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シンセサイザー鍵盤狂 漂流記 ~音楽を彩った電気鍵盤たちとシンセ名盤の数々~ その30

2021-02-24

テーマ:音楽ライターのコラム「sound&person」

続ニューヨーク音楽よもやま話・・・音楽が鮮やかにする2つの景色

前回に続き、ニューヨークよもやま話その2です。

3度目のニューヨークはアトランタ取材の帰りに立ち寄りました。1986年、秋の話です。1979年にカーター大統領がタウンミーティングで静岡県下田市を訪れ、当時の中学生女子代表が大統領に質問をしました。時は流れ、その女子は大人になり、カーター元大統領から新設したカーターセンターのレセプションに招待されます。地方放送局がその取材に出かけたという経緯です。そこで恐ろしい事が起きました。

カーターセンターでの『晴天の霹靂』

ジミー・カーター元大統領はジョージア州出身。1986年、ジョージア州アトランタにカーターセンターを新設しました。カーターセンターは世界各国の紛争解決や民主化など、ご自身の活動の拠点です。カーター元大統領はこれらの功績が評価され、2002年にノーベル平和賞を受賞しています。

カーターセンターの取材は低予算のため、ディレクターとカメラマン2人の貧乏取材でした。

カーターセンターへ向かうタクシーの中でレイ・チャールズのジョージア・オン・マイ・マインドが大きな音で流れていました。音楽は記憶の細部を鮮やかにする役割を果たします。僕にとって♪ジョージア~はアメリカの大地を想起させる素敵なバラードでした。この時までは…。

■ レイ・チャールズ『Georgia On My Mind/Mess Around』(2016年)

推薦曲:「ジョージア・オン・マイ・マインド」

ホーギー・カーマイケルの名曲。多くのミュージシャンにカバーされています。アメリカ大地へのオマージュ説と作者の姉妹であるジョージアを歌っているなど諸説あり。ジョージア州の州歌。

カーターセンターの入場チェックは厳しいものでした。世界のメディアが集まる中、元大統領と現職大統領が肩を並べるわけですから当然と云えば当然です。入口で名詞とパスポートを見せ、会社と名前のリストを確認された後、取材許可のパスを渡されました。僕のTVカメラも入念にチェックされました。TVカメラはその形状からバズーカ砲にもなりかねません。カメラの取材テープ(βテープ)を取り出してテープのチェック、電源を入れてファインダーが映るかどうか、実際にカメラが回るかなどチェックの数々。僕が経験した中では一番厳重でした。

カーターセンターで交付された取材パス

屋外の会場はファンファーレを演奏するオーケストラが控え、着飾った招待客で溢れています。我々は各国のメディアが揃うバルコーニーに案内され、その時を待ちました。

大きな拍手に迎えられ、カーター元大統領とレーガン大統領の入場です。僕は2人を全身像(フルショット)でサイズをとり、VTRスタートボタンを押しました。アメリカ大統領と前大統領の2ショット撮影なんて、めったにないことです。もう少し近付いたらフルショットからバストショットにズームインしようと思った直後…ファインダーから2人の映像が消えました。ファインダーが映らなくなったのです。

何が起きたのか分からず、僕はパニックになりました。カメラを確認すると電源が来ていません。映像も見えなければテープも停止しています。カーターとレーガンの2ショットです。「すいません、もう一度歩いて…」なんて言える訳がありません。冷や汗が出るのが分かり、気が遠くなりました。周囲のメディアは撮影に集中しています。カメラの横っ腹を叩くと映像が復活。先輩から教わったロシア方式が奏功しました。再度、VTRスタートボタンを押し、残り僅かな2人の歩きを撮影しました。原因はカメラに電源を供給するバッテリーケースのケーブル断線でした。

TV映像の1カットの時間は5秒から6秒。もう少し短い場合もあります。カーターとレーガン2ショットの撮影時間はギリギリ7秒。絶対に落とせないマストなカットは不本意ながらβテープに記録されていました。

この後、ジョージア・オン・マイ・マインドを聴くと僕の頭にはカーターセンターでの、あの風景が浮かぶようになりました。

10年後、静岡市出身の著名ミュージシャンと番組制作のため、訪れたインドネシアで、また恐ろしいことが起きました。その話はまた次の機会に…。

アトランタからニューヨークへ

カーターセンター取材後、アトランタからニューヨークへ空路で移動。系列のニューヨーク支局で断線したバッテリーケースを修理しました。ニューヨーク支局には音楽好きなスタッフが多く、音楽の話で盛り上がりました。1983年、マルコス独裁政権によって暗殺されたベニクノ・アキノ氏の映像をスクープした記者もいて、貴重な話を聞くことができました。

我々はマンハッタンにあるニューヨークのヒルトンホテルに宿泊しました。ニューヨーク・ヒルトンはジョン・レノンの名曲、「イマジン」が生まれた場所です。
後年、僕は百貨店で開かれたビートルズ展を取材しました。ポールのベースやジョージのギター等が展示されていました。その中に30センチ位の額に入った小さな紙を見つけました。汚い文字の英単語が並んでいます。よく見るとImagine there's no Heaven~と書かれています。
それは「イマジン」の歌詞でした。書かれていた紙はニューヨーク・ヒルトンホテルのメモ用紙。ホテルによく置かれているあれです。

音楽が生まれる瞬間に特別な場所や道具は必要無く、頭に浮かんだ言葉を書いたのがホテルのメモ紙だった…それだけの話です。ジョン・レノンだから特別な場所で特別な紙に特別なペンで書くことなんてないのです。ものを創造し、具現化する過程は誰も同じ。ジョンとの距離が少し近くなった気がしました。
「イマジン」を聴くと今もニューヨーク・ヒルトンから見たマンハッタンの景色を思い出します。

■ ジョン・レノン『イマジン』(1971年)

ストーンズの名曲、「アンジー」の名演で知られるピアニスト、ニッキー・ホプキンスがピアノを弾いています。

推薦曲:「イマジン」

云わずと知れたジョンの名曲。


今回取り上げたミュージシャン、アルバム、 推薦曲、使用鍵盤

  • アーティスト:レイ・チャールズ、ジョン・レノン
  • アルバム:「Georgia On My Mind/Mess Around」「イマジン」
  • 曲名:「Georgia On My Mind」「イマジン」
  • 使用機材:アコースティック・ピアノ

コラム「sound&person」は、皆様からの投稿によって成り立っています。
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鍵盤狂

高校時代よりプログレシブロックの虜になり、大学入学と同時に軽音楽部に入部。キーボードを担当し、イエス、キャメル、四人囃子等のコピーバンドに参加。静岡の放送局に入社し、バンド活動を続ける。シンセサイザーの番組やニュース番組の音楽物、楽器リポート等を制作、また番組の音楽、選曲、SE ,ジングル制作等も担当。静岡県内のローランド、ヤマハ、鈴木楽器、河合楽器など楽器メーカーも取材多数。
富田勲、佐藤博、深町純、井上鑑、渡辺貞夫、マル・ウォルドロン、ゲイリー・バートン、小曽根真、本田俊之、渡辺香津美、村田陽一、上原ひろみ、デビッド・リンドレー、中村善郎、オルケスタ・デ・ラ・ルスなど(敬称略)、多くのミュージシャンを取材。
<好きな音楽>ジャズ、ボサノバ、フュージョン、プログレシブロック、Jポップ
<好きなミュージシャン>マイルス・デイビス、ビル・エバンス、ウェザーリポート、トム・ジョビン、ELP、ピンク・フロイド、イエス、キング・クリムゾン、佐藤博、村田陽一、中村善郎、松下誠、南佳孝等

 
 
 
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