
こんにちは
皆さん今年の夏はどうお過ごしでしょうか?
夏は大きな野外音楽フェスや人気アーティストのライブツアーも開催されていますし、最近は新型コロナウイルスの規制も緩和したことでライブでの声出しOKというのも多くなりましたね。
音楽好きな皆さんは大いに楽しい夏を過ごしていることかと思います。
ですがまだまだ暑い日が続いていますので体調に気を付けてくださいね。水分補給大切ですよ。
さて、前回のブログではEpiphoneの歴史前編ということでEpiphone創設から経営がGibson(CMI)に移るまでを紹介してきました。
今回は経営権がGibson(シカゴ・ミュージカル・インストゥルメンツ)に移ってから現在までのお話です。
Epiphoneといえば皆さんが大好きなあの世界的有名バンドも忘れちゃいけませんね。
Gibsonに経営権が移った後、メーカーとしての行方はどうなって行くのでしょうか。
ではEpiphoneの歴史後編の始まりです。
経営権がGibsonに渡った後、Epiphoneの生産体制はミシガン州のカラマズーへと移されました。
これからどうなっていくのかといいますと、テッド・マッカーティが斬新で画期的なプランを打ち出します。
それはGibson社とエンドース契約を結びたいギタリストのうち、実績がある人物にはGibson、まだ実績がない人物にはGibson工場製のEpiphoneを渡すというものでした。
なぜこのようなマーケティングがとられたのか。
それは当時Gibson製品の販売権のことでディーラー間ではしばしば揉め事が起きていたからなのです。
その解決策としてEpiphoneという名前を使うことで、ディーラーはGibsonと同クオリティの製品を取り扱うことができ、かつ商売や商圏を荒らすことはない、そしてGibson社は若手ミュージシャンによる公告効果が得られるという一石三鳥のアイデアだったわけなんですね。
そして時は1960年代。
話は少しそれますが、この頃のGibson社では重大な問題が起きています。
それはレス・ポールモデル、ダブルカッタウェイ問題です。
ご存じの方も多いかと思いますが、改めて簡単に説明します。1961年にGibson社がレス・ポールモデルのデザインをダブルカッタウェイに変更したのです。
これにレス・ポールが大激怒!!
デザインやロイヤリティなどで揉めて1964~1966年までレス・ポールの名前が使用できなくなります。
このことでレス・ポールモデル・ダブルカッタウェイの名称はSG(ソリッド・ギターの略)となるわけです。ちなみに1968年にはオリジナルのレス・ポールモデルもカタログに復活することになります。
さて、なぜGibson社でこのようなことが起こったのか?
この背景にはFender社が絡んできます。
ダブルカッタウェイに変更される前の1954年になにが起こったか?
ギターに詳しい方ならこの数字でピンときたはず。そうです、Fender社のギター、ストラトキャスターが販売されたのです。
次いで1958年にジャズマスター、1960年にジャズベース、1962年にジャガーと発売されて巷ではダブルカッタウェイや薄いボディのギターが好まれるようになったのです。
それに対抗してSGが作られたのですが、レス・ポールの名前を使ったのがちょっとまずかったですね。
ギター市場はストラトキャスターの発売以降Fender社がイケイケの状態だったわけです。
この関係が後にひっくり返るのが面白いのですが、ちょっとのつもりで話がだいぶそれたので戻します。
1960年代半ばになるとアメリカである社会現象が……。
ブリティッシュ・インヴェイジョン。
この時代にイギリスから多くのロックバンドがアメリカに渡ってくるのです。
その中でも圧倒的人気を誇るバンドがEpiphoneのギターを使用することとなるのです。
そう、皆さんご存知ビートルズです。
ビートルズといえばリッケンバッカーやグレッチも使用していますが、1966年ドイツのミュンヘン公演ではジョンとジョージは2人で仲良くカジノを使っていました。後の日本公演も2人揃ってカジノだったのでビートルズといえばEpiphoneカジノを思い浮かべる方も多いんじゃないでしょうか?
ちなみにビートルズの中で最初にカジノを購入したのはポールみたいですね。
当時、ポールはジミ・ヘンドリクスに憧れがあり、ギター屋さんで、「よくフィードバック音が出せるギターが欲しいんだ」と相談したところ店員さんがおすすめしたのがEpiphoneカジノだったそう。そこでホロー・ボディ構造を気に入りカジノを購入したそうです。
他にもキンクスのリードギタリスト、スデイヴ・デイヴィスやローリング・ストーンズのキース・リチャーズもカジノを使用しておりEpiphoneは世界に名を轟かすことになります。
この1960年代の序盤から中盤の時期は、Epiphoneにとって好況期で1961年から1965年の間に出荷本数が5倍にまで伸びたそうです。
さて、Epiphoneが大人気の時期にGibson社にある出来事が起こります。
1966年、テッド・マッカーティがGibson社を退職。
しかもブリッジのトレモロユニットで有名なビグスビー社の社長に就任するのです。
これまでGibsonの売り上げに大きく貢献してきた人物がいなくなる事態が起こります。
そして畳みかけるように1969年、Gibsonの親会社シカゴ・ミュージカル・インスツルメンツが南米の複合企業ECL(Ecuadorian Company Limited、後のNorlin Corporation)に買収されるのです。
これにより1976年から1984年にかけて、Gibsonのギターの生産はカラマズーからテネシー州ナッシュビルに移されることとなりました。
さてこれによりEpiphoneはどうなったのかと言いますと……
これまでGibsonの工場で生産されていたEpiphoneギターでしたが、1970年までに米国内での生産は終了。
そして日本の工場がOEM先として選ばれ、Epiphoneは日本で生産されることとなるのです。マツモク製Epiphoneといえばジャパン・ビンテージとして今でもとても人気があり、中古ギターの販売サイトでもよく目にします。
加えて1980年代後期の寺田楽器製のEpiphoneも中古市場では人気が高いですね。
日本製のEpiphoneは当時も人気だったのですが、1980年代前半に日本での生産コスト上昇を理由に、Epiphoneは韓国のサミック社と協力して拠点を韓国へ移すことになるのです。
公式文では1983年に生産拠点が韓国に移ったとありますが90年代の日本製のEpiphoneも存在していることから一部のモデルや復刻版のようなものは生産されていたようですね。
この頃からEpiphoneはエントリークラスのモデルを多く生産し、いわゆるお求めになりやすい価格帯のギターブランドといった感じになっていきます。
そしてまたもやGibson社に転機が起こります。
1986年、ヘンリー E. ジャシュキェヴィッツ、デヴィッド H. ベリーマン、ゲイリー A. ゼブロフスキー3人がECL/NorlinからGibsonを買収したのです。
またまたオーナーが変わり、まず改革が行われたのがGibsonブランドでした。
その後、1986年には年間で1,000万ドル未満だった売り上げを1993年には推定7,000万ドルまで伸ばしました。
一方そのころEpiphoneは「Gibson優先なのでちょっと待っててね」といった感じだったようです。
しかしGibsonの回復が順調に進むと社長のデヴィッド H. ベリーマンは韓国ソウルにEpiphoneのオフィスを開設。これを機にEpiphoneにも資金が注がれるようになり、新モデル製造や復刻モデルの製造をさせるようになるのです。
1993年にはGibsonのナッシュビル工場でSheratonやRiviera、モンタナ工場ではExcellenteやTexan、Frontierなどが製造され、60年代黄金期を彷彿とさせるUSA製Epiphoneが復活。
その後アドバンスド・ジャンボ通称AJの復刻や、多くのシグネチャーモデルが作られ90年代のEpiphoneは絶好調でした。
そんな状況を受けてEpiphoneに対する需要は高まっていき、2004年に念願の新工場が中国に開設されるのです。
エントリークラスギターはOEMの工場で生産させるのが一般的ですが、こちらの工場は自社工場!!
これは低価格帯のギターにとっては大きなアドバンテージだと思います。
実際、Epiphoneの製品は同価格帯の製品の中でも造りがしっかりしており、木工や塗装、電装系とどれにおいてもクオリティが高いです。
そしてこの工場は、1957年にEpiphoneがGibsonに経営権が渡って以来、実に47年ぶりのEpiphone専用の工場なのです。
創設から苦難を何度も乗り越え、ここまでくると感動ですね。涙出ちゃいます。
そして時は経ち2018年5月1日、あるニュースが飛び込んできます。
Gibson社が連邦破産法第11章の適用を申請。
これはかなりの衝撃でした。
スマホ片手に固まってしまったのを今でも覚えています。
しかし同年後半に新しい経営チームが発足し2018年11月に連邦破産法第11章から脱却。
新CEOに就任したジェームズ・カーレイはなんと元リーバイ・ストラウスのブランド責任者。まったくの畑違いの方がCEOに就任されて当時はととても驚きました。
そして2020年、世界中のEpiphoneファンが歓喜する出来事が起こるのです。
USA製Epiphoneカジノの復活!!
2020年のNAMM SHOWで発表され翌年2021に正式に販売開始。
このカジノの復活以前まではUSA製のカジノと言ったら60年代のヴィンテージを購入するしか手がなく、高嶺の花的存在でした。
しかし憧れのUSA製カジノがちょ~~~っと頑張れば手に入る。Epiphoneファンとってこれほど嬉しい出来事はないですよね。
現在2023年、Epiphoneは150周年を迎えます。
5月9日にはGibsonの新たなプレジデント兼暫定CEOにセザール・グイキアン氏が就任。今後のGibson、Epiphoneがどのような道を進んで行くのか楽しみですね。
前編、後編に渡りEpiphoneの歴史についてブログを書かせていただきましたが、いかがだったでしょうか。
後半のハイライトはなんと言ってもビートルズがカジノを使用したことがどれだけ世界に影響を与えたかということですよね。
もっともっと詳しく書きたい事もあったのですが、その内容だけでブログ何個分かくらいになりますので、機会があったらまた今度ということで。
このブログを読んでくださった方が少しでもEpiphoneについて興味を持っていただけたら幸いです。
なお今回のブログの内容も前回と同じくEpiphone公式サイトの記事をもとに書かせていただきました。
EPIPHONE HISTORY
Epiphone 140 Years
公式サイトではEpiphoneの歴史について本ブログより深く知ることができますので、ぜひご覧ください。
さて、次回は商品紹介編です。
次のブログも読んでいただけたら嬉しいです。
ではまたサウンドハウススタッフブログで会いましょう。
さようなら。