人は時に夢を見る。まれに、それらの夢は覚えていることがあるが、往々にして寝起きの直後、あっさりと記憶の中から消え去ってしまい、思い出すことさえできない。そんなこともあり、ここ最近は「夢を見た!」、と夢うつつのさなかで起きた時に、その内容をパソコンに打ち込むことにしている。とはいえ、その前にトイレに行ったりしようものなら、その一瞬の隙に、メモリーから消え去ってしまうのが夢の素早さだ。まさにそれは、そよ風のごとく、どこから吹いてきているのか、どこへ消え去ってしまうのかわからない。
それでも時折、夢をしっかりと覚えていることがある。特に幼い頃や少年時代に見た夢を、今でも忘れられず、心の奥底にいつまでも印象深く残っている物語がいくつかある。正直、覚えている夢というものは怖いものばかりであり、美しい恋愛ものなど微塵もないのがちょっと残念だ。幼少期の夢はおよそ2つに分類されていた。どちらも恐怖のストーリーだ。怖い話が嫌いな人は、ここから先、読んではいけない。あなたも同様の夢を見ることになるかもしれないから。
自分が生まれた時には、両親は既に別居しており、月に1度ほどしか父親の顔を見ることはなかった。家庭の不和は耐えず、また、母親は10歳年下の父親がふるう暴力に時には泣かされていた。無論、自分もひっぱたかれたり、鞭うたれることもあった。そんな家庭環境がたたったのか、ある時、自分は東京タワーの階段をあがっていた。母親に会うためであった。そして階段をあがっているうちに、段々と自分の足が下の方からとけてしまい、無くなっていくのだ。まさか。。。と思うのもつかの間、足が無くなり動けなくなってしまった。そして目覚めるのだ。何ともいやな夢だ。当時の自分の心境が繊細に描写されている夢だ。
もう一つの恐怖ストーリーは何度も繰り返し見ることになる。それは核戦争の物語だ。1968年、「猿の惑星」という映画が大ヒットした。父親が唯一、連れていってくれた映画だ。核戦争によって地球が滅亡し、いつしか猿が地上を支配して人間が猿の奴隷になる、というストーリーだ。当時はアメリカとソビエトが冷戦状態にあり、ベトナム戦争の真っただ中、世界は不安の坩堝にあった。そんな社会背景もあり、映画も見てしまったことから、頻繁に核戦争の夢を見るようになった。その内容といえば、核爆弾が投下されるという恐怖から、家の中の奥とか、建物の陰に身を潜めるというものだ。そして「キーン」という投下される音が聞こえてくる。。。。そしてパッと目が覚めるのだ。何度、そんな夢を見たことか。
ここ最近は、津波の夢も多く見るようになった。津波に襲われ、その災害から脱出して生き延びるために、水の中から水面に浮かびあがる、というようなストーリ―だ。しかも水がじわりじわりと足元から上がってくるので、みんなに声をかけようにも、自分自身が生きるか死ぬかの瀬戸際であり、究極の選択を迫られる中、必死にもがくのだ。そんな夢ばかりみていることもあり、天命なのだろうか、いつしか自分は震災の被害で壊滅し、今や復興支援の象徴ともなった宮城県の女川でも仕事をするようになった。実際、今、この時、その女川の地で原稿を書いている。
夢うつつ、とはよくいったものだ。いやな夢は、現実になってもらいたくない。できるならば、「夢ごこち!」ともいえる美しく、さわやかな夢を見て目覚めたい。されど、現実は厳しく、だからこそ、寝言も多くなる。とはいえ自分の寝言は聞こえるわけもなく、いっぱい見るロングストーリ―の夢も、書き記そうとおもっても、一瞬で忘れてしまう。だからこうして寝言の延長線ともいえるたわごとを綴っている。それは多くの人にとって何の意味もないかもしれない。それでも語りたいこと、伝えたいことは山ほどある。世界に知らしめたいことも心の中にあり、いつかそんな夢を見て目覚め、自分の人生が夢のごとく現実として激変することを期待するこの頃である。。。
