成田という見知らぬ町で山を探し回りながら、偶然にも見つけた成田温泉は、昭和51年(1976年)、何と週刊現代の特集記事に掲載されていた。地下1100mから湧き出る天然温泉を誇る成田温泉は、一躍脚光を浴びることとなった。その背景には、下総松崎の周辺にアジア屈指の歓楽街を作るという構想が取り沙汰されていて、下総松崎に投資資金を呼び込み、天然温泉施設を中心にホテルやカジノなど、さまざまな娯楽施設を作るという、とてつもなく壮大なプランが話題になっていたのだ。今となって見れば、単なる大風呂敷のマネーゲームとしか考えられないが、当時は真面目に議論されたこともあったようだ。
それでも、このボロボロの成田温泉には、何か秘められたパワーがあるように思えた。それもそのはずだ。周辺を散策すると、その真裏の房総風土記の丘には龍角寺古墳群が広がり、古墳が115基も存在する。しかもその中には全国最大級の大方墳として知られる龍角寺岩屋古墳がある。「岩屋古墳」の「イワヤ」という名称自体、その発音からユダヤの匂いがプンプンしてくる。しかもそこは小高い「丘」である。山を探し歩いていた自分としては少し物足りないが、「丘」ということで山のような存在であることには違いない。しかも岩屋古墳のルーツは由緒ある藤原一族に結び付いているという文献を成田市役所で見つけ、藤原一族もユダヤ系渡来者であると考えていたことから、ますます成田温泉が気になる存在になった。
それにしても、当時の成田温泉はあまりに汚く、ひどく老朽化していたことから、まるで魅力のない施設に思えた。また、房総風土記の丘に隣接するも、下総松崎駅からは歩いて15分もかかり、車による県道からのアクセスも不便であり、探すことさえ難しい場所に位置していた。しかも土地の形状はまるで枝豆のように細長く、資産価値においてはマイナス評価だらけだった。よって買い手などあるはずがない施設に見えた。
しかし何故かしら、この古びた成田温泉が「山」探しの最終到達点と思うようになり、土地の所有者を調べたりしているうちに、裁判所にて競売にかけられていたことがわかった。競売では最低売却価格が裁判所から提示されており、その価格は通常、一般的な市場価格よりもかなり割安になる。そこで当時、自分の母親が投資に凝っていたことから「田舎の天然温泉施設が安く買えるよ!」と声をかけると、何と、即断で「買うよ!」と言うのです。まあ、買ったからといって経営できるような温泉施設でもなく、とにかく老朽化が甚だしかったことからいずれ建て直しをしなければならいことはわかっていた。それでも成田温泉をゲットすることが、なぜか当然のように思えてしかたなかった。
思ったより成田温泉の取得は難しかった。何ごともすんなりいくものではなく、旧経営者との折衝も含め、さまざまな交渉が必要となり、時間を要した。そして半年近くにわたる交渉の結果、やっとの思いで成田温泉を取得することになった。この成田温泉のおかげで、じっくりと腰を据えて成田で生活することができるようになった。成田温泉との話し合いが続いている最中、愛犬ミッチー君とはいつもどおり、毎日のようにあちらこちらを一緒に車で走り回り、散歩をしていた。また、いつもギタ-は欠かさず手元にあり、成田に来る前は、毎週末のように教会で弾いて歌っていたことから、そろそろ落ち着いて、どこか新しい場所で歌いたいな、と思い始めた矢先、衝撃の展開が待ち受けていたのだった。
