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天狗岳を登頂する醍醐味 石鎚山の登山から学ぶ「汝、恐れることなかれ!」

2024-06-24

テーマ:サウンドハウス創業者のコラム「Rickの本寝言」

Rickの本寝言 サウンドハウス創業者が本音をついつい寝言でつぶやく!

2024年6月19日、四国は既に梅雨に入ったにも関わらず、その日だけが快晴の予報となった。何しろ数日前までの予報は曇り時々雨だったのが目まぐるしく変わり、出発する前日に突如、高気圧に覆われて快晴となる予報に激変したのだから驚いた。元々19日は、サウンドハウスの新卒社員と一緒に西日本最高峰の石鎚山に登山する計画が立てられていた。しかしながら天気予報がなかなか好転しなかったことから、登山のプランは一週間ほど前にキャンセルになったのだ。が、その石鎚山登頂プランが直前に復活することとなった。

これまで石鎚山はかれこれ十数回も登頂していることから、本来は別の日本百名山を登山したいと思っている。しかしながら今年に限っては、4月に石鎚山を登山した新卒の女子グループが、頂上社まで辿り着いたにも関わらず、最後の100m少々、天狗岳まで登頂するのをためらって断念したという思いもよらぬ珍事が起きてしまったことから、やはり自分が一緒に足を運び、チームを後押しするしかないと思うに至った。しかも今年は仕事関連のゲストも一緒に登山に参加したいという話がもちあがり、もはや断りきれなくなった。よって再度、石鎚山を登頂し、天狗岳制覇を試みることにした。

一度、登山プランをキャンセルしたにも関わらず、その復活があまりにも急だったことから、新卒女子グループには再度、「行こう!」と声をかけることは、ためらってしまった。彼女たちの中には2か月前の登山で既に心が折れているスタッフもいると聞いており、もう一度チャレンジするからには、十分な心の準備と時間が必要だからだ。また、彼女たちが頂上社まで到達したにも関わらず、天狗岳への残り100m少々を断念したのは、そこに至るまで、いくつもの長い鎖をよじ登ることで恐怖心がつのり、頂上社から先は怖くてとても行く気になれなかったと聞いている。全員がそう思ったかどうかは知る由もないが、いずれにしても、厳しい鎖の体験から恐怖心を抱くようになったと思われる。

とは言え、頂上社から天狗岳への道のりは、鎖と言っても最初の岩場、数メートルが2か所あるだけで、後は岩場を歩くだけだ。考えようによっては、70mもある鎖を手でつかまりながら、必死に登っていく崖っぷちよりずっと楽なはずだ。ただ、見た目は向かって左側がほぼ直角の崖になっており、右側の斜面も45度近く傾いていることから、登山に慣れてない人にとっては、恐怖心が芽生えるに違いない。それでも、前に行く人の後について着実に足を踏みしめて進んでいけば、確実に天狗岳まで到達することができるのだから、今年の新卒女子はもったいないことをした。苦労して山道を歩き、鎖をよじ登り、頂上社まで到達したにも関わらず、目の前に聳え立つ天狗岳を見て、心が萎えてしまったのだから。近日中に彼女たちもきっと天狗岳を制覇して、登山に自信を持つようになることを期待してやまない。

そのような背景を踏まえ、今回の登山は女川から参加する60歳の男性以外は会社からは誰も参加せず、その代わり外部からの参加者4名が集うことになった。自分は仕事も溜まっていることから、当初は石鎚山の麓にある成就社で待機し、仕事をしながらみんなを待っていようかと思ってもみたが、このゲスト連中がとにかく一緒に来てくれと言い続けるので、まあ仕方がない。今回は、お付き合いで登山することにした。とにかく彼らはみんな、天狗岳を目指して「頑張ります!」と意気揚々だった。幸い、天気も良いし、鎖も登りやすいだろうし、何ら問題はないだろうと想定していたのだが、甘かったのか!

登山の当日、徳島駅前のホテルロビーで朝5時45分に集合し、朝食のお弁当をホテルから頂いて、すぐに出発。2時間半の予定で、石鎚山のロープウェイ乗り場に着くことを目指す。幸い道路もすいていて、ロープウェイの始発8時40分には十分間に合う時間に到着した。そこから成就社へと向かい、ロープウェイから降りるとすぐに、5人は登山を開始し、自分は後から走って追いかけることにした。その間、ロープウェイ乗り場の待合い室で1時間、みっちりとお仕事。無論、リュックの中にはいつもノートパソコンが入っている。その後、5人を追いかけて、一気にノンストップで走っていくことにした。

走って頂上を目指す途中、まず、60歳の社員を見っけ。一人残されて、ゆっくりと登っていた。それはそれでよし。元々彼は登山する予定ではなかったので、目をつぶることに。そして山の中腹までくると、今度は2人の女子のうち、一人が他の登山家と合流して歩いていた。その登山家とは聞くところによると、今回が石鎚山の登頂91回目というレジェンド。そのベテランに助けられながら、鎖も含めて頂上を目指していたので安心し、これもOKとした。すると、残るは3人だ。彼らを追いかけて、さらに頂上を目指す。

今回の登山は初めて鎖を回避し、すべて迂回路を通ることにした。今まで一度も迂回路から登ったことがなかったことから、スピードアップするためにも、まあいいかと思った。しかも、鎖場にいくと、先を登っていたグループが滞っており、のろのろしているのを目の当たりにしたこともあり、待っていられないと思い、迂回路をそのまま走ることに。そしてしばらく走り続けて、スタートからおよそ1時間半で頂上社に到達。頂上から素晴らしい景色を眺めるのは、本当に気持ちの良いものだ。

そこには、ゲストの残り3人のうち、男子Oさんと女子Kさんの2人しかいない。男子のCさんはまだ登山中ということだった。まあ、それもありかと思い、OさんとKさんに「じゃ、3人で先に頂上へ行こう!」と声をかけると、なんと2人とも、「怖いです!」「行けません!」と言う。ここで泣きが入るとは、まさに想定外。あれほど「天狗岳に登ります」、と意気込んでいた連中なのに、いざ、その直前の頂上社まで来ても、足踏みどころか、もう無理だというのだ。情けない限りだ。こんなんなら、自分も来なければ良かった、という思いを殴り捨て、2人にゲキをとばして、「何考えてんの!一緒に行くからついてこい!」と言うと、OさんはすんなりとOK。女子のKさんは「仲間がくるのを待ちます」という。まあ、仕方ないものなのか。

やはり、経験者の真後ろならば、安心感があるのか。Oさんと一緒の天狗岳チャレンジは、そこから先、サクサクと進むことができた。岩場の尾根を進み、急斜面の岩場は手足をしっかりと固定して、登っていきながら、岩の登り方を指南。自分と同じように登っていけば、まず、間違いはない。いずれにしても、天狗岳のハードルは低くはない。また、向かって左側が直角の絶壁であることから、見てしまうと足がすくむどころか、緊張感から体がこわばってしまう。自分も高所には強くないことを知っているが故に、決して見ないようにしている。大事なことは、前を向いて、平常心で進んでいくことだ。左右、周りを見なければ、単なる斜面の歩道なのだが、いかんせん、深い谷が見えてしまうと動揺してしまうのが人間なのだろう。だから、後ろを付いてきているOさんには、「まっすぐに歩いて!」 「前を見て!」、「ここから登っていくよ!」と声をかけながら進んだ。そしてものの15分ほどで天狗岳に到達。Oさんも相当な達成感を味わったようで、感無量の表情だった。

それからすぐに頂上社まで戻ることに。登山は下山、すなわち帰り道が一番危険。Oさんには「油断大敵!」と再度、ゲキを飛ばし、ゆっくりと下りてくることにした。そして頂上社に来ると、もう一人の男子も合流していた。するとゲスト4人のうち、まだ1人しか天狗岳に登っておらず、残るは3名となる。こちらは既に天狗岳に登頂済みなので、「行ってらっしゃい!」と声をかけるだけと思いきや、合流したばかりで一番意気込んでいたCさんが何と、弱音を吐くことに。「怖くていけないですよ!」と。それにつられて、Cさんが来るのを待っていたKさんまでもが、「私も怖いので行きません!」という。なんという小心の連鎖!こともあろうに、あんなに行きたがっていた天狗岳を目の前にして、みんな「怖い!」という。後、100m少々の我慢だというのに、頂上の景色と天狗岳の岩場をみて、恐怖心のあまり、立ち止まっていた。

ほんまにしょうもない人達だ。こちらは来てくれというからお付き合いで来ているのに、話が違う!と言っている暇はない。「僕がもう一回行くから、後をついて来い!」と、はっぱをかけると、「Rickが行くなら後をついていきます」と言う。そんじゃ、子供じゃないか!と思いつつも、結局、自分は天狗岳には2度、登ることになった。それも運命というもの。無論、2人はゆっくりと後をついてきただけでなく、もう一人の女子Sさんもいつの間にか合流していた。よって3人集まれば文殊の知恵となり、安心して自分についてくることができたのではないだろうか。

天狗岳の頂上では、みんなで写真をとり、結構はしゃいでいた。写真を見る限り、怖いものしらずに見える。当初の怖がりとは打って変わって、めちゃくちゃに大自然を楽しんでいた。これが登山の醍醐味だ。

Rick - 中島尚彦 -

1957年東京生まれ。10代で米国にテニス留学。南カリフォルニア大学、ウォートン・ビジネススクールを経て、フラー神学大学院卒。GIT(Guitar Institute of Technology)第2期生のギタリスト。80年代にキリスト教会の牧師を務め、音楽ミニストリーに従事しながら、アメリカで不動産会社を起業。1989年、早稲田でライブハウス「ペトラクラブ」をオープン。1993年千葉県成田市でサウンドハウスを創業。2001年、月間地域新聞日本シティージャーナルを発刊。主幹ライターして「日本とユダヤのハーモニー」の連載をスタートし、2010年よりwww.historyjp.com を通じて新しい切り口から古代史の流れをわかりやすく解説。2023年、一般財団法人サウンドハウスこどものみらい財団を創設し、こどもたちの支援にも従事。趣味はアイスホッケー、ピアノ演奏、トレイルラン、登山など。四国八十八ヶ所遍路を22日で巡る。グループ企業の経営指導に携わるかたわら、古代史の研究に取り組み、日本のルーツ解明と精神的復興をライフワークとする。

 
 
 
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