
数年前、古代史を研究している際に、ふと、歴史人口学という学問に触れる機会がありました。これが意外と奥が深く面白いのです。歴史の流れを踏まえた上で、日本の人口がどのように増加したか、そしてその人口数に達するには、渡来人がどのくらい海を渡って日本を訪れたのか、ということを計算するのです。一説によると、弥生時代後期においては、少なくとも150万人もの渡来人が日本列島に移住したといわれています。さもなくば弥生時代から古墳、飛鳥、奈良時代に向けての日本列島の人口急増を説明することができないのです。確かに自らの試算においても、最低200万人から300万人の渡来者が大陸から到来しなければ、まともな数字にならなかったのです。。。

なぜこんな話をしているかというと、今や逆に人口の急減が緊急課題だからです。このままでは500年後、日本列島に日本人がいなくなってしまうというのです。50年後には離島の半数が無人島化すると言われています。それだけではありません。日本列島はそもそも島国であり、漁業から成り立っている国なのです。日本列島は漁村に囲まれ、これまで魚を捕りながら生計をたててきた国なのです。その日本列島から次々と漁村が消えていくことになりかねない状況です。無論、林業も壊滅状態であり、山や海で仕事をしたい若者はいずこに。。。悩ましいですね。
もうひとこと、北方領土問題にしてもしかり。もはやギブアップ寸前といわざるを得ないのです。北方領土は明らかに日本固有の領土です。しかしながら、領土というものはそこを実行支配する人々が最終的な権限を持つことになります。でも、その北方領土に住みたい、という日本人が今、いるのでしょうか。若者の中にはまずいません。年配者でも、寒すぎる、遠すぎる、不便、食事が美味しくない、怖い、等々、意見はすべてネガティブであり、移住する人などいません。よって、そこに今住んでいるロシアの人たちが、日本の領土で幸せに過ごしていただくことを、ただ願うしかないのです。

ここ最近、サウンドハウスではYOITOKOプロジェクトを通して地域の活性化に貢献しようと試みています。これまで日本全国を旅しながら、20年後には果たしてこの町、存続しているのだろうか、と思わされるような町を無数に見てきました。閑散とした町では何も楽しめることがないため、一様に若者が東京に集まりたがる傾向があるようです。その一辺倒の傾向を危惧し、どうにかしなければ、と考えてはいるのですが、いまだに名案が浮かびません。人生の価値観には、都会への憧れがあると同時に、大自然に恵まれた環境下で、緩やかな時間の流れにそって、自然に育まれながら生きていくことも、選択肢の中にあってよいはずです。

何はともあれ、まず、地方に人が住みつかないことには、歴史の流れが途絶えます。そのための秘策は日本固有の文化であるお祭りしかないとみています。日本人の心には、神仏を敬う信仰心がどこかしらあるのでしょう。その心に強烈に訴えるアクティビティーがお祭りです。今年は阿波踊りと、秋田の竿燈まつりに参加することができました。前者は女子が祭りの踊りをリードする世界最強の女子主導フェスティバルです。竿燈まつりは曲芸ともいえる芸術的な竿燈の舞を、男手で成し遂げるという極めて難度の高い祭りの技です。その技を披露する姿は圧巻そのものです。これらの祭りを通して、日本人はいつも、故郷に思いを寄せています。祭りには命があり、そこには先祖代々からの教えと思いが込められているのです。また、お祭りには音楽が欠かせません。そこで奏でられる太鼓の響き、笛の音、そして多くの掛け声こそ、躍動感みなぎるお祭りの真骨頂でもあります。

こういう時代だからこそ、思い切って日本社会に貢献しなければなりません。
そして今がその時です。それが、サウンドハウスがここまで大きくなった理由の一つです。もっともっと、お祭りの文化を全国民に広めながら、地方隅々まで人々が行き渡り、日本列島全土で大勢の人々が幸せな日々を過ごせたらと願っている今日この頃です。そのためにYOITOKOを通じて何ができるか、どうやってお祭りに大切な音楽の普及に貢献できるか、若者を通した地方活性化をどのように実現できるか、日々自問自答しています。