ボサノバ・ジャズパートⅦ
ボサノバ・ジャズをテーマに取り上げた前回に続き、アントニオ・カルロス・ジョビンの楽曲を切り口にしたジャズピアニストのボーカルパフォーマンスを中心に取り上げる「ちょっとジャズ的ボサノバ」パートⅦです。これまでお送りしてきましたボサノバカテゴリーはこれで一旦終了します。
ジャズピアニストでありボサノバ・シンガー、イリアーヌ・イリアス
前回はブラジル人ピアニスト、イリアーヌ・イリアスのジャズトリオ、ピアノプレイを中心に構成しましたが、今回はジャズピアニストの顔を持ちながら、卓越したボーカルにも定評があるイリアーヌのボーカルにスポットを当てます。
ボサノバ・ジャズからボサノバへ
イリアーヌ・イリアスはジャズピアニストである一方、突出したボーカリストです。
ピアノのプレイもさることながら、彼女の歌唱というよりもボイス自体がボサノバそのものという驚くべき事実があります。ボサノバを歌わせれば右に出るものはいない彼女の歌唱はワンアンドオンリーと言えます。
■ 推薦アルバム:イリアーヌ・イリアス『海風とジョビンの午後~イリアーヌ・シングス・ジョビン』(1998年)

イリアーヌのジョビンをテーマにしたこれまでにないボーカルアルバム。
このアルバムでは元夫の弟、マイケル・ブレッカーの見事なサックスプレイが聴ける。
マイケルはブレッカー・ブラザースでのジャズやファンクテイストの演奏もさることながら、歌伴でのソロ演奏も非常に上手いミュージシャン。マイケル・フランクスのアルバムなどでその演奏を聴けるが、テナーサックスを巧みに歌わせる技に長けており、歌伴におけるマイケルの評価は高い。
また、このアルバムは楽曲がマイケル・ブレッカーを生かした構成になっており、イリアーヌのピアノ、マイケルのサックスといった極上のブレンドも聴きどころの1つだ。
イリアーヌはこれまでアコースティクピアノトリオをベースにしたジャズを展開しており、自身のボーカルには積極的ではなかった。
イリアーヌがジョビンを歌ったのは1997年のアルバム「ザ・スリー・アメリカズ」での「シェガ・ジ・サウダージ」。オスカー・カストロ・ネイビスのギター1本でピアノ単音ソロとボーカルのみ。これが出色の出来だった。
あまりの出来の良さに、このアルバムの構想が持ちあがったと私は勝手に考えている。それ程、イリアーヌの声がボサノバにベストマッチングだったということだ。
推薦曲:「イパネマの娘」
マイケル・ブレッカーのスキルを前面に据えた「イパネマの娘」は様々なところで聴きどころは満載。
楽曲冒頭からマイケルのサックスがメロディを奏で、ピアノのイントロからイリアーヌの歌に入るという珍しい構成。マイケルはイリアーヌのボーカルの背景でもフィルイン的に吹いているが不思議に煩くない。
随所で聴けるパウル・ブラガのトップシンバルが美しい!
推薦曲:「ハウ・インセンシティブ」
イリアーヌは明るめの楽曲よりも、憂いを含んだ楽曲を歌わせた方が向いているとかねてから思っていた。そういうタイプの声色なのだ。この楽曲はピアノトリオにガットギター、イリアーヌのボーカルが乗るだけという極めてシンプルな設えになっている。
イリアーヌはこの手の歌を歌わせると上手い。ジョビンの名曲が際立つ。
ピアノソロもギターソロも無し。歌だけで完結してしまうという驚きのトラック。
一方でイリアーヌの倍音成分の多い、くぐもった声の高い説得力に脱帽する。
■ 推薦アルバム:イリアーヌ・イリアス『私のボサノバ』(2008年)

ボサノバ生誕50周年を記念した作品。ボサノバの重要曲にストリングスを纏わせるというイリアーヌの新しい試み。「イパネマの娘」「デサフィナード」「想いあふれて」などボサノバのスタンダードをゴージャスなストリングスを配し聴かせている。ゲストにはイバン・リンスやジャズ・ハーモニカ奏者のトゥーツ・シールマンスを迎えている。
推薦曲:「想いあふれて(シェガ・ジ・サウダージ)」
1997年のアルバム『ザ・スリー・アメリカズ』の「シェガ・ジ・サウダージ」のフォーマットをベースにシンプルなリズムセクションを加えたトラック。イリアーヌのソロからベースも加わりカルテットの演奏になる。シンプルなシェガ・ジ・サウダージ。
イリアーヌは『ザ・スリー・アメリカズ』の同曲と違い、冒頭をフェイクして歌っている。
推薦曲:「エスターテ(夏)」
ストリングスアンサンブルが流れるリッチなエスターテ。イリアーヌが歌うエスターテは同じメロディを歌っているのに何故かあまり気怠さを感じないのが不思議さがある。
中間部のソロはハーモニカの名手、トゥーツ・シールマンスがとっている。こういったソロはトゥーツしかできない。アウトロでもそのハーモニカソロがストリングスと絡むように展開し、楽曲に花を添えている。
■ 推薦アルバム:イリアーヌ・イリアス『Quietude』(2022年)

イリアーヌ・イリアス2022年10月14日リリースの最新盤。これまでボサノバを取り上げたアルバムは数多く存在したが、最新盤はガットギターをメインに据え、ピアノトリオの演奏にイリアーヌの歌が乗るという、イリアーヌの歌唱に特化したアルバム。
そのベースとなったフォーマットは前述のとおり、98年リリースの『ザ・スリー・アメリカズ』、「想いあふれて(シェガ・ジ・サウダージ)」に遡る。
イリアーヌのボーカルを生かすには装飾を排したシンプルなボサノバアレンジしか無いという結論に達したのでないか。
ガット・ギターバッキングとイリアーヌの歌とソロ…。この潔さこそがボサノバの神髄であり、本来の姿であると思う。
このアルバムではそんな原点に戻ったイリアーヌが聴ける。音をそぎ落としたトラックにイリアーヌのボーカルが光りを放っている。
推薦曲:「Voce e Eu [You and I]」
カルロス・リラとビニシウス・モラエスによるボサノバの定番曲。ガットギターとイリアーヌの歌唱がボサノバ本来のメロディラインを際立たせる。2コーラス目からは薄くピアノが入りアンサンブルがふくよかになるが、決して過剰にならないアレンジがこのアルバムコンセプトを象徴している。
推薦曲:「Bolinha de Papel [Little Paper Ball]」
ジョアン・ジルベルトやジョン・ヘンドリックスも取上げたボサノバの重要曲。
ピアノトリオとイリアーヌの歌唱というシンプルなフォーマット。この楽曲ではピアノソロをフューチャーし、イリアーヌを中心にしたアンサンブルが聴ける。
今回取り上げたミュージシャン、アルバム、推薦曲
- アーティスト:イリアーヌ・イリアス、オスカー・カストロ・ネイビス、トゥーツ・シールマンス
- アルバム:「海風とジョビンの午後」「私のボサノバ」「Quietude」
- 曲名:「イパネマの娘」「ハウ・インセンシティブ」「シェガ・ジ・サウダージ」 「エスターテ」「Voce e Eu」「Bolinha de Papel」
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