

音楽を聴く楽しさに目覚めた中学生の頃、文房具屋に五線紙を買いに行き、その紙面に鉛筆でひたすら「オタマジャクシ」のような音符を書き込みながら、オリジナル曲を書いた記憶がある。ト音記号を上手に描くことは、ちょっとした美学であり、メロディーが思い浮かぶままに音符のつながりを仕上げていく醍醐味に浸っていた。自分の思いどおりの曲をまとめるには多くの時間と手間がかかり、そのためには五線紙の存在が不可欠だった。それでも曲作りは楽しかった。そんな古風な作曲スタイルも、今となっては夢のようだ。

その後、音楽制作シーンは進化し続け、いつの間にか五線紙への書き込みからパソコンを駆使したDTMの時代へと変貌することになる。1993年、サウンドハウスを創業した頃、早速小さなキーボードを使って、思い描いたメロディーを演奏しながら音符を自動で画面に表示させて音楽を創作するという、新しい作曲スタイルにチャレンジした。鍵盤を叩くだけで音符が画面に表示されるようになったことだけでも、正に青天の霹靂だった。その試みは新鮮ではあったものの、そこから先のトラック作りはややこしく、マニュアルを理解するのも面倒であり、サポートへの電話もつながらないことが多かった。さらなる問題は、いつもPCの画面を見つめなければならず、目が疲れ、首が凝ることが多くなったことだ。
最初は物珍しさに楽しくて仕方なかったが、つまるところ、使い勝手が悪すぎるという思いがつのり、「こんなんじゃ、使えない!」、「バージョンアップされるまで待つしかない!」という結論に至った。その後、確かにソフトは目まぐるしく進化を続けて精度を上げていくが、複雑になりすぎるあまり、取りつかれたようにはまっていく制作者を見ていると、病んだようにも見えてくるのだった。人生に潤いを与えるはずの音楽であるにも関わらず、それを実際に作る人々の多くが夜中まで画面にくぎ付けになり、多大なストレスを我慢しながら、より完成度の高い楽曲を作りあげることを誇りとするようになったのだ。そのプライドの結果が夜更かし、喫煙、飲酒、不規則な生活に結び付き、多くの音楽関係者を蝕んでいくことになったのではと想像する。
ボイスコマンドで簡単に操作できるようになるまでは触る気にもならなかったことから、一旦中断した作曲活動は、再開することがなかった。そして仕事に追われる日々が続く最中、ふと気が付くと、アッという間に25年の月日が過ぎていた。途中まで書き上げた曲の数々は化石のように固まり、自分の人生から忘れ去られてしまった。自らが手掛けた作曲プロジェクトの時計が、すべて止まってしまったのだ。それでも悔いはない。何故なら遠い昔に期待したとおり、2017年はAIの元年となり、ボイスコマンドを駆使したAI系のスピーカーや音響機材が続々と登場し始めたのだ。もはや作曲もAI化するのは時間の問題だ。そろばんが電卓に取って代わったように、ユーザーを精神的に追い込み、眼精疲労などの肉体的苦痛を強いるような波形編集に代表される制作系のソフトがAIにとって変えられる日は近い。そろばんが社会から消えてなくなったように、僕らが必死に打ち込んできたキーボードさえ、もうすぐなくなるのかと思うと、諸行無常の響きを感じないではいられない。