ここから本文です

Rock’n Me 11 洋楽を語ろう:フリートウッド・マック

2021-12-29

テーマ:音楽ライターのコラム「sound&person」

こんにちは。洋楽を語りたがるジョシュアです。 第11回目では、最長寿バンドの一つであるフリートウッド・マックFleetwood Macについて語ります。彼らの結成は1967年で、なんと54年前です。1967年というと、アメリカはベトナム戦争への反戦運動が高まり、中国では文化大革命が吹き荒れていて、日本との国交も結ばれていませんでした。日本ではトヨタからハイエースが、タカラからリカちゃん人形が新発売されました。グループ・サウンズが盛況となり、堺正章、沢田研二、萩原健一などが駆け出しミュージシャンとして活躍していた時代です。とてつもない年月を感じさせますね。

1960年代のイギリスには、ブルースを広めた立役者としてジョン・メイオールがいました。彼のバンド、ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズのメンバーのうち、ピーター・グリーン(g, vo)、ミック・フリートウッド(dr)、ジョン・マクヴィー(b)の3人が独立し、ジェレミー・スペンサー(g, vo, key)とともにフリートウッド・マックを結成しました。念のため、「フリートウッド・マック」というバンド名はミックとジョンの苗字を組み合わせたものです。(なお、ブルースブレイカーズでのピーターの前任者はエリック・クラプトンでした。)当時は純粋なブルース・バンドで、特にピーターのギタープレイが評判を呼びました。当時のピーターの愛機だった1959年ギブソン・レスポールはゲイリー・ムーアの手に渡り、現在はメタリカのカーク・ハメットが所有しています。

■ Oh Well

ピーターは薬物の影響で活動を続けられなくなり、以降はギタリストのメンバー・チェンジが続きました。途中加入した女性ヴォーカリスト兼キーボーディスト、クリスティン・パーフェクトはジョンと結婚し、クリスティン・マクヴィーとなりました。音楽性はブルース一辺倒からロックに向かいましたが、ヴォーカリストとギタリストの交代が相次ぎ、売り上げも低迷する時期が続きました。

バンドは活動の拠点をイギリスからアメリカに移し、西海岸で鳴かず飛ばずの活動をしていたリンジー・バッキンガム(vo, g)と、公私におけるパートナーだったスティーヴィー・ニックス(vo)を招き入れました。ミックはリンジーに加入を持ちかけたところ、リンジーは「スティーヴィーと2人セットでお願いします」と恐れ多くも主張し、まんまとセットで加入。これによりフリートウッド・マックは女性2名、男性3名の編成となりました。ブルース色は消失し、フィンガーピッキングによるリンジーのギターとクセのある歌声、小悪魔的な妖艶さを持つスティーヴィーがバンドの新たな顔となりました。クリスティンも含めて、3名のシンガーから繰り広げられる軽快なポップ・サウンドは大衆的人気を博し、『Fleetwood Mac』(1975年)からは”Rhiannon”などがシングルヒット。続く『Rumours』(1977年)からはクリスティー作の”Don’t Stop”、スティーヴィー作の”Dreams”、リンジー作の”Go Your Own Way”などがシングルヒットし、アルバムは31週にわたって全米1位となる前代未聞のヒットとなりました。音楽の消費サイクルは現在と違いますが、それにしても、とんでもない記録です。

■ Go Your Own Way

『Rumours』は売れに売れまくりました。もちろん、その最大要因は、軽快でキャッチーなポップロック・サウンドにあります。しかし、バンド内の生々しい人間ドラマも重要な要因となっていました。クリスティンはジョンのアルコール問題に悲鳴を上げて離婚し、ジョンの目前で照明スタッフとの交際を開始しました。リンジーとスティーヴィーは破局し、ミックも結婚生活が破綻(ついでに、アルバム発表後にはスティーヴィーと浮気)という、ドロドロすぎる人間ドラマが繰り広げられていました。このような人間ドラマが曲の題材となり、憎愛と怨恨に満ちた歌詞となっていました。ただ、これだけの泥沼がありながらも、それを作品として昇華させたのが、彼らの底力です。同作で唯一の合作”The Chain”のコーラスでは「鎖が私たちをつないでいる」と繰り返されていて、当時の人間関係を象徴する一節となっています。

これだけの大物アルバムの後、次作が難産となるのは必然的です。しかし、リンジーはあえて実験的側面を強調し、大作『Tusk』(1979年)を仕上げました。各自のソロ活動と並行してアルバムを出し続けましたが、1987年にはリンジーが脱退、後にはスティーヴィーも脱退しました。しかし、1997年には『Rumuors』のメンバーが再集結してライヴ・アルバム『The Dance』を発表し、バンド活動を再開しました。

■ “The Chain”(『The Dance』ヴァージョン)

メンバー交代はその後も続きます。クリスティンは引退を宣言し、それ以外のメンバーで2003年『Say You Will』を発表し、以降のツアーは大盛況となりました。2014年にクリスティンが復帰し、再び黄金期のラインナップに…と思いきや、2018年にはバンドのツアーを渋っていたリンジーが解雇されてしまいました。しかし、バンドは止まりませんでした。クラウデッド・ハウスのニール・フィンをヴォーカルに、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのマイク・キャンベルをギターに迎えてツアーを決行し、興行的には大成功となりました。

リンジーは、解雇に対して法的手段に訴えましたが後に和解し、「ミックと連絡を取り合っている」と、バンド復帰をほのめかす発言も一時期はしていました。しかし最近では、解雇時のスティーヴィーの態度を激しく非難し、それにスティーヴィーが応酬していて、ドロドロな人間ドラマはまだまだ現在進行系です。

私は、2003年のツアー時、ワシントンDC (MCI Center)とイリノイ州シカゴ郊外(Allstar Arena)で彼らを観ることができました。前述の”The Chain”で始まり、相次ぐヒットと『Say You Will』からの意欲的な新曲を交えたセットはただただ感動モノでした。ハイライトの一つは、スティーヴィーのヴォーカルとリンジーのアコースティック・ギターで”Landslide”が終わった後、二人がハグするシーンでした。結局「私もみんなも下世話なネタが大好きなんだ」と思いながら「この音楽はこのバンド、このメンバーでしか出来ないんだ」と実感したのをはっきりと覚えています。スティーヴィーもリンジーも、良い大人(というか、高齢者)になったのですから、せめてもう一度、あの日のようにハグしてほしいものです。どうせ鎖で繋がれている仲なのですから…。

■ 2003年5月9日 MCI Center公演セットリストとチケット


コラム「sound&person」は、皆様からの投稿によって成り立っています。
投稿についての詳細はこちら

ジョシュア

1960年以降の洋楽について分かりやすく、かつマニアックに語っていきます。 1978~84年に米国在住、洋楽で育ちました。2003~5年に再度渡米、コンサート三昧の日々でした。会場でのセットリスト収集癖があります。ギター・ベース歴は長いものの永遠の初級者です。ドラム・オルガンに憧れますが、全く弾けません。トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズに関するメールマガジン『Depot Street』で、別名義で寄稿しています。
Facebook https://www.facebook.com/RocknmeJP
Twitter https://twitter.com/RocknmeJP
Depot Street https://www.mag2.com/m/0000011264

 
 
 
サウンドマートスキル出品を探す サウンドナビアフィリエイト記事を書く

カテゴリーから探す

翻訳記事

ブログカレンダー

2025年4月

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30

ブランドから探す

ブランド一覧を見る
FACEBOOK LINE YouTube X Instagram TikTok