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FENDER STRATOCASTER 1954-1982 Part6

2022-02-18

テーマ:音楽ライターのコラム「sound&person」

フェンダー社及びフェンダーセールス社は 1965年から実質的にCBS傘下の会社になった。そしてギターの仕様も大きく変化して行く。

■ FENDER STRATOCASTER1966年製

○ ヘッド

一般にはラージヘッド・ストラトキャスターは1966年に発表されたと言うが、厳密に言うと、『1965年後半にラージヘッドのネックが生産された』と言う事実がある。
その後に生産されるラージヘッド形状に大きな変化はなく、1966年製~1981年製までほぼ同じだろう。1982年製の最終ストラトキャスター、所謂スミス・ストラトのスモール・ヘッドは全く違う。1年だけの形状だ。

フェンダーストラトキャスター1966年。フェンダー フロントライン・カタログ2005年 1ページに大きく掲載された。
同じく、フェンダーフロントライン カタログ2005年。1966年製の『商品説明』

弦に張力を加えるストリングガイドは一つで、『フェンダー』ロゴは『トランジション・ロゴ』。縁取りが黒く、金色の文字であるがCBSの目立ちたいという意向に従わず、それほど目立たない。『FENDER』の6文字がラージヘッドの木目に埋まりそうで、色が薄い。個性的ではあるが・・・。むしろ地味だ。(写真参照)

1966年モデルの1ページ写真の拡大。ヘッドのアップ。写真2枚ともフロントライン2005年カタログ。同じギターのヘッド。

ヘッドは他の年代より厚みがある。ストラップを掛けてヘッドを見れば即わかる。ここも この年特有の特徴だ。

買収後、降格されたレオはラージヘッドなど見栄えが優先される新しい製品開発に、懐疑的な意向を示していた。ネックに施されるバインディングなどのCBS側からの提案は、【実用主義のレオ】には考えられない仕様であり、真っ向から反対した。

重要なポイントとして以下の2行を理解したい。

CBS側が、そのようなレオの意向に反して採用した、という事は製品開発の主導権がレオからCBSに移ったと言う事になる。

1972年にカタログ上で『テレキャスター・デラックス』としてラージヘッド のテレキャスターが発表され、1973年御披露目となる。このテレキャスターはセス・ラバー氏を迎えて本格的にハムバッキング・ピックアップを搭載出来る様に開発された。フロント・リア両方ともハムバッカー仕様で明らかにGibson社のパワフルな出力と競っていた事が分かる。

フェンダー社も試行錯誤を繰り返した事により、遂にテレキャスターまでラージ・ヘッド仕様に変更したのだ。(写真参照)

ラージヘッドの仲間達。テレキャスター デラックス ナチュラルフィニッシュ左側。フェンダージャパンカタログ1989年

また70年代中期には『テレキャスター・デラックス』に、ストラトキャスターのシンクロナイズドトレモロユニットを付けた機種も存在し、まるでボディ材をストラトキャスターに変えたらほとんど同じになるのではないか! ?という程の奇抜なデザインの機種も出て来た。CBSはミュージック・シーンを考慮していたはずだっが・・・。

上記の様に、仕様を多岐に渡り変更したテレキャスター・デラックスは、人気を得る事が出来ないままで、1981年に生産終了となる。使用しているプレイヤーにレディオ・ヘッドのトム・ヨークなどが挙げられる。

60年代中期以降、レオはますます新しい音楽の嗜好と合わなくなって来た。音楽業界で働く上で、自身の好きな音楽ジャンルがオールド・ファッションになるのは大きな痛手であり、レオの健康上にも限界があった事は、周囲から見ても明らかであった。

早朝からミュージシャンに電話で、「新しい改良点を見て欲しい」などと朝に弱いワーキング・ギタリストを起こして、 深夜まで開発に及んだ精神力や集中力がこの時代まで、途切れる事がなかったのが不思議な位だ。今まで、難聴であった事は大きなハンデだったが、それ以外は仕事に差し障る大きな病気がなかったレオは他の楽器メーカーの開発者より何倍も働いた。

スティール・ギターから始まり、真空管アンプの傑作を作り出し、エレクトリックギターも歴史に残るモデルを次々と開発した。ここまでの功績で、充分楽器業界のレジェンドと称されてもおかしくはない。

その様なレオには楽器業界のコネクションは殆どなかった。ほとんどのアイディアはレオの開発室でフレディ・タバレスと共に作られ、さらに伝統的工法の知識・経験などは、ほとんどなく、オーソドックスな考えに縛られなかった。自らの考えと周囲のミュージシャン等のコメントを纏めての発明だった。楽器製作について『しがらみ』がなかった事により、ネックとボディをネジで止めるなど常識外の大発明が成せたのだ。

50年代から否、40年代からスティール・ギターを開発し始めて成功を収め、以後エレクトリック楽器の開発に没頭していたレオ。仕事が人生のすべてだった男にも休暇が必要となった。

少しレオについて話が及んだ。

1966年の最大級の変化、スモールヘッドからラージヘッドに変わった事は何度となく述べた。厳密に言えば1965年末期にこのラージヘッドは生産されている事も冒頭で述べた。今日ではさほどの批判は無いが、ヘッドはギターの顔だ。当時は賛否両論があったのは間違いない。

ラージヘッドは1981年まで、ほぼ同じ形で発売された。注意深く見比べても変更の違いは解らない。ストラトのコンター形状は 頻繁に変更が続いたが、ラージ・ヘッドの形に関しては16年間大きな変更はなかった。

ラージ・ヘッドの仲間達。赤いジャガーとスリー・トーン・サンバーストのジャズマスター 。フェンダージャパン カタログ2000年

○ ボディ

特に変化は無い。会社は買収されたが、コンターは前年と同じような加工の仕方だ。見た目ではほとんど同じである。ピックガードは塩化ビニール製に変更した。はっきりと3プライと分かるデザイン。以前に見られた収縮が発生してピックガードが割れるなどのトラブルもまず無くなった。アルミ製のシールドプレートは全面に渡って引き続き施されている。

この年の製造工程の変更は多々あるがこの年代、ボティに関しては特記事項は特にない。ネックジョイントに大きく『F』のCBSフェンダー社の刻印が入ったプレートを使用し始めた。

ストラトのシリアルナンバーや、時代変遷のあるピックアップについての話は今まで詳しく説明していないが、いずれ話す機会があれば・・・と、常日頃から思っている。

簡単に話せば、フェンダーストラトキャスターの製作時期は『ネックやボティが何年何月に仕上げたか?』などは大まかに分かっても、ネックやボティさらに電装系を【組み込んで完成してからの時代判別は、厳密には分かりにくいのだ】フェンダー社の年代判定の難しい所がここにある。また記録するきちんとした社員が少なかったと言える。そのなかでも、工場の事務等担当のフォレスト・ホワイトは几帳面で、できる限りの記録を残した。ストラト最初の発売時期などの記録は彼がいたから残っていたわけだ。

次回【Part7】では、貼りメイプル仕様のストラトキャスターについて書きたい。ストラトの生産落ち込み など最大の危機が訪れる。どの様に変化して行くのか?

お楽しみに♪


コラム「sound&person」は、皆様からの投稿によって成り立っています。
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Realize

リッチーブラックモアのアルバム『Diffcult to Cure』の『第9』アレンジを聴いてファンになり、『Spotlight Kid』を聴いてストラトキャスターに目覚める。以後様々なストラトを手にし、20年以上ストラトオンリーで毎月ライブ活動を行っている。
ストラトに対するこだわりは強く、『ギターマガジン』、米国誌『VINTAGE GUITAR MAGAZINE』に所有ストラトが掲載されたことがある。翻訳書として、2002年Fender Accessories Catalogue等に掲載されている『The Fender Stratocaster』第4版がある。
ストラトへの改良は外見からみたら何処を変えたかわからないのがポリシーである。

 
 
 

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