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Rock’n Me 23 洋楽を語ろう:ライアン・アダムス

2022-07-19

テーマ:音楽ライターのコラム「sound&person」, 音楽全般

こんにちは。洋楽を語りたがるジョシュアです。
第23回目は、シンガーソングライターのライアン・アダムスRyan Adamsについて語ります。彼のことを一行で表すと「衝動的で予測不能で繊細すぎで美しすぎる歌声」で、ブライアン・アダムスと間違えられるのがお約束となっています。

ライアンは、1974年にアメリカのノースカロライナ州ジャクソンビルで生まれ育ちました。少年時代のライアンはパンク・ロックが大好きでしたが、徐々にインディーズ・ロック、オルタナティブ・ロック、さらにはカントリーに広がりました。1995年にはウィスキータウンというバンドでデビューしました。ウィスキータウンはカントリー・ロックをベースとしながらも雑多な音楽性を取り入れ、方向性が共通していたウィルコやザ・ジェイホークスなどとともに「オルタナティブ・カントリー(通称オルタナ・カントリー)」と呼ばれるようになりました。ウィスキータウンは3枚のアルバムを残し、評論家から高い評価を受けました。しかしメンバー・チェンジや商業的なトラブルが相次ぎ、ライアンのソロ転向によりバンドは消滅しました。

ライアンのソロ作デビューは2000年の『Heartbreaker』でした。元祖カントリー・ロックとも言えるグラム・パーソンズを彷彿させる繊細な歌声、グラムの音楽活動を支えたエミルー・ハリス(vo)もコーラスで参加し、盛り上げに貢献しました。商業的な盛り上げには結びつきませんでしたが、評論家たちからは引き続き高い評価を得ました。個人的に思い入れが深いのは9曲目のバラード、”Come Pick Me Up”です。

■ Come Pick Me Up

次作『Gold』(2001年)では、より商業的な路線に舵を切り、グラミー賞にノミネートされたほか、これまでの作品の中でもっとも売れたアルバムとなりました。"When the Stars Go Blue"は数多くのアーティストたちが取り上げ、中でもアイルランドのザ・コアーズはU2のボノ(vo)とともにデュエットしたバージョンをアルバムに収録しました。シングル曲”New York, New York”は、そのタイトルの通りニューヨークがテーマで、2001年9月7日、世界貿易センタービルなどのニューヨークの高層ビルを背景にしたプロモーション・ビデオを撮影しました。しかし、その4日後の11日、ニューヨークでは同時多発テロが発生し、テロ攻撃の標的となった世界貿易センタービルは崩壊しました。このような状況のもと、このビデオはニューヨーク市民にとって新たな意味を持つようになりました。

■ New York, New York

その後の彼の多作ぶりはただただ驚くばかりです。『Gold』はもともと4枚組分の曲があったものの、レコード会社がリリースに難色を示しました。それらを1枚にまとめたアルバム『Demolition』を出したものの『Gold』の成功には至りませんでした。バラードのアルバムを作ったかと思うと、ロックンロールやメタルのアルバムを出し、ファンでも把握できないほどの多作ぶりを発揮しました。皮肉なことに、当初レコード会社が発表を見合わせたオアシスの”Wonderwall”のカバーはグラミー賞にノミネートされました。あまりにも切なくデリケートな仕上がりは、いつも不平不満ばかり口にするオアシス(当時)のノエル・ギャラガーが絶賛するほどのものでした。

■ Wonderwall

その後も多作ぶりは続きます。2005年には自身が率いるバンド、カーディナルスを結成したり、毎月シングルを発表したり、テイラー・スイフトの『1989』を全曲カバー(!)したアルバムを発表して、作品を列挙するだけで長文になってしまいます。2009年に女優・シンガーのマンディ・ムーアと結婚して落ち着くかと思いきや、2016年には離婚。2019年にはマンディをはじめ複数の女性アーティストたちから性的ハラスメントを告発され、活動休止を余儀なくされました。2020年に活動を再開し、本年5月にはライヴ活動しましたが、チケットは瞬時で売り切れました。この騒動でお蔵入りしたアルバム3枚(!)もリリースされ、中でも『Wednesday』収録の”I’m Sorry and I Love You”は、まるで女性たちに謝罪しているかのような歌詞となっています。ニール・ヤングを彷彿させる繊細な歌声を聴くと、この作品が日の目を見たことを喜ぶとともに、改心した彼が良い作品を出し続けることを願うばかりです。

■ I’m Sorry and I Love You

私のささやかな自慢は、ライアンのコンサートを国内外で4回観たことです。(2002年10月デトロイト、2003年ワシントンDC、2005年フジロックフェスティバル、2014年バンクーバー)。彼のコンサートほど、ハラハラドキドキすることはありません。冒頭で書いたように、「衝動的で予測不能で繊細すぎで美しすぎる歌声」で、何が起きるのか全く予想できないのです。これまで数多くのアーティストのコンサートに通いましたが、その中でも2003年のライアンは最高級でした。ライヴハウス9:30 Clubでのコンサートでは、中盤に同じ曲を3回演奏する、という破天荒な内容でした。本人の思い付きだったのでしょう、バンド・メンバーが慌ててついていく有様でしたが、本人も観客も大盛り上がりで、これぞライヴな体験でした。一方、2005年のフジロック。初来日するライアンを、熱心なファンたちが土砂降りのなか待っていました。しかし当のライアンは不機嫌モード丸出しで、途中で切り上げてステージを去ってしまいました。私を含めた多くの観客は大雨の中、呆然と立ち尽くすしかありませんでした。しかし、これはもう17年前の話で、その後は2015年のフジロックと2016年の単独公演をそつなくこなしました。色々なトラブルを乗り越えたライアンを、ぜひ近いうちに観たいものです。

ライアン・アダムス(2002年10月13日、デトロイトState Theatre)

ライアン・アダムス(2014年10月7日、バンクーバーOrpheum Theatre)


コラム「sound&person」は、皆様からの投稿によって成り立っています。
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ジョシュア

1960年以降の洋楽について分かりやすく、かつマニアックに語っていきます。 1978~84年に米国在住、洋楽で育ちました。2003~5年に再度渡米、コンサート三昧の日々でした。会場でのセットリスト収集癖があります。ギター・ベース歴は長いものの永遠の初級者です。ドラム・オルガンに憧れますが、全く弾けません。トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズに関するメールマガジン『Depot Street』で、別名義で寄稿しています。
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