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命の日のある限り ミッチー君との想い出を振り返る

2023-11-06

テーマ:サウンドハウス創業者のコラム「Rickの本寝言」

Rickの本寝言 サウンドハウス創業者が本音をついつい寝言でつぶやく!

今、石巻のホテルで開催されている渡辺香津美のコンサートに聴き入っている。ピアノとギターが奏でる美しいデュエットの曲が続く中、両親を亡くした子供たちが虹を見る時に、「また、いつかきっと会えるよね!」と思いを寄せることを奏でた曲が始まった。何故かジーンとくる。大切な人を失った時、悲しみのあまり人は自分を見失い、絶望する。でも、虹を見て、ふと未来に希望を覚え、つらくても頑張って生きていこうと、また生きる勇気が生まれてくる。生と死のはざまに生きていく人間にとって、やはり大切なものは、今、与えられている命だ。

できることなら、あの人にもう一度会いたい、そんな人が自分にもいるかな。。。とふと考えてみた。何十年も会っておらず、生きているかどうかもわからない友も複数思い浮かぶ。自身の人生も後半戦、60代も過ぎてくると、周囲には亡くなる友も徐々に増えてくる。また会いたいと思う友は、少なくはない。が、よくよく考えてみると、今、一番会いたいな、と思うのが、意外にもサウンドハウスの創業メンバーであるミッチー君であることに気が付いた。

まだ自分がアメリカで独身生活を送っていた頃、彼はいつも僕のことを家で待っていてくれた。どんなに遅く家に帰ってきた時も、いつも笑顔で僕のことを迎えてくれた。時には僕の帰りがあまりに遅すぎて、ストレスのあまりだろうか、キッチンのど真ん中にウンチをして、「てめー、帰りがおそいぞ!」とクレームを言わんばかりに隅っこでうずくまり、自分を睨みつける時もあった。何か後ろめたい気持ちでもあったのだろうか。また、時には裏庭に穴を掘り、もぐら退治を楽しみながら暇をつぶしていたようであり、裏庭が穴ぼこだらけになっているのには驚いた。何だかんだ表情豊かにつぶやいていたような雰囲気だったが、それでもやはり、僕のことをいつも待っていてくれた。

幻の名犬、サンストリーク

そんなミッチー君と一緒に1988年、アメリカから日本に戻ってきた。ミッチー君は良家の出身だ。両親の血統は素晴らしく、父親は幻の名犬としてゴールデンレトリバーの歴史に名を残したサンストリークの孫にあたる。その素晴らしい血統ということもあり、ミッチー君の骨格はしっかりとし、毛並みもけた外れに綺麗だった。ところが一緒の飛行機に乗って日本に帰国した直後、想定外の出来事に遭遇することとなる。

当時の検疫は、動物虐待と言われても仕方のないほど、一方的な非人道的(犬動的)ルールが入国した際に押し付けられていた。その結果、長期の検疫期間を避けることができず、ミッチー君は何と2か月も成田空港管轄の検疫小屋、すなわち小さい檻の中に閉じ込められてしまったのだ。そもそも3年間、アメリカの自由な空間と屋外の芝生という、ゆとり環境でのびのびと過ごしてきただけに、突如として小さな犬小屋にぶちこまれて拘束されたショックは大きかったはずだ。それは人間が突如、牢屋に入れられ、密室で2か月間、過ごすのと一緒だ。果たして、誰が耐えられるだろうか。自分ならば気が狂うと思う。この部屋から出してくれー!と叫んでも、誰も聞いてくれない独房の生活。考えるだけでも恐ろしい。が、それがミッチー君の身に起こった。

結果は悲惨だった。ミッチー君は可哀そうなことに、精神的にこけてしまったのだ。2か月後に検疫から出所した時には、無残にも彼はやせ細り、骨と皮だけになっていた。すぐに動物病院に連れて行き、先生の診察を受けるとやはり、栄養失調との診断が下った。これが日本の検疫の実態かと思うと、いたたまれない気持ちになる。突如として檻の中に閉じ込められた犬は、精神的にまいってしまい、まともに食べることもできず、骨と皮だけになっていくのである。誰かに「ばかやろー」と怒鳴りたくもなるが、その相手が誰かもわからない。それが行政の罠というものなのか。

その後、ミッチー君は徐々に元気を取り戻し、いつしかサウンドハウスの社員として、毎日、出社することになった。創業当初から山田洋服店のお庭番をしながら、不審者が来ると、大声で吠えてくれた。また、車で移動する際も、ピックアップ・トラックの荷台が空いていれば、そこにぴょんと飛び乗り、車が動きだすと風を切るように荷台から頭を突き出すのを楽しみにしていた。そしてライオンズマンション前の新館に引っ越してからは、いつもオフィス内をたむろし、おやつをくれる人のそばでこっそりとおねだりをしていた。いつしかミッチー君は、サウンドハウスのマスコットになっていた。

そして大和の湯がオープンして経営が軌道にのってきた後は、ミッチー君の居場所は温泉が中心となった。温泉のスタッフからも可愛がられ、ほぼ放し飼いのように彼は、温泉の周辺をいつも、勝手に散歩していた。そんなある日、温泉のスタッフから電話がかかってきて、ミッチー君が亡くなったことを突如、告げられた。温泉の裏口のドアの前で、静かに横たわっていたそうだ。そう言えば、亡くなる数日前、一緒に散歩していた時、何故かミッチー君が歩くのを拒み、立ちすくんでいたことを思い出した。その時、相当、具合が悪かったのだろう。それに気が付くことができず、何で歩かないの?と安易に思ってしまったことが悔やまれる。

もう少し、気をかけてあげることができたら、彼が安らかに永遠の眠りにつけるよう、愛の手を差し伸べることができただろうにと思うと、申し訳ない気持ちになる。でも、大切なことは、その温かい思いが心の中にあることだ。そしていつまでも良き想い出として、心の中には希望の虹がかかっていること。死は終わりではない。そこからまた新しい命が続く。魂は永遠に生かされている。それは人もミッチー君も一緒だろう。きっとまた会える日が来る。だからいつまでも心の虹を大切にしたい。

倉庫でみんなの仕事を眺めるミッチー君

Rick - 中島尚彦 -

1957年東京生まれ。10代で米国にテニス留学。南カリフォルニア大学、ウォートン・ビジネススクールを経て、フラー神学大学院卒。GIT(Guitar Institute of Technology)第2期生のギタリスト。80年代にキリスト教会の牧師を務め、音楽ミニストリーに従事しながら、アメリカで不動産会社を起業。1989年、早稲田でライブハウス「ペトラクラブ」をオープン。1993年千葉県成田市でサウンドハウスを創業。2001年、月間地域新聞日本シティージャーナルを発刊。主幹ライターして「日本とユダヤのハーモニー」の連載をスタートし、2010年よりwww.historyjp.com を通じて新しい切り口から古代史の流れをわかりやすく解説。2023年、一般財団法人サウンドハウスこどものみらい財団を創設し、こどもたちの支援にも従事。趣味はアイスホッケー、ピアノ演奏、トレイルラン、登山など。四国八十八ヶ所遍路を22日で巡る。グループ企業の経営指導に携わるかたわら、古代史の研究に取り組み、日本のルーツ解明と精神的復興をライフワークとする。

 
 
 
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