好きではなかった楽器、ハーモニカ…
前回は売れる音楽と高度な音楽の意外なコントラストについて、自身の想いも含めて書かせていただきました。
今回はあまり振り向かれることのなかった楽器、ハーモニカをテーマに音楽を考えたいと思います。
私は小学生の頃、クラブ活動で器楽部という音楽クラブに所属していました。何を演奏していたかといえば器楽部で一番地味な楽器、ハーモニカです。といっても、1つの音に対して振動板が2枚付いている複音ハーモニカ(ダブル・ハーモニカ)でした。
私はハーモニカという楽器があまり好きではありませんでした。大勢で同じ音を吹くので、仲間と同じことをするのがつまらないと感じていたのかもしれません。ハーモニカから発せられる音への、ある種の抵抗感もありました。特徴がなく平坦な音だと勝手に思い込んでいた、自分自身の未熟さもその理由だったのでしょう。
演奏者の問題もさることながら、指導する教師もハーモニカの良さや正しい演奏法などを誰も教えてはくれませんでした。
それに加え、当時の私は音楽をそれほど好きだったわけでもなく、今にして思えば、どうして器楽部に入ったのかも良く分かりません。おそらく、友人から誘われたから、くらいの理由だったと思います。私と音楽の距離感は、その程度のものだったのです。
その後、音楽との関わりはアコースティックギターを経て、シンセサイザーなどの鍵盤楽器との出会いへと続き、紆余曲折の末、あるハーモニカ奏者と出会います。その演奏を聴き、まさに目から鱗が落ちました。
ハーモニカで様々な音楽を彩った男、トゥーツ・シールマンス
トゥーツ・シールマンスを最初に聴いたのは、クインシー・ジョーンズのアルバム『愛のコリーダ』だったと記憶しています。このアルバムに収録されている「ヴェラス」という楽曲を聴いた時、ハーモニカの表現力の高さに言葉を失いました。それが、トゥーツ・シールマンスだったのです。
トゥーツ・シールマンスはベルギー生まれのハーモニカ奏者で、ジャズの分野における第一人者です。クインシー・ジョーンズやビル・エバンス、ジャコ・パストリアスなど、多くの一流アーティストたちからのオファーが絶えることはありませんでした。
彼のハーモニカは、あらゆる楽器と比較しても「別物」であると言えます。ハーモニカがここまで存在感を示せる楽器だとは、誰も思わなかったと言っても過言ではないでしょう。それほど彼のハーモニカは才気に満ち、音楽の芯の部分に切り込んでくる唯一無二の存在でした。そして、その最大の武器は圧倒的な「哀感」。様々な色合いの「哀感」を自在に操ることができたのが、トゥーツ・シールマンスという稀有なミュージシャンだったのです。
そして数多くのアルバムに参加し、その圧倒的な存在感を我々に示してくれました。
■ 推薦アルバム:ジャコ・パストリアス『ワード・オブ・マウス』(1981年)

このアルバムは、ベーシストであるジャコ・パストリアスが、アレンジャーとしてアルバム全体を俯瞰する視点で、その才能を現している。ブラスやストリングスの編曲も含め、単なるベーシストとしてではない、音楽家としてのジャコの側面が際立つ作品。
そんな視点からジャコが光を当てたのが、ハーモニカ奏者のトゥーツ・シールマンスでした。このアルバムの主役の一人がトゥーツであることは、誰もが認めるところだろう。
幾重にも音が重なる音の海の中から時折聴こえてくるあのフレットレスベースが、このアルバムをワン&オンリーなものに引き上げている一方、そのアンサンブルの中から現れるトゥーツのハーモニカもまた、唯一無二と言える。
推薦曲:「スリー・ヴューズ・オブ・ア・シークレット」
ウェザー・リポートの名盤『ナイト・パッセージ』に収録された楽曲を、ジャコのソロアルバム・バージョンとして再構築した楽曲。ジャコはエレクトリック・ベースを操る傍ら、アコースティック・ピアノやシンセサイザーも手掛けている。
メンバーはトゥーツ・シールマンス (hmc) やジャック・デジョネット (ds) という強力な面々に、ワード・オブ・マウス・ビッグ・バンドが加わっている。
この楽曲の白眉は、トゥーツ・シールマンスのハーモニカに尽きる。
オリジナル曲でウェイン・ショーターとジョー・ザヴィヌルが奏でるメロディの中から、奇跡的に美しい旋律を抽出し、新たなテーマとして演奏するトゥーツ。その表現力は圧巻の一言。哀感を纏った音色はハーモニカでなくては表現できないものであり、間違いなくこの楽曲の主役は彼のハーモニカなのだ。
■ 推薦アルバム:ビル・エバンス『アフィニティ』(1979年)

ジャズ・ピアノの巨匠ビル・エバンスが、ハーモニカの巨匠トゥーツ・シールマンスと対峙した、ジャズの永遠の名盤。
ジャズとハーモニカが合うのか?と誰もが思うはず。
しかし、トゥーツ・シールマンスはそんな疑問符を軽々と吹き飛ばしてしまう。
ジャズの醍醐味は、演奏者同士がインスパイアされ合いながら音楽を創り上げること。このアルバムはその典型と言える。トゥーツのエモーショナルなハーモニカに触発されたビル・エバンスのピアノプレイが、いつにも増して感情的な表現に寄っている。元々リリカルな彼のピアノが、これほどエモーショナルに響いたことは、あまり記憶にない。なぜなら、ある種のクールさこそがビル・エバンスの魅力だからだ。そして、彼が求めたのが自身にはない「哀感」という色彩だったのかもしれない。
そんなビル・エバンスの側面を打ち破り、新たな一面を出現させた装置こそ、トゥーツ・シールマンスのハーモニカであったのではないか。
ポール・サイモンの「アイ・ドゥ・イット・フォー・ユア・ラブ」や「ジーザス・ラスト・バラード」、「酒とバラの日々」、「ボディ・アンド・ソウル」、「ブルー・イン・グリーン」など、珠玉のバラードを全く違った視点から楽しむことができる。
推薦曲:「ブルー・アンド・グリーン」
ジャズの永遠の名盤といわれるマイルス・デイビスのアルバム『カインド・オブ・ブルー』からの楽曲。本来はピアニスト、ビル・エバンスの楽曲であったものを、マイルスが自身の作曲と書き換えてしまったという逸話がある。
この楽曲で、トゥーツ・シールマンスのハーモニカがジャズの新たな局面を切り開いたと言っても過言ではない。
オリジナルにおけるマイルスのトランペットもリリカルですが、このバージョンでのトゥーツのハーモニカは、マイルスを凌駕するほどの存在感がある。それは、彼がマイルスとは違う、新たな「哀感」という色彩を加えることに成功したからなのだろう。
今回取り上げたミュージシャン、アルバム、推薦曲
- アーティスト:トゥーツ・シールマンス、ジャコ・パストリアス、ビル・エバンス、マイルス・デイビスなど
- アルバム:『ワード・オフ・マウス』『アフィニティ』
- 推薦曲:「スリー・ヴューズ・オブ・ア・シークレット」「ブルー・アンド・グリーン」
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