声を出すための構造は、いくつかの要素に分けられます。発声を3つに区分するとすれば、空気を送り込むエンジンといえる呼吸と、音源に当たる声帯周辺、そして最終的な音質を決定するフィルターといえる共鳴部でしょう。 今回は呼吸について書いてみようと思います。
■ 哺乳類と横隔膜
進化の過程で、哺乳類は横隔膜を獲得し、効率の良い呼吸を実現しました。哺乳類もしくは近い種の呼吸は肺の膨縮によってガス交換を行なっています。肺自身は筋肉を持たないため、自ら膨らんだり縮んだりできない袋のようなものです。周辺の筋肉を使うことで膨縮しガス交換が可能になっています。
横隔膜を持っていない動物は胸郭を膨らませることで、肺の膨縮を行います。 哺乳類は、さらに横隔膜を使って、より効率的に酸素を取り込むことができます。
ただし、筋肉は一方向の引っ張りしか機能しません。当然押し戻すことは出来ず、せいぜい、ゆるめて元の長さに戻すことしかできません。
ここで重要なことは、横隔膜の役割は、肺に空気を入れるための専用筋肉だということで、生物として息を吸う吸気が優先されるということです。逆に息を吐く呼気のための専用筋肉はありません。横隔膜の力を抜くと、肺が適当なところまで縮むだけで、肺の空気を押し出すことはできません。
人は呼気で話したり、歌ったりしますが、そのための専用筋肉がないことを意味します。もし専用筋肉があれば、誰でも容易く安定した発声が出来たかもしれません。歌手は、周辺の筋肉を総動員して安定した呼気を実現しているわけで、複雑なコントロールをしていることになります。
他の哺乳類の鳴き声の多くは吸気で行っています。比較的長めに鳴く場合は吸気の率が高いはずです。犬の遠吠えなどは吸気だと思われます。吸気であれば、横隔膜を利用して安定した発音が出来るということです。元々備わっている専用筋肉を使っているので、無理がなく、教わる必要もなく、どのワンワンも出来るわけです。人も吸気で発声できますが、呼気発声に慣れ過ぎて、なかなか難しいようです。
■ 人は呼気で発声
では人は、なぜ吸気を使って話したり、歌ったりしないのでしょうか。ひとつ考えられるのは、発音の自由度を上げることを優先した結果、呼気の方がバリエーションが作りやすかったということです。また吸気で発音すると異物が入るリスクが大きくなり過ぎたという面もあると思います。
人も赤ん坊のころは、ミルクを飲み続けながら呼吸ができます。これを大人がやろうとすると、肺の方にミルクが入って大変な事になります。下の絵はサルと人の比較です。
サルと赤ん坊は似た構造になっています。サルは息をするときは喉頭蓋が上がって、食べ物をシャットアウトしますが、人は本来の蓋による切り替え機能が働かなくなっています。これにより口内を使った複雑な発音が可能になるのですが、異物が肺に入ってしまうリスクが高くなっているのです。吸気による発声もリスキーになるので、呼気で発声する方向になって行ったのだと思われます。
■ 腹式呼吸と胸式呼吸
呼吸は、よく腹式呼吸と胸式呼吸に大別されますが、実際には兼用されています。腹式呼吸は横隔膜の上下移動を優先させた呼吸で、胸式呼吸は胸郭の動きを優先させた呼吸であり、どちらに比重を置くかで呼び方が違ってくるようです。どちらかしか使わない極端な呼吸は無理と考えてよいと思います。
構造的には、肺にある程度空気を入れて、横隔膜等の筋肉を緩めると、肺の中の空気が口や鼻から出てきます。その時に声帯が振動して声になりますが、空気の流れというよりは、気圧差と考えた方がよいと思います。安定した呼気を実現するには、出てくる空気の量を一定にするというより、肺内部の気圧を一定に保つというイメージです。
では肺内部の気圧を維持する方法ですが、専用筋肉がないので、かなり厄介な状態です。横隔膜を緩めるだけでは不安定な呼気となりますし、段々とおなかが凹んで行くような発声もおかしいと思います。 肺内の気圧を維持しつつ発声するには、背筋など周辺筋肉を総動員して、徐々に肺を押して行くしかありません。肺をしぼませるようなイメージではなく、パンパンの肺を後ろや横から少しずつ押してやることで、容積が減ってもパンパン状態を維持するイメージです。
■ 呼吸がしやすくなる方法
人は四肢動物から進化したと考えられますので、四肢動物のような姿勢になると、効率的になることがよくあります。人は直立して、腕が胸郭にぶら下がっている時点で、呼吸に不自由する姿勢になってしまったと言えます。元々腕は前足として、体を支えていたのに、直立することで体にぶら下がるものになってしまったわけです。腕の重みは、胸郭の動きを妨げるため、呼吸の妨げになっているわけです。腕を上げれば、胸郭にのしかかっていた腕の自重が軽減され、胸郭は拡がり、肺に空気は入りやすくなります。これは深呼吸にあたります。日常的に自然にやっている動作は理にかなったものです。
■ 鳥類の呼吸法
余談ですが鳥類の呼吸法は、さらに別次元と言えるほど進化しています。肺の膨縮ではなく、一方通行の循環ポンプ式です。効率的なガス交換だけでなく発音することも考慮した構造で、しかも共鳴管付きです。動物界の鳴き声コンテストではナンバーワンだと思います。元々哺乳類は天敵が多い危険な地上で進化してきたので、周辺の音には敏感ですが、自ら音を出す方は、それほど重要でもなく、むしろ危険な行為です。その点、鳥類は響かない空中で遠く離れた仲間とのコミュニケーションが必要なので、かなりの音量で発音出来き、他動物と比較して別次元の発音を手に入れています。
鳥を知ってしまうと、人は歌うのは得意ではない動物という認識になります。次回は実際の人の呼吸について解説したいと思います。
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