人生にはハプニングがつきものだ。その極めが女性の父親からの結婚の申し入れではないだろうか。まだ、お会いしてから2回目だというのに、これはいったいどういうことだろうか。しかし今、振り返ってみると、成田に来てからというもの、物事の急展開が多かったことから驚きは隠せなかったものの、心の中では突如として湧き上がってきた結婚話のハプニングを楽しく感じていたようにも思う。これを天の導きと言うのだろうか。そんな祈りの境地から、教会のコンサートにて3回目に彼女に会った時、演奏後に不思議と、「どう思う?」と結婚の話をしている自分がいた。これを「想定外」の出来事といわずして、何と言うべきなのか。。
それから半年後、ついにありえないことが起きてしまった。ギターを抱えてミッチー君と一緒に、縁もゆかりもない成田にきた男性が、まだ、出会ってから半年もたたない敬虔なクリスチャンの女性と、成田市内の加良部にある公園にて結婚式を挙げることになったのだ。なぜ公園か。答えは簡単だ。役所に利用許可をお願いするだけで、使用料がかからないからだ。こんな安い結婚式はない。彼女には申し訳なかったが、結婚指輪も買わなかったように思う。宝石や金目のものが好きでなかったこともあり、大丈夫かなと当初は心配したが、問題なく承諾してくれたように覚えている。今となって後悔することは、自ら公園会場の準備と段取りをしなければならず、式直前まで準備に追われて時間がなくなってしまったために、式の前に床屋に行くこともできなかったことだ。人生いろいろ、まあ、こういう人も珍しいと思われても仕方ない一幕であった。
知人の牧師先生が式を司ってくださり、幸い天候にも恵まれ、結婚式は無事終了した。そして以前、自分が宣教師の働きをしていた時に何度も訪ねたフィリピンにハネムーン旅行に出かけた。短い日数ではあったが、日本に戻ってくると2つの事件に遭遇することとなる。まず、教会におけるコンサートが突如廃止になってしまったのだ。これには正直、驚いた。毎週日曜の夜になると大勢の観衆が集まるようになり、これからだ、という時に、一方的にキャンセルされてしまった。もっと驚いたことは、結婚したばかりの家内の両親が、ほぼ自己破産の状態となり、事業も廃業に追い込まれたことを告げられたことだ。
家内の実家は夫婦2人で経営する小さな洋裁店だった。男性の背広を繕う仕事である。ところが1990年代のはじめ、経済バブルがはじけ始めたことから、お客様の財布のひもが固くなってしまったらしい。そして2人とも人が好かったことから、一生懸命に注文されるままに背広を仕立ててお客様に提供するも、その代金を回収できなくなる羽目に陥ってしまったのだ。「もうすぐ払うよ」、という声をお客様からいただいても実際に支払う人は少なく、待っているうちに仕入れの借財が膨大に膨らみ、借財が一気に1,000万円の大台を超えてしまったことを義理の両親から告げられた。
ありゃりゃ、結婚式を挙げたはいいが、家内の実家は事実上の倒産。教会のコンサートもなくなり、自分は完全にフリーな身。さて、どうするか。答えはただひとつだった。義理の両親のために借財を支払い、銀行ローンの呪縛から解放してあげるために、成田で働こう!そう心に決めた自分がいた。 (次号に続く)
