FENDER STRATOCASTER 1954年~1982年
フェンダー社のフラッグシップ・エレキギターとしてストラトは1954年に誕生した。今から67年前の昭和 29年。その頃はまだ東京タワーも新幹線も無かった。そのような時代にあの名器が生まれたのは海外の事とはいえミラクルだ。
ちなみにレオ・フェンダー(以下レオ)は『ギターをまったく弾けなかった』。そればかりか、自分で発明したギターの開放弦のチューニングさえもままならず、極めつけ難聴であった。ギターは全く弾けなかったのだ。ただ弦を大音量で、かき鳴らす事の繰り返しで周りの社員は『レオの弾き方は騒音』と思っていただろう。
しかし、レオの『開発のための実践・実験』は並外れた集中力で、アーティストの要望をすぐさま具体化する事に関しては天才だったといえる。様々の熱心な発明は『成功の神様』からのプレゼントだったに違いない。またレオは偉ぶれず、工場の中ではスーツではなく、勿論大切なお客様が来た時はそれなりの格好をしただろうが、作業服で工場の周りをうろついていたので、若い職人に『オヤジどいてくれよ!』と言われた事があったとか。その様な事はお構いなしに、左胸のポケットに筆記用具をはち切れんばかりに入れて深夜まで働いていた。
フェンダー社で50年代にストラトを作り上げた重要人物を三人挙げよう。レオは前職が会計士などの事務職やラジオやPAなどの音響関係、フレディ・タバレスは有能なミュージシャン、ジョージ・フラートンはトラックの運転手など、職歴が三人とも、楽器製造のプロではなかった。製作においては素人同然の開発者達が現代のポピュラー音楽にも充分に通用する楽器製造会社を興したわけだ。これもミラクル。
あともう一人追加して『テストパイロット』ギタリスト、熱血ビル・カーソンも挙げておく。掃除のアルバイトから社員になり、彼の意見は少なからず貴重な発言があった。「ストラトキャスターのアイデアは95%俺の考えから出来ている」などと言い、かなり強気な男だった。
彼らの仕事の成果は偶然と努力の賜物であった。例えば、重量は平均3.5kgで肩に掛けるには丁度よく、材料の入手経路もアルダー材は主にオレゴン州やワシントン州など西海岸側の州から調達出来た。メイプル、バスウッド、スワンプアッシュ材も、ローズウッド以外は、ほとんど国内で調達出来た。
今年2021年、カリフォルニア州で大規模な森林火災が発生し、多くの市民の生活が苦境に陥った事は日本でもニュースで報道された。人々の無事を祈るが、フェンダー社の生産本数及び販売価格に影響はあるのか?少し心配だ。
今年は特に自然災害が多いので、木材が必要不可欠な企業としても今までのマーケティングでは会社は持たないだろう。価格を上げる様な単純な経営方針なら愛用者の心をつかめない。
さて。シンクロナイズド・トレモロ・ユニット
テレキャスからストラトに発明された経緯を語る上で一番の難題であった、『シンクロナイズドトレモロユニット』。私の投稿『フェンダーストラトキャスター・トレモロアームの固定のしかた』で書いた事を再度考え、述べてみよう。(以下トレモロユニット)私の投稿記事の一番最初に書いたが、その後も含めて、今回は詳しく述べる。
フェンダー社のトレモロユニットを楽器らしい呼び名にすると『ビブラートユニット』と言われる方が正しい呼び方であるが、フェンダー社は『シンクロナイズド ・トレモロユニット』と称した。ちなみにシンクロナイズドとは『同時に』という意味で水泳のシンクロナイズドスイミングといったら分かりやすいかと思う。
レオはトレモロユニットを開発するにあたり、まずジャズマスターのような、ブリッジとテイルピースの離れているトレモロを開発した。そこで『テストパイロット』ビル・カーソンのライブで使って欲しいと依頼した。
結果、ライブで使用してみるとサスティーンが全くなく、ビルはピックアップの不具合を指摘した。これを受けて、レオはピックアップを見直したが落ち度は無かった。ギタリストのなかではファーストバージョンのトレモロユニットを肯定的に見るギタリストもいた位だ。またブリッジの響きが横方向に振動してしまう事に欠点があると判明し、今まで開発を進めてきたボディをズタズタに壊し、多額の出費をしてしまう。ここから新しいトレモロユニットの開発に至るのである。輝かしいレオの業績のなかで一番ドラマチックな試練だったと言える。
その頃、フレディ・タバレスというミュージシャンが入社して、レオの側近となり、活躍する。彼は穏やかで、謙虚で、頭脳も優れており、工場の仲間から慕われていた。
レオとフレディはトレモロ開発に熱を上げた。とにかくサスティーンが無い事をなんとか解決しようとして毎日毎晩深夜まで実験を繰り返し、ある日『サドルとブリッジプレートの下に鉄の固まりを置くこと』でサスティーンを得ることを悟った。漸く成功への道が開けたのだ。
『トレモロユニットのスプリングの張力』と『六本の弦の張力』がブリッジプレートのナイフエッジが支点となり張力が同じになる訳だ。同じ力で双方のバランスが安定する様になる。
当時はブリッジプレートがフローティングされた状態で出荷された。1954年、主に感想を寄せてくれそうなミュージシャンに紹介する目的で試作を兼ねながら製造された。また、代理店に営業部門のセールスマンが渡してギターが帰って来なかったりした。1954年の夏までは一般に販売されたのはわずかで、販売店のデカールがヘッドに貼られていた個体すらある程だ。スプリングカバーの弦を通す穴は何と『真ん丸』で、現在の楕円形や長方形に大きくカットした穴ではない。フローティングトレモロに設定した値になれば小さな穴に必ずトレモロブロックが位置する様、設計されていたのである 。そのトレモロに自信があったのか、レオ達のこだわりは強く、フローティングに設定するマニュアルの説明文も購入当時オーナーに行き渡った。マニュアルがなければ有能なギタリストでもわからないはずだ。
またトレモロブロックの質の高さも成功の要因に挙げられる。2021年春先にYouTubeでの動画サイトでフェンダー社現行ブロックとカラハムブロック(サウンドハウス取り扱い中)の音を私はブラインドテストで比べた。パワーは現行の方があるが、カラハムの方が耳に心地よいサウンドで暖かい音がした。さらに『09の弦で10の音がした』と当時の私の機材ノートに書いてある。米国では少なくとも10年以上前からチタン製のブロックが発売されている模様だが日本に代理店がない。英文広告はよく目にとまるが・・・当然価格は高いだろうが…くやしい!
FENDER ( フェンダー ) / Pure Vintage Stratocaster Tremolo Block
また、サドルの完成度は半端ではない。弦高をシビアに調節出来るサドルには2本のイモネジが使用され、プレイヤーがストレスフリーとなる様に1弦と6弦のイモネジは短い。これはブリッジ近辺でギターを弾くギタリストにとってイモネジが当たりにくくなり、とても有難い仕様だ。オクターブチューニングがドライバー一本で可能。強いて言えば『6弦のオクターブチューニング』が しにくい。09~42の6弦太さの弦を張ると、もう少しボディエンド側にさがって欲しいと思う。さらにサドルの『弦が通るサドルの穴の大きさが短く、特にネジが6弦に当たる寸前』で(写真を参照)リペアマン泣かせのサドルと言える。サドルの穴が短い事で弦振動を妨げ、弦の切れ易さ、サスティーンやチューニングに支障をおこしかねない。2000年を境にヴィンテージギターのサドルのモディファイが一般化されるようになり、ストラトの様々に改良が浸透して来たが。
6弦はサドルスクリューが当たる寸前。弦交換もやりにくい。
私が改良に改良を重ねた『メインギター』の唯一オリジナルパーツはネックとボディ等木材とサドルと各種ネジだけ。
ネジの交換をした。ブリッジプレートを固定する6本のネジはタッピングネジから木ネジに交換した。ブリッジプレートの交換はサスティーンが伸びた事で容易に分かったが、ネジの交換で何が変わったかは分からなかった。
トレモロユニットの改良パーツは豊富だ。その中で安価で試しやすい物にスプリングがある。(サウンドハウス取り扱い中)RAW VINTAGEのスプリングは¥2000程度だ。5本張ると艶があり、良い意味でも悪い意味でも温かい音がして、激しい演奏には向かないかと思う。またパッケージの裏に書いてある説明文は購買意欲を駆り立てている。スプリングは柔らかい素材で、取り外しが素手でもしやすい。(慣れていない方は慎重に。怪我などしないように。)私は通常アームを使わない時は5本張り、アームを使いたい時はスプリングを4本装着している。常にギターケースに一本余分に入れている。本数を一本増減するだけでも音質は変わる。スプリングの甘い音が気に入らない時は別メーカーのスプリングを数本張るなど、音にうるさいストラトギタリストは是非とも試して欲しい。
RAW VINTAGE ( ロウビンテージ ) / RVTS-1 トレモロスプリング
今回、シンクロナイズドトレモロユニットについて述べているが次回、オリジナリティーあふれるボディ形状、ピックアップなどについて話そう。
続く。
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