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徳島に来た理由 思いもよらぬ再度山との出会いから伊島が浮かぶ

2023-07-24

テーマ:サウンドハウス創業者のコラム「Rickの本寝言」

Rickの本寝言 サウンドハウス創業者が本音をついつい寝言でつぶやく!

昨晩、徳島市内にあるカラオケパブのようなクラブを訪ねに行った。小松島市にあるマッサージ店で店長をしている方の紹介だ。何しろ、そのクラブのママが自分のファンだというのだ。そして是非とも会いたいという伝言を授かっているという。その方は、サウンドハウスの親会社が建てた淡路島北淡の山奥にある淡路記念館まで行ってくださり、そこに隣接する石上神社で参拝もしてきたという。何故、自分の話題になったのか、皆目見当もつかなかったが、とにかく挨拶しに行くことにした。

紺屋町にあるお店は、一見、スナックみたいな感じのこじんまりしたお店だ。何気なく足を運び、軽く挨拶して自己紹介するとすぐに気が付いてくださり、とても喜んでくれた。ママは自分と同年代であり、本当に自分のファンだと言う。そしてすぐさま、いろいろな質問攻めにあった。そこでやはり聞かれたことは、何故、徳島なんですかと。これまで幾度となく、大勢の方々からも質問されてきた。なぜ、徳島に来たのか。。。この際、簡単に説明することにしよう。

徳島に縁もゆかりもない自分が興味をもちはじめたことの発端は1冊の本にあった。ある日、クリスチャン・ライターとして有名な宇野正美氏が書かれた「古代ユダヤは日本に封印された」という本を手にし、むさぼるように読みふけった。そこには剣山について、さまざまな憶測とも思われる著者の見解が記されていた。何しろ、剣山が歴史的にみて極めて重要な存在であり、世界的にもインパクトがあるようなことを主張しているのだ。果たして剣山にユダヤルーツが絡んでいるのか?なぜ、そこまでしてこだわるのか?同じ神を信じるものとして、百聞は一見にしかず、さっそく剣山に登頂し、自分の目で確かめることにした。

2009年6月、自分の人生における四国の旅がはじまる。無論、会社の仕事は大忙しだ。当時はサウンドハウスの絶頂期。成田の新しい物流センターも稼働し、ものすごい勢いで会社が成長していた。そして成田の大型倉庫は瞬く間に一杯になりつつあった。このままでは倉庫が溢れてしまう、という危機感がつのる最中、解決策は2つにひとつ。成田で倉庫を拡張するか、それとも思い切って、西日本に倉庫を新設するか。そのどちらも視野に入れたうえでの四国の旅だ。仕事がてら、自分のやりたいことをやる。これが自分流だ。だから1日15時間働いても苦にならない。

一度、剣山に登頂するやいなや、剣山の不思議にはまってしまったのを覚えている。何かしら、そこには歴史の真相が秘められている気がしてならなかった。ソロモンの神宝が隠されているとか、さまざまなユダヤに纏わる伝承があることは知っていたが、そんなことよりも、もっと信憑性の高い大事なことがベールに包まれているようにも思えた。そんなある日、剣山の登山を終えた直後、ふと、Googleマップで剣山周りを検証したことを今でも覚えている。そしていろいろといじっているうちに、おや?とある線引きに目がとまった。剣山と伊勢神宮を直線で結ぶと、その上にぴたりと高野山が並んだのだ。高野山という山はなく、そのあたり周辺を指すことから、たまたまGoogleマップの丸い点がその線に重なっただけかもしれないが、偶然には思えなかった。そこから、地図上の線引きがはじまり、それが後のレイラインの研究に至ることとなる。

簡単にその後の展開を説明しよう。剣山の重要性については、自分の目で確かめることのできる多くのレイラインの存在、つまり地図上の一直線上に並ぶ数々の神社や山々、岬から確信をもつことができた。その最初の驚きが、再度山の発見だ。もともと存在する山だから、発見という言葉はふさわしくない。が、まったく知らない山が、突如として自分の人生において、とてつもなく重要な存在となったのだから、まさしく発見なのだ。

その再度山とは、伊勢神宮と奈良の石上神宮という記紀にも記されている最も有名な古代の神社、2社を結んだ線の延長線に存在する。線を引いていきながら、何かないかな、と思って見ていると、大龍寺というお寺がぴたりと一致して線上に存在し、再度山の中腹に建立されていた。あれ、こんな所にお寺がある。そして伊勢神宮と石上神宮に繋がっているのだから、もしかして重要ではないかと思い、大龍寺の背景を調べてみて、その凄さにびっくり仰天した。

大龍寺は平安時代において桓武天皇にお仕えした日本地理の達人、和気清麻呂が創始者として関わっていただけでなく、その場所は空海も重要視したあまり、遣唐使として中国に旅する前と後、2度も訪れている。つまり、空海は大龍寺が極めて需要な鍵を握っていることを悟ったのだ。それだけでも凄いことなのに、さらに空海は、大龍寺奥の院の裏山にある岩を削り、磐座を造成してきれいに整えただけなく、すぐそばの巨石の上を削り、そこに自ら亀の像を丁寧に掘ったのだ。その空海の名作となる亀石は、今日までその原型をそのまま残している。

2009年11月18日、さっそく新神戸駅裏側の再度山にある大龍寺を訪ねることにした。それから何度か大龍寺を訪れ、この亀石を幾度となく見ていくうちに、空海の思いが心の中に映し出されてくるようだった。そして亀石が徳島の離島に結びついていることを確信した結果、いてもたってもいられなくなり、翌年の2010年、徳島の最東端に存在する伊島に出入りをはじめることになる。人口100人あまりの過疎化が進む離島だが、とにかく伊島に来ることができただけでも嬉しかった。そしてさまざまな出会いを通じて、数か月後には島内の小さな家を一軒、購入することができた。あっという間に徳島県民にもなれるような気がしてきたほど、毎週末のように徳島に行ってはレンタカーを借りて阿南まで行き、そこから「みしま」という船に乗って伊島に行っていた。

ここまで書けば、結末は想像していただけるだろう。徳島が大事であり、徳島に出入りし、末永く続くことになる。だったら、徳島に倉庫をもとう!という決断に至る。そうすれば、仕事をしながら自分のライフワークであるリサーチを同時に進めていくことができるのだ。善は急げ!伊島に行きはじめた直後から、すぐに不動産屋にお願いして倉庫物件を探し始めた。そして2011年には物件のめどがつき、小松島にある元生協の建物をそっくり購入し、翌年、そこにKLC、西日本物流センターが稼働することとなる。

この原稿も今、徳島で執筆している。未だに徳島にはまっている自分に、驚きはない。明日の日曜は、第1番札所霊山寺から第11番藤井寺までひとっ走り、真夏のランニングをして汗をかいてくるつもりだ。そうするとますます頭がさえてきて、空海の思いに近づくことができるような気がしてくる。

伊島の山道からの景色

Rick - 中島尚彦 -

1957年東京生まれ。10代で米国にテニス留学。南カリフォルニア大学、ウォートン・ビジネススクールを経て、フラー神学大学院卒。GIT(Guitar Institute of Technology)第2期生のギタリスト。80年代にキリスト教会の牧師を務め、音楽ミニストリーに従事しながら、アメリカで不動産会社を起業。1989年、早稲田でライブハウス「ペトラクラブ」をオープン。1993年千葉県成田市でサウンドハウスを創業。2001年、月間地域新聞日本シティージャーナルを発刊。主幹ライターして「日本とユダヤのハーモニー」の連載をスタートし、2010年よりwww.historyjp.com を通じて新しい切り口から古代史の流れをわかりやすく解説。2023年、一般財団法人サウンドハウスこどものみらい財団を創設し、こどもたちの支援にも従事。趣味はアイスホッケー、ピアノ演奏、トレイルラン、登山など。四国八十八ヶ所遍路を22日で巡る。グループ企業の経営指導に携わるかたわら、古代史の研究に取り組み、日本のルーツ解明と精神的復興をライフワークとする。

 
 
 
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