

素晴らしい音楽を残したミュージシャンは素晴らしい言葉を残しています。そのお題を素敵に解釈。日々の生活に無理やりでも役立ててしまおうというコーナーです。
さて、今日のお題は?
人名:フレディー・マーキュリー
名言:自分が死んだ時のこととか
世間がどんな風に僕を覚えていてくれるのかとか
本当に考えたこともない
僕が死んでも、誰が気にする?
なんとも悲しい名言です。名言というかこれ、フレディー・マーキュリーが亡くなる10日前に行ったインタビューでの発言なのです。1991年11月24日、エイズが原因のカリニ肺炎により、数々の名曲を生んだクイーンの名ヴォーカリスト:フレディー・マーキュリーは亡くなってしまいました。このセリフにもあるように、フレディーは常に誰かの愛を求めていました。一方で成就しない愛の連続に失望していました。相手は男女どちらでも良かったのです。まさに【Somebody To Love】。そんな日々は、乱れた性生活を送ることとなり、ロック界ではあまりにも早くエイズに感染し亡くなったミュージシャンとなってしまいました。これはそんなフレディーの死期に迫った独白であると同時に、一方で、本当は「自分が死んだらたくさんの人が悲しむだろう。でも、それを僕が知ることは出来ない」と悲しんでいる様でもあります。

ショッキングな発病発表が放送された翌日に他界。全世界のクイーンとフレディ・マーキュリー・ファンが涙しました。私も泣きましたよ。その後も、エイズ基金を目的としたフレディー追悼ライヴ。クイーン・ミュージックのミュージカル化、ポール・ロジャースやアダム・ランバートが参加してのクイーンとしてのライヴ再開と、時代は常にフレディーの幻影と音楽を求め続けました。フレディーがエイズに感染したことを一番初めに告げられたのはギタリストのブライアン・メイだったそうです。病気が原因で足の先端が欠けてしまったのを見せられ「もうライヴはできない」と言ったそうです。メンバー協力の元、最後のアルバム『イニュエンドゥ』が制作されました。ラスト・ソングは他メンバー3人による作詞作曲で「ショウ・マスト・ゴー・オン」。粋な計らいです。

アーティストはそんなに孤独なものなのでしょうか? HIV治療薬により延命は平均寿命並みに延びたと言われています。余計にフレディーの早すぎた死はショッキングな出来事となりました。彼の歌は今でも華麗で美しく心を打ちます。彼の死後、その偉業を称える投稿がネットで駆け巡りました。ビヨンセとの作詞における対比画像です。笑えるのと同時に誇らしく思えるのは、私たちが偉大なる作曲家フレディー・マーキュリーと同時期に生きてきたからではないでしょうか。

ちょっと今回はしんみりした話になっちゃったね。悲観せずとも、自分が思っている以上にあなたのことを思ってくれる人や気にかけてくれる人は、どんな場面においてもたくさんいるのだよ。それは約束しよう。誰が?俺がだよ!(笑)
今回は、フレディーが僕らにくれた愛に
座布団五枚!