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果てしなく長い道のり 日和佐から室戸岬までの78kmを走り続ける壁とは?

2023-11-20

テーマ:サウンドハウス創業者のコラム「Rickの本寝言」

Rickの本寝言 サウンドハウス創業者が本音をついつい寝言でつぶやく!

人生の長旅を象徴する四国八十八ヶ所の遍路

果てしなく長い道のり。人生の旅路は、振り返ってみても、確かに長い。人生の楽園がどこかにあると願っても、それがいつまでたっても見えてこない。いったいこの道は、どこまで続くのか。どこでゆっくりと休むことができるのか。どこに難関が待っているのか。そしてどこで終焉するのか。人生の壁にぶちあたってしまい、時には先が見えなくなり、落ち込む人も多いのではないだろうか。そんな人生の長旅を象徴するのが、四国八十八ヶ所の遍路かもしれない。中でも、徳島県の日和佐にある第二十三番札所の薬王寺から、高知県最南端の室戸岬にある第二十四番札所、最御崎寺(ほつみさきじ)までの78kmに及ぶ遍路道はとてつもなく長く、一気に進むことが難しく、そこには人生の荒波を思い起させる、さまざまなチャレンジが待ち構えている。

人はさまざまな思いを寄せながら、四国八十八ヶ所の遍路を歩く。勿論、今日では車で行き来しながら、札所と呼ばれる神社巡りを完結している人が多い。それも大事なことだ。しかしながら、自分の足で遍路道を辿るならば、恵はもっと大きいのではないだろうか。何故なら、そこには自然界との交わりがあり、空海が目にしたであろう景色と空間があり、時間がゆっくりと流れるだけに、自己を振り返り、いろいろなことをじっくりと考えることができるからだ。そして時には、ひらめきのように、天からメッセージをいただくことができるのかもしれない。

何故、遍路道を走るのか?

遍路道を第一番札所から走り始めて、既に延べ5日がすぎた。前回の5日目では、日和佐にある第二十三番札所薬王寺まで到達。そしてここから先、次の第二十四番札所最御崎寺までが、究極のロングランになる。多くの方はここでストップすることだろう。あまりにも距離が長すぎるからだ。その距離は80km近くもある。空海の時代では、おそらく船を使って海岸沿いを室戸岬まで向かったのではないかと思う。歩いていては丸一日かかってしまう距離だ。そんなとてつもなく長い遍路道であっても、空海と共に歩む、という信仰さえあれば、何故かしら勇気が湧いてくる。

四国八十八ヶ所遍路の背景には、勿論、空海の存在がある。遍路とは、単に周りの景色を眺めながら遍路道を行き、札所に到達する度に霊場にお参りし、お経を唱えて祈りを捧げ、その静まった境内にて安堵するだけではない。遍路の道すがら、その所々で心を清められるような思いにひたる時、ふと、空海に寄り添っているような気持になることがある。時には、空海の思いが伝わってくるような不思議な思いに満たされることもある。それは決して妄想や思い込みではないように思う。魂と大自然が触れあう時、そして空海の思いが感じられる遍路道を歩む時、不思議な思いに満たされることがあるのではないだろうか。それが遍路道を歩む醍醐味だ。だから自分は空海の思いに近づくためにも、遍路道をひたすら進む。

自分を追い込んでしまっているのか?

しかしながら、遍路道を自分の足で進むことは、容易くない。札所間では難所と言われる遍路道が存在し、その中には過去、旅の途中で命を落とした方々が何人もいるような険しい遍路道も少なくなかったのではと想像する。中でも距離感から言えば、薬王寺から室戸岬にある最御崎寺までの旅路は、とにかく長い。78kmもあるのだ。それは100kmのウルトラマラソンにも近づく長距離だ。その遍路道を日中に進むと決めたからには、走らざるをえない。もはや、後ずさりはできない。

「そこまで自分を追い込む原動力は、何なのか?」と、ある方から聞かれた。自分でも時に、思うことがある。「本気でやるのか。。。」「つらいぞ!」と。それでも一度決めたからには、体を壊すリスクを冒してでも、自分の足で、四国八十八ヶ所の遍路をひとつずつ、順番に札所を周り、走り切る気持に変わりはない。何故ならば、今でしかもう、自分の限界にチャレンジすることができないからだ。だいぶ歳をとってきた。体の故障も多くなってきた。だから今しかないのだ。無論、できるかどうか、わからないことだらけだが、やってみないかぎり、結果はわからない。人生とはそんなもんだ。そんな思いにかられながら、78kmを走り通すことを決意した。

不安と恐怖がおそう一瞬

時が訪れた。自己の限界を悟る究極のチャレンジは、薬王寺から室戸岬までの78kmにもなる遍路道を、日中に走り切ることだ。11月ということもあり、日の出から日没まで10時間少々しかない。つまり、時速8kmで走り続けないと、日が暮れてしまうことになる。これはかなり、やばい。が、覚悟したからには、やりきるしかない!ところが実際、そんな距離を走ったこともないし、78kmと言えば、何しろあのつらいフルマラソンを往復2回走るのと同じ距離だ。正直、全くの未知の世界なので、考えるだけでも怖くなってくる。

20年前、フルマラソンを完走するために、がっつりと走り込んで練習していた頃と、今とは大違いだ。自分の体は自分が一番良く知っている。無論、がたがきているのだ。一昨年のハーフマラソンでは、10kmも過ぎると足のひざ下、前脛骨筋が硬直して、途中、ストレッチをしなければ走れない、という初の苦い体験をした。ぼちぼち、自分の体も老いてきたのかと痛感する一時であった。以降、それまではたかが10kmと思っていた距離でも、走る度に大腿四頭筋や、内転筋の激痛を味わうことがあり、ふくらはぎや膝も危ない状態を体験してきた。ここ最近では20kmを超えるハーフマラソンを走るだけでも怪我が怖く、相当な覚悟が必要となってきている。

それでも、1か月前の遍路チャレンジでは、徳島の立江寺から薬王寺までの50kmという長い距離を走り切ることができたのは、大きな自信につながった。その50kmの遍路道とは、高低差が2000mもあり、距離もフルマラソンの42kmよりも長い距離だ。最後の20kmは苦しみぬきながらも、痛みをこらえて走り続けることができて、無事、薬王寺まで辿り着くことができた。そんな成功体験があったことから、一筋の望みをかけることになる。それ故、その距離に30kmを上乗せした80km近くにもなる距離であっても、「なんとかなるのでは?」という期待の思いが先走ることになる。そして遂に、遍路道の最難関とも言われる薬王寺から室戸岬までの一直線に、果敢にチャレンジすることにした。やはり、不安はつのる。途中での怪我が怖いだけでなく、脱水症や古傷も含め、途中で止まる可能性は高い。でも、やるしかない!

未知の78kmに立ち向かう!

11月12日、日曜日、遍路を走る前日、日和佐駅前のケアンズ宿に泊まり、当日は夜明けと共にスタートすることとした。小さいリュックの中には栄養ドリンクが5種、水が2本、おにぎり1個、納豆巻が1つ。たったこれだけだが、途中、おそらくコンビニがあると想定し、できるだけ軽めの装備で行くことにする。そして早朝6時15分、夜明けと共にスタートした。

日和佐の薬王寺から出発し、国道55号を室戸岬に向かってひたすら走りはじめる。無論、ペース配分が大事なので、大事をとってゆっくりとスタートだ。朝のランニングは快適。その調子でずっと室戸岬まで78km走ることができれば、夢が現実となる!遍路の途中には、我が愛する竹ヶ島も見えてくる。わくわく、どきどき、期待に胸をはずませながら、さっそうと走って行く。そして怪我をしないように、足の筋肉に気を使いながら走るのだが、やっぱり不安だ。そしてその不安は、遂に現実となってしまう。

やはり未知の世界となる50kmを超えた頃から、体が不調をきたし始めた。道路標識を見ると、室戸岬まではまだ、30kmもあるという。本当に心が折れそうになる瞬間だ。心配していた膝とふくらはぎは、筋トレのおかげもあってか、何とか持ちこたえていた。ところが、古傷の大腿筋の付け根に痛みがはしり始め、固まってきてしまったのだ。簡単に言うと、痛い。ところが痛いだけでなく、その痛みが限界を超えると、生理現象だろうか、痛みをこらえて走ろうとしても足が固まって止まってしまうのだ。その場合、いったんはしゃがんで足と腰をストレッチし、筋肉を伸ばすと、また軽く走ることができるようになる。自動車レースのピットインのようなものだ。そして実際、数百メートルごとにピットインして、ストレッチを繰り返しながら走ることになる。実は、これがつらい。都度、足が動かなくなるまで痛みをこらえて走るからだ。そしてストレッチをして、また筋肉をほぐす。どんだけ我慢すればいいのかと、気が遠くなる思いをこらえるのが大変だ。それでもゴールを目指しているから、止まる訳にはいかない。

既に11時間は走ってきただろうか。自分で言うのもおかしいが、すさまじいチャレンジ精神としか言いようがない。それでも予定より2時間は遅れており、室戸市に入った時点では、日が暮れてしまっていた。思いのほか、室戸岬へ向かう道は所どころ、真っ暗闇なのだ。街灯がないため、車が行き来しない限り、何も見えない道中を走っていくことになる。想定外の危険に遭遇してしまった。ユネスコ世界ジオパークの街だから、街灯くらいあってもしかるべきではと、今さら文句を言う訳にもいかない。何となくここに道があるだろうと信じて、走り続けるには勇気が必要だった。そんな障害にも、何故かくじけることはなかった。何故なら、ゴールはもう、目前になってきたからだ。

そしてついに室戸岬の最南端に到達し、そこから少し北上してから、ゴールの最御崎寺(ほつみさきじ)へと向かう交差点まできた。ところが、ここから最後の難関が待ち構えているとは知る由もなかった。最御崎寺へ上る道は何と600mもあり、それが想定外の急斜面なのだ。しかも相変わらず街灯は無く、真っ暗闇。唯一の光と言えば、坂を上ると見えてくる遠くの町の灯りだけだ。ここまで既に13時間以上走ってきただけに、正に超絶のハードルが残されていた。それでもゴールはもう目の前だ!と思えば、気力で足は動くのだった!

最御崎寺にゴールした時、あたりは真っ暗闇だった。そして携帯の懐中電灯を照らしながら、境内へと向かう階段をあがり、参道を歩いて本堂まで辿り着いた。チャレンジ、成功!目標、達成!生き長らえたことに感謝!想像を超える激痛の繰り返しだったが、終わってみれば何のその。そこには、ほっと一息つきながらも室戸岬の頂点を、ひとりじめしている自分がいた。その翌日、不思議にも足は全く痛くなかった。ただ、体重が2kg以上減少したこともあり、体がとてもだるく、休息を必要としていた。リカバリーには数日かかるだろう。それでも、途中、何十枚も撮った写真を見ながら、室戸岬に向かう海岸沿いの景色のすばらしさを振り返るだけで、その美しさに心が和む。苦しみの思い出は消え去ってしまう。。それだけでも、大きなご褒美のように思えてくるのが、遍路道の素晴らしさかもしれない。

Rick - 中島尚彦 -

1957年東京生まれ。10代で米国にテニス留学。南カリフォルニア大学、ウォートン・ビジネススクールを経て、フラー神学大学院卒。GIT(Guitar Institute of Technology)第2期生のギタリスト。80年代にキリスト教会の牧師を務め、音楽ミニストリーに従事しながら、アメリカで不動産会社を起業。1989年、早稲田でライブハウス「ペトラクラブ」をオープン。1993年千葉県成田市でサウンドハウスを創業。2001年、月間地域新聞日本シティージャーナルを発刊。主幹ライターして「日本とユダヤのハーモニー」の連載をスタートし、2010年よりwww.historyjp.com を通じて新しい切り口から古代史の流れをわかりやすく解説。2023年、一般財団法人サウンドハウスこどものみらい財団を創設し、こどもたちの支援にも従事。趣味はアイスホッケー、ピアノ演奏、トレイルラン、登山など。四国八十八ヶ所遍路を22日で巡る。グループ企業の経営指導に携わるかたわら、古代史の研究に取り組み、日本のルーツ解明と精神的復興をライフワークとする。

 
 
 
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