「人は目に映ることを見るが、神は心によって観る。」旧約聖書の言葉だが、本当だと思う。お互いが心の中まで見通し、もっと良く話し合い、理解を深めることができるならば、いろいろな争いごとがなくなるのではと思う。ところが所詮、人は自分が正しいと思い、他の人を見かけだけで判断する傾向にある。その結果、ちょっとしたことでも周囲に対し、何だかんだと、いちゃもんを言ってしまうことになる。そして会社経営も、その影響をもろに受けてしまうのだ。
俗に言われる社長業の延長として、自分は会長業を務めているわけだが、こればかりはあまりお勧めすることができない空しい仕事だ。何故なら責任が重くのしかかってくるだけでなく、一生懸命に身を削って仕事をしても、もはや評価してくれる人は誰もおらず、ひたすら自分との戦いが続くのだ。しかも昨今の社会的風潮では、我慢、忍耐、というありきたりの教訓を誰もが忘れがちになり、ちょっとしたことで他を批判することも珍しくなくなってきたのだからたまらない。何かにつけて、そのような軽いのりで、会長も批判を受けることになる。無論、そんな愚言は気にする必要もないし、無視するだけだ。よって、会長職をこなすには、打たれ強さ、我慢強さ、忍耐と辛抱が求められる。面白いわけがない。正につらい仕事だと言える。
問題は、そういうつぶやきや間違った思いを放置して良いのだろうか、ということだ。つい最近も、ある若い方が唐突にも自分に対し、「会長はもっとみんなに任せないといけないですよね」と言ってきた。事実確認もせず、あまりにも愚かな発言のため、一瞬、言葉を失ってしまった。とはいえ、これまで同様のコメントは諸先生方をはじめ、多くの人から聞いてきた。ほんの一部だけ見て、そう思い込んでしまうのは仕方ないのだろう。しかしながら現実は全く違う。年商200億円を超える会社の会長として、自分ほど、みんなに仕事を任せている人は、そう多くはないと自負している。良いか悪いかは別として、物流も、システムも、WEBも、広告も、ほぼすべて任せっきりであり、時折報告を受けるだけだ。自分が関わっているのは営業回りと海外業務の中で、スタッフができない部分、問題がある部分だけ、ひたすらフォローしている。
限られた時間の中で多くのことを成し遂げるには、問題点の把握、改善案の提示、ピンポイントの指示など、すべてスピーディーに成し遂げることが不可欠だ。よって語気も強めになり、すべて命令口調に聞こえてしまう。時間をかけている余裕がないのだから仕方がない。そして間違いがあれば即、指摘する。注意する。時には叱る。これも当たり前のことだろう。その成田本社における自分の意欲的な言動だけを見て、サウンドハウスの会長は全部を取り仕切っている、という妄想に取り憑かれる人が後を絶たないのだ。これもまた事実と相違し、空しい結末だ。みんなができないこと、自分が介入すればもっと早く解決できることに特化し、手伝っているにすぎないのだが、感謝されることは稀であり、むしろ何故、任せないのか、という批判の声となって耳に入ってくるという悲しい現実にも向き合わなければならない。人は真相を理解することなく、自分の見たままで判断しがちなのだ。
もしかすると、自分はおせっかいなのかもしれない。見るに見かねると、すなわち状況が良くないことがわかると、介入してしまう。仕事だから当たり前だ。ところが今の時代、問題は見て見ぬふりをする、というのが常套手段のようだ。それは単に人と関わるのが面倒なだけでなく、人とのぶつかりあいを避けるためなのだろう。トラブルに介入した結果、相手との口論に発展したり、互いに傷つけあうような中傷合戦となり、自分も傷つき、相手も傷つき、時には傷害事件などの悲惨な結果が待ち受けているかもしれない。たとえ論争激論に勝利したとしても、一生、ストーカー被害にあう可能性さえ否定できない。よって、人と関わらないことが、実は人生を安らかに過ごすための賢い最善策なのだ。
それ故、ふと考えてしまう。自分も周りの人と同じように、人との距離を置くべきなのかと。人と関わらないこと、面倒を見ないことが良いのかと。そうすれば批判されることもない。ところがどうもそうは思えない。現実問題として、所詮人は誰しも一人では生きていけないからだ。つまるところ、ひとりだけでは生活ができない人間は、たとえ社会の片隅におかれたとしても、人との出会いがあり、一喜一憂する運命にある。会社で働いているならば尚更のことだ。故に、どうせ関わるのだから、むしろ積極的に対応し、それを自分の使命、宿命と捉えたほうが気持ちが良い。そして悔いが残らないようにするためにも、常に全力投球する。そうすれば結果が悪かったとしても、やり切った感から多少の慰めにはなる。
とはいえ元の話に戻るならば、所詮、会長業など、何をしても回りから誤解されるのがおちだ。それでも頑張るしかないというのが、現実の課題だ。相手から何を言われようと、ひたすら前を見て走り続ける。この長い道のりの終点は、果たしてどこにあるのだろうか。
