「音楽で日本列島を元気に!」、なんてとても勢いある言葉に聞こえるが、本音を言うならば、「かっこいいことばかり言ってんじゃない!」と激白するしかない。なぜなら日本の未来は課題が山積しており、何を手掛けても結果を出すのが難しいからだ。
そもそも人口の急減少により、500年もしないうちに日本人はいなくなる。すなわち国家の滅亡だ。国というものは人が存在して成り立つ。そのために子孫を増やし、「産めよ、増えよ!」という神の教えのとおり、男女がカップルになり、子どもを増やしながら社会を形成していく。そんな根本的な人間としての生き方をないがしろにした結果、このままではあと数世代後に日本という国は終焉を迎えることになる。果してどれだけの日本人がその危機的状況を理解しているのだろうか。
音楽で日本を元気にするためには、その大前提として、「人」が列島に存在しなければ意味がない。特に未来を担う子どもたちが増えなければ、日本は滅亡する危機に直面することになる。ところが日本という国は、いかんせん行動が遅く、対策が後手に回ることが多い。よって、どうしたら人口の急減少に歯止めをかけることができるのだろうか、という問題の根源にメスを入れることさえできないでいる。
子どもを増やしたい日本国家だが、実態は子どもにとって最悪の環境が放置され、一向に改善の兆しはない。くさいものにはふたを、とでも言いたいのだろうか、だれも本音を語ろうとしない。争いや口論に巻き込まれたくない、という思いが先行するためだろうか。まず、誰も口にしたくない人工妊娠中絶。例年、およそ15~16万件の中絶が行われている。これは世界的にみても高い数字であり、到底日本が誇れることではない。そのうち、未成年の中絶件数は例年1.2万件前後にもなり、毎日30人以上の胎児が10代の女子のお腹からおろされていることになる。恐ろしい数字だ。かといって日本社会は養子縁組のシステムも欧米諸国のようには発展しておらず、里親制度もうまく機能してないのが実情だ。よって未婚の若い女子は子どもを産んでしまうと、想像を超える負担が人生にのしかかることになる。よって国民性からしても、カルチャー的にみても、中絶が最善の選択肢に見えてきてしまうのだ。仕方のない現状を目の当たりにし、何とか、求められることのない赤子を育てる方法はないかと思案するこの頃だ。そうでもしなければ、日本の人口はもはや、増える兆しさえ見えてこないからだ。
問題はそれだけではない。実際に生まれてきた子どもたちの生活環境も以前とは変わり、劣悪になっているのだ。その理由と検証は専門家に任せるとして、現実の問題に目をむけてみた。すると学校教育と家庭環境に大きな問題があることに気づく。前者に関しては、以前から学級崩壊が取りざたされてきた。ところが今や、その次元を超えて、子どもたちの不登校という問題に発展している。全国ではおよそ20万人の小中学生が学校に行くことを拒否し、不登校児となっている。実際には30万人とも言われている。信じられない数字だ。そのため学校に行けない子どもたちを支援するフリースクールなるものが各地で運営されているが、その救いの手は追いつくわけがない。おまけに学校の現場はいじめや嫌がらせが蔓延し、多くの子どもたちを時には自殺に追いやっている。心が荒れ果ててしまった社会を象徴する出来事だ。
そのうえ大人による子どもたちの虐待もやまない。公表されている数字だけみても、毎年50~60名の子どもたちが親から命を奪われている。毎週1人以上の子どもが殺されている計算だ。実際の数字はその数倍にものぼるとみられている。虐待が原因かどうかが特定できないケースが実に多いからだ。親による子ども虐待の原因としてあげられている理由のひとつが、連れ子の問題だ。離婚率が急上昇して母子家庭が急増しただけでなく、未婚の方も子どもを産み、その後男性とお付き合いを始めると、連れ子がいじめられるケースが後をたたないのだ。悲惨なニュースは連日のように報道されているが、これが日本社会の実態ではないだろうか。
日本列島を音楽で元気にするには、まず、人が、そして子どもたちが大切にされる社会のベースを作らなければならない。それなくしては、すべての努力は空回りすることになる。だからこそ、音楽を通じて日本を元気にするために、まず、子どもたちに音楽の楽しさを教えるだけでなく、その大前提として、子どもたちの命を守ることから手がけなければならない。そして若い人たちがごく当たり前に結婚して家庭を持ち、子育てを大切にすることも重要だ。そのうえ家庭環境も改善し、親子関係も愛情に満ちたものに徐々に転換していくことが夢なのだが、これらはみな果てしない夢のように思えてならない。もう、時間がない。無理、難題が山積みだ。それでも夢を絶やさず、見続けていたい。

日本の未来を担う子どもたちの姿