

様々な記録を塗り替えながら、世界中で大ヒットしている映画『アベンジャーズ4 エンドゲーム』を観るために、今までのMARVELシリーズを一気観して、すっかりハマってしまったSugarです。

ファンの方々には失礼を承知の上で正直に話すと、今までアベンジャーズをよく知らないまま、あらゆるヒーローをごちゃ混ぜにした企画もの映画だと誤解していました。
もし日本だったら、孫悟空とルフィとドラえもんが仲間になって、エヴァンゲリオン零号機とザクが宇宙で戦っている.....というように人気の特殊能力者や強い者をとにかく同じ画面の中に無理やり押し込めたようなイメージを勝手に抱いていたのです。それは大きな勘違いで、MARVEL作品は本当の意味で“Marvelous”=驚異的でした!
今回公開のエンドゲームを含めMARVELの22作品は全てMCU=マーベル シネマティック ユニバース=マーベル映画の世界という、完全に1つの時系列の中で完結しています。凄いのは、それぞれの作品の“原作者”や“権利”が、個人ではなくMARVEL(出版社)というチームにあることです。なので自然な形でそれぞれのヒーローが関わり合い、伏線が張り巡らされた物語が作品を越えて繋がり、統一感のある演出・音楽・効果が可能なのです。
MARVELは1960年代から、超人やヒーローに人間性(例えば、普段は貧乏で冴えない等)をもたせて、徐々に人気を得ていったようです。また、いくつかのキャラクターは、第二次世界大戦やテロといったリアルな出来事をバックグラウンドに、人間の能力を超えた存在が生まれる何かしらの裏付けを持たせています。
漫画を夢中で読んだ子供世代がやがて大人となり、その流れに寄り添うようにCGなどの新しい技術が向上していきました。人々の強い憧れの気持ちと、膨大な時間と努力、そこに技術革新が絶妙なタイミングで重なり成し得た作品群と言えます。シリーズものとしては、ハリーポッターや007などを越え、1兆円以上の興行収入があるそうです。
と、ここまで書き進めながら、なぜこんなにもこの映画が人々の心を掴むのか、その本質についてずっと考えていました。
そんな時、京都の“Marvelous”なイベントに参加する機会に恵まれました。

母の日の5月12日の夜に行われた『暗闇の清水寺 特別拝観 ~千本のカーネーションで祝う お釈迦さまの誕生日~』です。




なかなか入ることの出来ない夜の清水寺は、音羽山の新緑の香りが風に乗って静かな境内に流れ込み、感覚が研ぎ澄まされるような美に溢れた場所でした。
特別な夜だったので、本堂の内陣というところまで入ることが許されました。千の手を持つ観音様や、筋肉隆々としたお姿の仏像、中には弓矢などの武器を持った阿修羅像なども目の前にしながら、お経を聴くことが出来ました。その瞬間、なぜか不思議と私の心がわくわくし始めたのです。

「あぁ...遠く古い時代から、人々の心はずっとこういうものを求めてきたんだな...別々の個性を持ったたくさんのヒーローや神たちが力を合わせ集まるこの迫力に感動してきたんだな...」そう思ったのです。
貫主の方の説明では「怖い顔をされているのは、怒っておられるのではなく、必死の形相で人々を助けに行こうとされているお顔です」ということでした。
美しさや逞しさを備えた超人的な存在が、人の幸せを願いながら一堂に会したという点においては、2つの全く違う文化・時代に1つの大きな流れを感じ、今アベンジャーズが世界的な人気を博している本質的な理由に辿り着いた気がしました。
仏教のことも、アベンジャーズのことも、あまりに初心者で、失礼なことを言っていたら申し訳ありません。
ただ、それぞれの素晴らしさを目の当たりにできる今という時代を生きていることに、とても感動しました。
そしてこのMarvelousな2つの世界に踏み込めたのは、世界遺産や重要文化財にお仕事で関わり、そして少年の心を持ち続ける旦那さんのおかげだったりもしました。“縁”に感謝です。
誰かに刺激を受け、何か素敵なものを五感で受け取りながら、自分の人生をいつも感動で溢れたものにしていきたいですね。
