このテーマで書くブログの最終回になりますが、
私の夢は就労Bの環境を作りみんなで働く楽しさを伝えることです。
もちろん簡単でないことは知っています。
自分自身、3.11の東日本大震災が起きる前まで、実際に動いて就労Bの環境を実現できる団体を立ち上げる計画をしていました。その時、次男の主治医だったドクター協力のもと動き出そうとしていた矢先に震災があり、断念しました。
本当にたくさんの人達に助けて貰いながらみんなで夢を膨らませ、計画していたことだっただけに、いまでもあきらめられないのかもしれません。
『ハンディキャップを持っている人を差別してはいけない』とよく言いますが、差別しているのではなく、ハンディキャップの状態がわからないから自然と壁ができてしまうのではないかと思います。
例えば、小さな子供が騒いでいたとします。それは眠いからなのか機嫌がわるいのか、といろいろと想像したりしますよね。ところが同じことを大人がしてしまうと、驚きだけではなく避けてしまったり、さまざまな誤解をもってしまったりするわけです。じつは、そのかたの表現方法が限られていて、大きな声を出すことしかできない場合もあり、最初からそのことを知っている人は当然ながらそのかたと自然に接することができるのです。私自身、息子のために福祉の勉強を必死にするようになってから、そんな風に思うようになりました。
何事も他人事。つい人間はそう考えてしまいがちです。いざ、自分や家族に降りかかって初めて向き合うのも当然かもしれません。でも、ほんの少しの知識や優しさや思いやりを忘れないことで、自分たちが見ている世界が全く変わることってあるのだと身をもって知りました。
「ハンディキャップを理解してほしいが、同情はいらない」次男の主治医の口癖です。
わが子が障害を持ってからこの言葉の意味を痛いほど知りました。
じつはみんな同じなのです。体が少し不自由でも、何でもできる友達はたくさんいます。いつも生き生きとしています。それは毎日を大事に生きていかなくてはならないからだ、と笑って話す友人にハッとさせられました。どこにハンディを持っていても大変なのだと。だからこそ今日を精一杯生きたいと話す友人は私が尊敬する人になっていました。
いろいろな条件により働く場所が狭まってしまい、なかなか仕事ができないという意見が多く、そのたびに何かできないかと思います。就労AやBを現実にするには時間がかかるかもしれないけれど、いつか実現させたいと強く思っています。
宮城県女川町で実施している無料こども音楽教室では、就学前から中学生までの生徒さんがレッスンをしています。もうすぐ1年になります。
「音楽のまち女川」を作っていくための大事な第一歩でした。気づくと今では、一生懸命練習して楽しそうにレッスンに来てくれる子ども達から私たち講師のほうが本当にいろいろな事を学ばせてもらっています。そんな幸せな時間を子どもたちから貰っています。
みんなそれぞれ個性があって、いつも新しい発見があります。コロナ禍で我慢の連続で普段なら当たり前のようにできていた音楽の授業の中でも、歌を歌う事すら制限があった子供たち。その時間を取り戻すかのように、発表会やお祭りに参加して、ちびっこバンドや演奏をしたり歌ったりを経験した子供たちが成長していくのを見るのが、一番の幸せです。
そして、レッスンをする中で、学校での悩みであったり個人の悩みであったり、子供たちが悩んでいることを打ち明けてくれてそれを一緒に解決していく。そんな教室が私たち講師の喜びであります。
「音楽のまち女川」を広めていきたい。
どうぞ、お近くに来られた際は、子供たちの嬉々としたレッスンをご覧になってください。理想論ではなく、「こんな教室あったらいいな」を現実にさせていけるよう頑張っていこうと思います。
音楽の持つ力。それはどんなひとでも笑顔を増やせるということだと私は信じています。