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80年代にセンセーショナルな歴史を残したP.I.L.初来日公演 - 第1回リアルタイムのファンに聞くニッポン洋楽ヒストリー

2018-04-16

テーマ:ショーレポート, ギター, 小ネタ

第1回:80年代にセンセーショナルな歴史を残したP.I.L.初来日公演
語り手 関口 弘さん(FRATHOP Records)

日本の洋楽史に残る、来日公演や出来事を当時を知るファンの方に語っていただくブログ・シリーズ。
記念すべき第一弾は、パブリック・イメージ・リミテッド(以下P.I.L.)です。今年2018年には結成40周年を迎え、7月には来日公演も予定されている元セックス・ピストルズのボーカリスト、ジョン・ライドン率いるバンドです。彼らが1983年に行った初来日公演の様子を当時のファンの方に聞きました。

1980年代の日本の洋楽史において、最もエポックメイキングな出来事の一つとして、P.I.L.の初来日公演を挙げる方も多くいるのではないでしょうか。
「本家オリジナル・パンク・シーンの創設者の来日」、というだけでも充分に話題性があり、他にも「主要メンバーのキース・レヴィンが来日直前に脱退」、「パンクのイメージとはかけ離れたタキシード姿の新メンバーによる手堅い演奏」、「愛想を振る舞いながら歌うライドン」、「困惑する東京のオーディエンスの冷ややかな反応」、「これまで封印していたアナーキー・イン・ザ・UKの再演…」「当時の最新機器である三菱X-800 PCM 32CHレコーダーでのライブ・レコーディング」等、エポックメイキングなエピソードがたくさんありました。
当時の雑誌などを読み返してみても、日本のパンクスが抱いていた「あらくれパンク=ジョン・ライドン」のイメージをことごとく破壊した、賛否両論の一大イベントだった事が見てとれます。

そんなセンセーショナルな来日公演を永遠のパンクス、FRATHOP Recordsの関口弘さんに、熱く語っていただきます。現在もパンクのみならずガレージやモッズ・シーンでもDJとして、激しく東京のフロアを沸かせている関口さんだけに、日本公演でのライブの様子だけでなく、当時の日本における洋楽やパンク事情が追体験できるようなスリリングなトークが期待できそうです。

Q : 1983年の夏に行われた、P.I.L.の初来日公演ツアーですが、追加公演も含めて、全9公演も行われているのがパンフレットから確認できます。 関口さんはどの日に行かれたのでしょうか?
A : 初日に行った学友に、その翌日校内で顔を合わせたとたん『「Albatross」やったよ〜』と言われ、『おいおい、これから観に行くんだからさ、いきなりネタをバラさないでくれよ』と返したのを覚えてます。たぶん(東京の)2日目か3日目だったと思います。

Q : 追加公演が何度か組まれたほど、チケットは争奪戦だったと、音楽雑誌に書いてありました。今みたいに、ネットやチケットぴあのような売り場があちこちにあったわけでもない時代に、どうやってチケットは入手したのでしょうか?
A : まず新聞の朝刊に来日の告知が掲載されまして、すぐさまプロモーターに電話して席を確保した後、事務所まで本券をピックアップに行きました。場所は原宿だったかな。スージー&ザ・バンシーズの時と一緒ですね。

Q : わざわざ取りにいったのですか?
A : 郵送でいいじゃんって話ですけど、昔は来日チケットなんてそのような手順でしか入手できなかったですし、こちらも大学生の身で時間がたっぷりありましたから、特別苦には感じませんでした。

Q : P.I.L.の作品を、今の耳で聴くと、ジャーマン・ロックや、レゲエ、ファンク、などのさまざまな要素を感じるニュー・ウェイブ/ポスト・パンクとして聴くこともできますが、当時の情報の少ない日本のファンにとっては、そういった実験的なバンドというよりも、パンクの一部として捉えて愛聴されていた場合が多かったのでしょうか?
A : パンクの一部ではなく、実験的な音楽という認識で間違いないと思いますよ。単純に今まで聴いたことのない、斬新な音楽として捉えていました。そもそも当時の自分としては音楽的な引き出しが少なく、分析的なことがまったくできませんでしたからね

Q : 来日記念盤として発売された12インチ・シングル「ラブ・ソング」は、英国ではレコード会社がリリースに難色を示したにも拘わらず、日本でヒットしたのをきっかけに遅れてリリースしたとライドンが自伝で語っていました。実際にリリース当時から人気のあった曲だったのでしょうか
A : 人気の有無については不確かですが、あのシングルは結構売れたはずです。来日の話題性のみならず、宣伝に力をいれるなど、日本のレコード会社の尽力も大きかったと思います。
そのぶん手放した人も多くて、80年代末、どこの中古レコード屋にいっても5〜6枚はストックがありました。吉祥寺、下北沢界隈での話ですけど。

Q : その「ラブ・ソング」のリリースとほぼ同時といいますか、来日の直前になって、主要メンバーであるギタリストのキース・レヴィンが脱退してしまうわけですが、これは来日前にメデイア等での告知はあったのでしょうか?
A : はい、そのことはきちんと取りあげられました。なにせサウンド面での核となる人物でしたから、さすがに落胆しましたね。でも覆水盆に返らずで、観る側はどうすることもできない。キースが来ないのならライブに行かないのかといえば、そういうわけでもないですし。 現状を受け入れるしかないってことで。

Q : さて、ライブですが、会場内ではグッズ等の販売はパンフ以外にもあったのでしょうか?
A : ないですね。パンフだけです。今でこそライブ会場に於いてマーチャンダイズの販売が盛んに行われていて、ひとつのスタイルとして定着していますが、当時は定番アイテムともいえるツアー・パンフレットと、協賛のレコード会社が国内盤を販売するのみでした。 ただニュー・ウェイヴ系で例外がひとつありまして、キャバレー・ヴォルテールの来日公演ではTシャツとバッジを販売していました。あれはラフトレード・ジャパンが用意したんですかね。買っときゃよかったな。

Q : 客層はやはりパンク・ファッションの若い層が多かったのでしょうか?
A : これもなんだか70’sスタイルのパンク・ファッションで身を固めた人たちが大勢詰めかけて、そのギャップの面白さがエピソード的に伝っているようですが、実際には前列の方に集まっただけで、全体からすれば10パーセントにも満たなかったように思います。70’sスタイルといっても、なんというか絵に描いたようなステレオタイプなファッションで、例えばナチスの鉤十字の腕章をしている人とかいました。

Q : パンクの王子の来日公演だけにファション面もかなり期待されていたと思われるのですが、ジョン・ライドンとドラマーのマーティン・アトキンス以外のメンバーの全員がタキシード姿で出てきた事を当時の雑誌でも触れられていたのですが、その時の会場内の反応はどんなものだったのでしょうか?
A : タキシードを着ていた? そうでしたっけ? 新メンバーに関しては、なんの記憶もありません。姿形はおろか、使っていた楽器すら覚えていないです。

Q : スラップ・ベースの多用をはじめ、新メンバーの演奏はどう感じていたのでしょうか?
A : 前の回答の続きになりますけど、新メンバーはまったく印象に残らないというほど影が薄かったです。完全に黒子に徹していたのか、単に演奏者としての役割を果たせば良いという雰囲気でした。

Q : 来日公演を収録したアルバム「ライブ・イン・トーキョー」を聴くと観客の一人が「アナーキー・イン・ザUK」をリクエストする声が聞こえます。セックス・ピストルズを見る事ができなかった日本のオーディエンス(パンクス)にとっては、先ほどの「ラブ・ソング」をはじめとする最新のP.I.L.のナンバーよりは、ピストルズ・ナンバーの再演を期待するムードの方が強かったのでしょうか。
A : これも先ほど申したように、あるとすればごく一部、最前列の人たちだけだったように思います。言うまでもなくサウンドの方向性が違いますし。

Q : ライブ・アルバムには収録されなかったその「アナーキー・イン・ザ・UK」をステージ上解禁してやってしまったわけですが、そんなファン・サービスをするところにも、賛否両論があったのでしょうか?
A : はい、「アナーキー〜」の演奏は、ショックというか複雑な心境でしたね。知人などは『裏切られた』とか言って怒っていました。ただジョンは天の邪鬼というか裏をかくのが得意ですので、皆が予想することとは反対のことを突如するから、その一環であると思えば納得はいきますけど。サービスの意味も含まれているのか真意はわかりませんが、ボク個人としては特段聴きたくなかったですね。

Q : ライブ・アルバム「ライブ・イン・TOKYO」のライナーノーツに会場内の歓声がかなり少なかったという記述がありますが、実際そんなに静かな反応だったのでしょうか?
A : う〜ん、東京のオーディエンスが大人しいっていうのは、あとから外部の人に指摘されて気づいたことで、まったくそういう自覚はなかったんです。同じ頃バウハウスが来日して、チケット購入で大阪から来た方と仲良くなったんですけど、『東京のお客さんは静かだ』って聞いて、軽く驚いたんですよ。ただそれについて言い訳させてもらうなら、ある意味仕方ないんですね。当時東京に於いて中堅どころのロック・コンサートというと、中野サンプラザか渋谷公会堂のどちらかで行われるわけですけど、両会場とも映画館のように椅子が設置されていて、チケットが既に座席指定となっている。椅子が障害物となって動きにくい上に、その座席指定に縛られて派手に動いてはいけないみたいな気持ちが自然と働いてしまうんです。ただそれも渋谷のクアトロが出来てからオール・スタンディングのライブが可能となり、状況はずいぶんと変わりましたけどね。あと芝浦インクスティックとか、川崎のチッタとかもそうです。

Q : のちにアルバム「This Is What You Want... This Is What You Get」に収録される事になる新曲も数曲披露されている中、ライブ全体の中で特に盛り上がっていた曲はありましたか?
A : 「ラブ・ソング」は盛り上がりました。ライブに備えて、事前にみんなしっかり聴いていたようです。

Q : ライブ・アルバムは当時の最新機器である三菱X-800 という 32チャンネルのPCMレコーダーで収録が行われ、45回転の2枚組LPという仕様によってリリースされ、当時の音楽雑誌等を見るとその音質の事を中心に書かれたレビューを多く見受けます。実際にリスナーやファンの間でもその音質の事は話題になっていたのでしょうか?
A : その件についても、あとで知ったという感じです。電機メーカーとのタイアップ的なところもあったのでしょうか。でも、ライブそのものが可もなく不可もなくという内容でしたから、本末転倒的な話としか思えないです。確かにジョンのパフォーマンスは見応えありましたけど、とってつけたようなツアー・メンバーの演奏だけに、バンド特有の一体感とかグルーヴ感は皆無に等しいので、音質的な部分を大々的に語っても興がさめるだけですね。まあ録音の話はあらかじめ用意されていたようなので、結果論になりますけど。

Q : 先程のライブ・アルバムのリリースをはじめ、公演後も何かと話題に事欠かなかった、伝説の初来日ですが、最後にその激動の1983年の初来日公演で他に面白いエピソードがあったらぜひお聞かせください。
A : ライブの最後の曲、もしくはアンコールの時です。ジョンがステージから降りて前列の方で客ともみくちゃになりながら歌い、ラストを締めるべく熱狂のピークを迎えていたんですが、例のナチスの腕章のパンクスの存在に気付き、その格好にカチンときたのか、そいつめがけてダッシュして一気に押し倒したんです。瞬時の出来事だけに騒然となりました。 それでどうなるかと思いきや、ジョンが相手に対し『悪かったな、今のは冗談だよ』みたいな?お茶目なジェスチャーをしてステージの上へ戻っていきました。さまざまな解釈ができるでしょうけど、実に彼らしい一面を見たという感じです。ライヴのディテールについてはほとんど覚えてないのですが、あのシーンだけはしっかり脳裏に刻まれてます。

今回の語り手:関口 弘さん(FRATHOP Records)

ガレージ・パンク、東京モッズ・シーンのイベントでお馴染みの人気DJにして、50年代、60年代のロックやブラック・ミュージックの米オリジナル7インチ盤を中心としたセレクトショップ、FRATHOP Recordを運営する、ルーツ・オブ・パンクのスペシャリスト。
レアで最強にキラーなR&Bやオブスキュアなガレージ・ビートの7インチ・セレクションによるプレイは、東京のみならず全国のフロアを沸かせています。
また、ガレージ・ファンのバイブル的なガイドブック「GARAGE PUNK」(シンコー・ミュージック刊)の著者としても知られており、CDのライナーノーツでもその名を見かけた方も多くいらっしゃると思います。お気に入りのカートリッジはShure M44-7、ヘッドフォンはSONY MDR-7506。来る5月4日には一年に一度行われるモッズ・シーンの祭典、「OSAKA MODS MAYDAY」、5月19日は東京の「MODS MAYDAY JAPAN」で、そのプレイを堪能する事ができます。

詳しくはFRAPTOP RECORDSのウェブサイトをチェック!
http://shop.frathoprecords.com/

■P.I.L.紹介ブログはこちら→怒りはエネルギー源!「PUBLIC IMAGE LIMITED」~普遍のメッセージが鳴り響いた、結成40年目のライブ・イン・トーキョー~

営業部 / 市原 雅之

45歳にしてオヤジバンドにベーシストとして参加。バンドでサウンド・ハウスの存在を知りその勢いで入社。 趣味はUKロック、60年代ソウルやソフトロック等のレコード・コレクション。最近はSPレコードも愛聴しています。ポール・マッカートニー、デヴィッド・ボウイとP.I.L.を愛する永遠の29歳。

 
 
 
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