瞬間、突如として、これまで感じたことのない思いにかられることになる。それはあまりに衝撃的な出来事だった。玄関の電気がぱっとつくも、当然ながら家の中はシーンと静まり返っている。もはや誰もいない、自分だけの家だ。その一瞬の静けさに、自分がのまれてしまったのだろうか。言葉ではうまく説明できないが、突然、何とも言えない虚しさ、寂しさにかられて、どうしていいかわからなくなってしまった。この自分を襲った「寂しい!」という思いは何なのだろうか。本当にひとりになってしまったことから、思いもよらず心の空白を切に感じたのだ。ふと、新しい自分を見出したような気がした。いつもそばにいる人が突然いなくなることの寂しさとは、こういうものなのかと、考えさせられた出来事であった。幸いにも、その寂しさは半日も続くことはなく、翌日はいつも通りの自分に戻っていた。

出会いがあれば、別れの日はいつか訪れる。そんな寂しさを味わいたくない、というならば、最初から一人で暮らしていればよい。誰とも会わなければよい。結婚もしなければよい。無論、子どもも、いない方がよい。誰とも付き合いがなければ、失う友も家族も子どもも存在しないことになり、さぞかし気楽になるのでは?そもそも人間関係なんかめんどうくさい、と思っている若者も少なくないはずだ。男女のお付き合いにしてもしかり。いずれ別れるのがおち、と思うならば、そしてそれがつらい思いになる可能性があるならば、最初から恋などしなければ良いのでは?

でも決してそんなことはないと言いたい。確かに出会いには、別れのリスクが伴う。心が傷つく可能性が生じる。それでも出会いから生まれる多くの感動には代えがたいものがある。そして多くの心温まる出来事にも時には慰められ、力づけられ、いつまでも心の片隅に残るような良き思い出も少なくないはずだ。よって、時には心の傷となって苦しい思いをするリスクが残されているとしても、共に過ごした時間と喜び、感動はいつまでも心に刻まれることから、出会いを前向きに受け入れるべきではないだろうか。

今日の複雑な人間社会においては、決して一人で生きていくことはできない。いずれ誰かと出会い、誰かと接することになり、そこに人間関係が生まれる。そして出会いがある所には、いつしか別れが訪れる。別れの原因もさまざまだ。人生の大切な節目における祝福された別れならまだしも、時には人間関係の決裂による喧嘩別れ、離婚、いがみ合いによる殺傷事件や、愛する人の失踪、そして死も、別れの原因となる。

それでも僕らは生きていく限り出会いがあるのだから、その出会いを大切にするべきではないだろうか。例え、それが時には苦しくつらい別れの話になったとしても、時にはとてつもない淋しさとせつなさに襲われることになったとしてもだ。何故なら、出会いによってうまれる友情と愛、そして喜びや感動のモーメントがある限り、誰もが心の中に暖かい思いをもち、生きていることの素晴らしさを、より実感できるからだ。そうして友達もできるようになり、家族もできて子どもが誕生することもある。

人生を思いっきり楽しむならば、より多くの出会いに恵まれた方がよい。世界観が変わってくる。人との付き合い方も知ることができる。そして何よりも、心が満たされる体験をするチャンスが生まれてくるのだ。だからこそ自分は、別れのリスクは我慢することにした。たとえそれが、どんなにつらい試練になる可能性を秘めていたとしても。この記事は、大好きだった友達、でももう会えなくなってしまったノアに捧げたい。突然いなくなり、もう会えなくなってしまってとても寂しいけど、でも、その気持ちを乗り越えて、僕はこれからも生きていく!

Rick - 中島尚彦 -

1957年東京生まれ。10代で米国にテニス留学。南カリフォルニア大学、ウォートン・ビジネススクールを経て、フラー神学大学院卒。GIT(Guitar Institute of Technology)第2期生のギタリスト。80年代にキリスト教会の牧師を務め、音楽ミニストリーに従事しながら、アメリカで不動産会社を起業。1989年、早稲田でライブハウス「ペトラクラブ」をオープン。1993年千葉県成田市でサウンドハウスを創業。2001年、月間地域新聞日本シティージャーナルを発刊。主幹ライターして「日本とユダヤのハーモニー」の連載をスタートし、2010年よりwww.historyjp.com を通じて新しい切り口から古代史の流れをわかりやすく解説。2023年、一般財団法人サウンドハウスこどものみらい財団を創設し、こどもたちの支援にも従事。趣味はアイスホッケー、ピアノ演奏、トレイルラン、登山など。四国八十八ヶ所遍路を22日で巡る。グループ企業の経営指導に携わるかたわら、古代史の研究に取り組み、日本のルーツ解明と精神的復興をライフワークとする。

 
 
 
サウンドマートスキル出品を探す サウンドナビアフィリエイト記事を書く

カテゴリーから探す

翻訳記事

ブログカレンダー

2025年4月

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30

ブランドから探す

ブランド一覧を見る
FACEBOOK LINE YouTube X Instagram TikTok