こんにちは。洋楽を語りたがるジョシュアです。
第28回では、「バンドの中でドラマーが変わるだけでこんなに世界が変わる!」という発見を、サイモン・フィリップスのドラミングを通じて体験していきましょう。なお、私自身はドラムを全く叩けませんので、あくまでも素人リスナーの視点であることをお許しください。

サイモン・フィリップス, CC BY-SA 4.0Wikipediaより引用
1957年生まれのサイモンは、1970年代から現在まで、常に現役で活躍し続けるドラマーです。TOTOのメンバーとして20年以上在籍しましたが、それ以外にもミック・ジャガーやザ・フーなどの王道ロック系、マイケル・シェンカー・グループやジューダス・プリーストなどのハード・ロック系、ジェフ・ベックやゲイリー・ムーアなどのギター・インストゥルメンタル系、デレク・シェリニアン(元ドリーム・シアター)などのハード・プログレ系など、とにかく広い守備範囲を誇ります。TOTO脱退後は、ジャズ・ピアニスト、上原ひろみ (Hiromi) とアンソニー・ジャクソン (b)とのザ・トリオ・プロジェクトでアルバムを4枚発表しました。さらには、自身のバンド、プロトコルも長く続けており、昨年には5作目『プロトコルV』を発表しました。
サイモンはセッション・ドラマーとして10代から活躍し、はじめて確定申告したのは15歳。ブライアン・イーノが率いたスーパーグループ「801」に参加したときは弱冠19歳でした。これだけでも凄いですが、さらに凄いところは、当時から現在までスタイルが一貫していることです。厳密に書くと、サイモン・ファンが聞けば一発で分かるドラム・フレーズを一貫して叩き続けることです。どんなジャンルであってもツーバスの巨大セットを使い、ミュートをせずに自身の手足だけで音量をすべての音量と音色をコントロールします。ミュートしていないのに音色はとにかくシャープです。そして、特徴的なフィルインがいくつもあります。曲の展開前、6連符でツーバスを「ドドッ」っと叩いた後のスネアのフラム打ち、「詰め込みすぎ!」と言いたくなるようなタム回し、胴長のタムであるオクトバン(別名キャノンタム)を使ったパーカッション・フレーズなどが代表的です。そしてお約束は、曲のクライマックスにおいて、ツーバスで16分音符や6連符を刻む足癖。これを聞くとサイモン・ファンは誰もが狂喜するのです。
長い経歴を誇るサイモンです。サイモンのドラミングを聴こうと思っても、同じ曲なのにサイモンの後に他のドラマーが加入したり、逆に他のドラマーの後に加入したりと、色々なバージョンがあります。ここでは、サイモンのビフォー・アフターを聴き比べ、かつそれぞれのドラマーたちのスゴさを堪能していきます。

ドラム・セットに鎮座するサイモン・フィリップス, CC BY-SA 3.0Wikipediaより引用
サイモン vs. ヴィニー・カリウタ
まずは、サイモンの知名度を一気に上げたジェフ・ベック『ゼア・アンド・バック』(1980年)のナンバーです。8分の7拍子のブギー・シャッフルでひたすら超高速ツーバスを叩き続ける「スペース・ブギー」。あまりにも早い曲展開と超絶テクニックのため、これを最初に聞いたときにはぶったまげました。
サイモンのフレーズをもとに、2000年代のジェフ・ベックのバンドでこの曲を叩いたのはヴィニー・カリウタです。ヴィニーはフランク・ザッパのバンド出身ですが、スティングからメガデス、さらにはチック・コリアまで、どんなジャンルでも完璧なドラムをこなします。ザッパ時代の仲間であるスティーヴ・ヴァイが、インタビューでヴィニーの超絶エピソードを紹介しました。ザッパが用意したのは、複雑怪奇な変拍子バリバリの譜面。ヴィニーは初見で叩き、片手で譜面をめくりながら落ちる眼鏡を直し、もう片手で寿司を取って食べた、というものでした。そんなヴィニーですから、途轍もないフレーズなのに涼しすぎる表情です。
■ ジェフ・ベック「スペース・ブギー」(ドラム:サイモン・フィリップス)
■ ジェフ・ベック「スペース・ブギー」(ドラム:ヴィニー・カリウタ)
サイモン vs. コージー・パウエル
ギタリスト、マイケル・シェンカーは『神(帰ってきたフライング・アロウ)』(1980年)でソロ・デビューを果たしました。マイケル・シェンカー・グループ(以下、MSG)名義だったものの当時はバンドがなく、セッション・ドラマーとしてサイモンを起用しました。インストゥルメンタルの「イントゥ・ジ・アリーナ」は、マイケルのギターが名演すぎますが、同じぐらいに名演なのがサイモンのドラム。曲のアタマはツーバスを叩いた後のスネア・フラム、言葉にすると「ドドパン」。中盤部にあるベース・ソロでは、盛り上がり時のお約束、ツーバス連打大会になります。プロデュースの関係で、音色と音量が比較的控えめなのが惜しいところです。
MSGデビューとともに、MSGに加入した初代ドラマーはコージー・パウエル。言うまでもなく、ジェフ・ベック・グループの後にレインボーに加入したカリスマ的ドラマーです。MSGには長居せず、その後、次々にバンドを渡り歩いたことから「スティックを持った渡り鳥」と呼ばれることでも知られています。そんな彼が「イントゥ・ジ・アリーナ」を叩くと、サイモンとは対極的で、うるさくて重いのです。イントロは「ドドパン」ではなく「ドパン」になっていたり、ベース・ソロでは同じくツーバス連打大会ですが、引きずるような後ノリとなっていたりします。他のメンバーたちも違うので単純比較は困難ですが、ドラマーの違いが曲に与える影響は明白です。
■ マイケル・シェンカー・グループ「イントゥ・ジ・アリーナ」(ドラム:サイモン・フィリップス)
■ マイケル・シェンカー・グループ「イントゥ・ジ・アリーナ」(ドラム:コージー・パウエル)
ジェフ・ポーカロ vs. サイモン
ここからは、すでに発表された曲をサイモンが発表する場合…というケースです。
まずは、サイモンが2代目ドラマーとして活動したTOTOです。オリジナル・メンバーはジェフ・ポーカロ。ジェフのTOTOでの名演といえば、「ロザーナ」という人が圧倒的に多いことでしょう。ハネた16ビートで構成されたハーフタイム・シャッフルは「ポーカロ・シャッフル」「ロザーナ・シャッフル」と呼ばれ、ドラマーたちの憧れとなりました。
ジェフは数々の名演を残しながらも1992年に急逝しました。TOTOがツアーを控えたタイミングでの悲劇で、お呼びがかかったのがサイモンでした。当初はツアーの代役という話でしたが、そのまま加入して20年以上在籍し、サイモンの評判を高めることに貢献しました。サイモンによる「ロザーナ」のアプローチはより自由奔放です。サイモンの特徴でもあるオープン・ハンド奏法(左手でハイハット、右手でスネアを叩く)を活かして、左手でシンバル類をさばきます。そして随所にトレードマークのバスドラム連打を加えて、サイモン印を加えることも忘れていません。
■ TOTO「ロザーナ」(ドラム:ジェフ・ポーカロ)
■ TOTO「ロザーナ」(ドラム:サイモン・フィリップス)
バディ・リッチ vs. サイモン
バディ・リッチ(1917-1987)は、ビッグバンド・ジャズの巨匠中の巨匠でした。当時のジャズ界において、革命的なワイルドさと超絶テクニックと精密さを持ち、オーバーなアクションで観客を楽しませるような「華」もあるドラマーでした。後世に与えた影響も絶大で、ジャズだけでなく、ロック界のドラマーたちも口を揃えてバディからの影響を語ってきました。もちろん、サイモンもその一人です。
ここではバディが率いたビッグバンドの名演、「ダンシング・メン」と、バディのトリビュート・アルバムでサイモンが同曲を叩く演奏を聞き比べてみましょう。この曲では中盤にドラム・ソロがありますが(動画3:26~)、スーツ姿のバディは、素早いスネアのストロークを徐々に発展させ、手を派手に交差し、観客の拍手を誘っています。
対して、サイモンのバージョンも聴き応えたっぷりです。サイモンは、たとえジャンルが違っていてもドラム・セットはいつもの巨大なものです。両手でシンバル・レガートを行い(中盤ではライドではなくチャイナ・シンバル!)、ドラム・ソロ(動画4:08~)の序盤では繊細なスネア・プレイ。曲を徐々に盛り上げ、クライマックスはツーバスの乱れ打ちです。
■ バディ・リッチ・ビッグバンド「ダンシング・メン」(ドラム:バディ・リッチ)
■ バディ・リッチ・ビッグバンド「ダンシング・メン」(ドラム:サイモン・フィリップス)
以上、サイモン・フィリップスを通じて、サイモンだけでなく偉大なドラマーたちの名演に触れてきました。サイモンには、まだまだ名演がたくさんあります。801『801ライヴ』収録の「East Of Asteroid」(1976年)、ピート・タウンゼント『White City: A Novel』収録の「Give Blood」(1985年)、デレク・シェリニアン『Mythology』収録の「One Way or the Other」(2004年)、上原ひろみとの作品群など、ぜひお聴きください。
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