人間には限界がある。誰しもさまざまなリミットを感じながら、日々を過ごしている。それでも自分の本当の限界を知っている人は、おそらくいないのではと、ふと考えてしまう。誰でも日常生活において嫌なことが積み重なると、感情に任せて、「もう限界!」などと嘆くことがあるのではないだろうか。でもそんなのは限界でも何でもないことがほとんどなはずだ。ほんまもんの極限とは何ぞや?そんな自らの限界を体験できるような機会が訪れた。
四国八十八ヶ所遍路を進み始めて延べ4日が経つ。既に第十九番立江寺まで到達していることから、そこから先は、難関と言われる鶴林寺から太龍寺への遍路道が待っている。そもそも全長1400kmを超える遍路だけに、一か月30日で回ろうとするならば、1日50kmほど進んで行かなければならない。平らな道だけだったらまだしも、途中、山道も多いことから、前途多難なタスクと言わざるをえない。しかも遍路とは、日の出から日の入りまでの時間に足を運ぶのがルール。よって最長10~12時間がタイムリミットだ。するとどんな急斜面や、歩行困難な山道に遭遇したとしても、平均的なスピードとして時速5kmで行かなければならないのだ。それ故、30日で遍路全部を巡るというのは、至難の業と言わざるをえない。
これまでの4日間の道のりを計算してみた。しょうもないことに、たった109kmしか進んでいない!すでに2日分、遅れをとっている。それも仕方ないことに、1日目は炎天下の猛暑日で、脱水症状にてギブアップ。2日目は足の故障で、焼山寺までの目的地に到達できず。3日目は気合を入れ直し、ほぼ限界に近いレベルで最難関の焼山寺から大日寺、観音寺まではクリア。しかし4日目は鶴林寺まで行けず、立江寺で時間切れとなってしまった。だからこそ、この5日目が、自分の力が試される試金石となる。焼山寺への山道と並び、鶴林寺から太龍寺への道のりも長く、険しいらしい。その後、平等寺までぐるりとUターンしてくるのだから、長い距離になる。しかもそこからさらに、次の第二十三番薬王寺まで一気に行くことを目指す訳だから、正に自分の限界のように思えてきた。
徳島の地理を理解している人なら、すぐにわかってもらえるはずだ。立江寺とは、実は小松島にあるサウンドハウス徳島オフィスのすぐそばにある。そこから西方に向かって山を登っていくと、鶴林寺に到達する。そこからさらに山を上り下りしながら進むと、途中には若杉山遺跡があり、その先には第二十一番太龍寺がある。そこには西日本で最長と言われる全長2775mのロープ―ウェイがある。その太龍寺からは、長い道のりを下山しながら、阿南市の南に位置する平等寺まで行くのだ。立江寺からの距離は既に30kmを超えており、山道も重なることから、普通はそこで完結する。しかしながら既に2日ロスをしているので、これ以上の遅延は許されない(と自分に言い聞かせる)。よって、限界へのチャレンジが脳裏をよぎる。ぱっと思い浮かぶのは、立江寺から鶴林寺、太龍寺、平等寺を巡り、日和佐の薬王寺まで到達する、という大胆な目標だ。それは徳島県民にとっては、小松島から日和佐までを自らの足で半日かけて旅するだけでなく、その途中、鶴林寺と太龍寺、平等寺にも寄り道をするということなのだ。想像できるだろうか。
ということで、延べ5日目の遍路道は、天気予報で晴れとなっていた10月26日に決行することにした。早朝6時半、立江駅まで車で行き、そこがスタートポイントとなる。帰りは薬王寺がある日和佐駅から汽車に乗り、立江まで戻り、そこから車で徳島まで戻るというプランだ。第十九番立江寺から鶴林寺、太龍寺へと山道を登り、そこから平等寺までが30km。正直、それがどれくらいきついかわからない。そして最終目的地は20km先の第二十三番薬王寺だ。これこそ、自分の限界のように思えてきた。途中で力尽きるか、怪我をするかもしれず、リタイアを覚悟で挑戦だ。目指すは薬王寺!果たして結果はいかに!
7時間かけて平等寺に辿り着いた時は正直、精魂尽き果てていて、そこから汽車に乗って帰ろうと何度も思う。「わーー、限界だ。」「もう疲れた。。。」「これ以上、無理したら足をまた、怪我する!」と、体は悲鳴をあげていた。しかも脱水症状を感じ始めていた。汗をかきすぎて、いくら水を飲んでも汗で出て行ってしまうことから、口が乾く。ちょっと危険な状態だ。しかし冷静になって考えてみると、もし、薬王寺まで行かなければ、次回、6日目の遍路道では平等寺から室戸岬までの距離が95kmとなり、1日の旅では不可能な長距離になってしまうことがわかった。よって、何が何でもこのハードルを乗り越えなければ後がない!と自分に言い聞かせることになる。そして平等寺そばのJR新野駅には目をつぶり、南へ向かって足を運ぶことにした。
その残り20kmが、極めてきついことになる。既に7時間を超えて30kmの山道を進んできており、ここからさらに3時間かかるかもしれないと思うと、ぞっとする。いや、恐怖以外の何物でもない。いつ、自分の足がまた、こけてしまうかもわからないため、不安がつのる。そして途中から棒になる足に対して、ひたすら「絶対止まらない」と言い続け、足を前に出していくことだけに専念する。これが過酷な試練だ。ひたすらポジティブに自分に語りかける。「足を前に」「前に。。」、あ。。昔、こんなトレーニングをマラソンでしたことがあったが、今もってつらすぎると思う。
遂に途中、水も底を尽き、絶体絶命のピンチに陥った時、何もないはずの道沿いにバラックのカフェが一軒、目に入った。有無を問わず、そこの店主に物乞いをし、「すいません、水を一杯ください。。。」とお願いすることに。この一杯の水により、命を長らえることができた。そして水を飲んだ後は、ちょっぴり元気を取り戻し、薬王寺に向けて再び歩き走り始めたのだった。
夕方5時前、既にスタートから10時間を超えてしまったが、無事に薬王寺に到着した。そこで美しい境内をぐるりと見ることができた。そして汽車に乗って帰る前に、30分の時間を使って、薬王寺温泉で一息付くこともできた。ボロボロになった体を癒すには、温泉が一番だ。そこから汽車に乗って立江まで1時間。その長い距離を自らの足で日和佐まで片道かけて来たのかと思うと、感無量だ。
最難関を超えた自信は大きい。次は室戸だ!帰宅後、がたがたになった体で体重を計ったら、何と3kgも痩せてしまっていた。途中、5Lの水を飲んだことから、何と、8Lの汗をかいたことになる。体の中身がすっかり入れ替わった感じがするのも、無理はない。驚くほどに食欲もなく、飲欲もなく、今は単に体が空っぽになったような気分だ。限界に達するということは、こういうことなのかもしれない。すなわち、いっさいは空の空。体が空っぽだ。ゆっくり休み、次の遍路に備えることとする。これ以上の限界突破はもはや、ないことを期待しつつ。
