日本の社会がおかしくなってきている。そもそも500年後、いや、もっと早い時期に日本人がゼロとなり、日本は滅亡するのは間違いないと見られている。日本人がいなくなってしまう危機感が足りないことに驚きを隠せない。その原因はいろいろあるが、もちろん、出生率の急減が絡んでいることは言うまでもない。その背景には、若者の結婚願望がなくなりつつあるとか、経済的な不安などがあり、巷ではいろいろと調査が進んでいる。持論ではあるが、問題の原点には休暇願望も絡んでいる。
欧米諸国では今や、週休2日どころか、3日、4日と、どんどん休みを増やしていく傾向にある。そのニュースを見て、誰しもが日本もそうなったらと願うのではないか。休みが増えれば体が楽になる。そして自分のやりたいことがもっとできるようになり、人生を楽しめる。休みは多ければ多いほど良い、という風潮が漂っている。その考えに大きな落とし穴がないだろうか。
思い起こしてもらいたい。今日の日本経済の発展が昭和の時代にあったことを。敗戦国となった日本は米国主導のもと、国家の再建に励んだ。そして世界中のどこよりも一生懸命働いた。勤勉さ、真面目さは日本人の誇りであり、世界にその名を知らしめることになる。そしてがむしゃらに働いた結果、1960年代から経済は急成長し始め、1980年代には「Japan as No.1」と世界各地で囁かれるまでになった。つまり一時ではあるが、世界一のお金持ちの大国になったのだ。
その背景には、とてつもない労苦が伴ったことは言うまでもない。「24時間働けますか!」というテレビ・コマーシャルがはやる最中、国民が一丸となって働き、追いつけ追い越せの思いで世界を舞台に、あらゆる事業を拡大した時代だ。それが果たして良かったか、ということはここでは議論しない。歴史の流れとして、誰もが週6日は働いた時代があり、結果を残したのだ。大切なポイントは、一生懸命働く国が、最後には勝つという鉄則だ。そして日本は経済大国になった。無論、今はバブル崩壊の影響もあり、トップから転がり落ち、国家が財政破綻危機に直面している。
その点において、今日の中国は目覚ましい発展を遂げている。今やGDPは日本を追い越し、IT革命を先導しているだけでなく、AI化、宇宙開発においても世界をリードし始めている。これまで悲惨な歴史を繰り返してきた中国だけに、世界平和に貢献してもらえるならありがたいことだ。その結果はさておいて、重要なことは中国の方々は昨今、日本人よりもっと勤勉に働いている、ということだ。ちょうど1960代の日本のように、今や中国はアメリカ、日本に追いつけ追い越せと、国家ぐるみで取り組んでいる。しかも人口16億人の超大国だ。その人民が日本人よりも働いているので、もはや日本が勝てるわけがない。その結果、ここ最近では日本の国土は中国からの投資家によって買い占められ、都心では町中に中華街ができ始めている。いずれ日本国内の住民の1-2割は中国からの移住者となるのは時間の問題だ。
さて、本題に入ろう。諸悪の根源は、つたない休暇嗜好と断言できる。まず、欧米諸国がのんきに休みを多くとって余暇を楽しんでいるうちに、中国、インドをはじめグローバルサウスの国々がめきめきと力をつけてきた。欧米が牛耳られるのも時間の問題となっていることに注視する必要がある。今や中国に頭があがる国は世界のどこを見ても存在しない。トランプ大統領でさえ中国が保有するレアアースが欲しいため、昨今のトレード・バトルでも譲歩せざるを得ない状況だ。働く中国、それに続くインドに世界が席巻されるようになることは間違いない。その原因のひとつに、働くことをよしとしない欧米諸国の休暇嗜好妄想があるように思えて仕方がない。
根本的な問題は、別にある。迫りくる食糧難の時代だ。飽食の時代はもう終焉を遂げようとしている。あと数年で、世界的に食料難が発生し、日本もその影響を免れない。ましてや、食料の輸入がストップしようものなら、食材の7割強を輸入に頼っている日本にとって死活問題となる。いや、それがもう現実になろうとしている。つまるところ、日本人は原点に戻り、農耕作に励み、漁業を大切することにより、未来に向けて食いつないでいけるのだ。それは何を意味するか?正解はただ一つ。日々、働くことにある。週休2日など論外であり、それ以上の休みは飢餓の始まりを意味する。
人間にとって仕事休みは週1日が原則となるべきか、考えてみましょう。農家の方々が週2日、3日と休むでしょうか。田植え、刈り入れと季節を通じて輪作、二毛作などを繰り返すことも多い日本では、のんきに休んでいられないのです。ましてや牧場で牛や羊、馬を飼っていたら、ほっとくわけにはいかないのだ。日々、仕事がある、やるべきことをしないと、動物が死んでしまう。よって、週休1日の休みが古来の日本社会では当たり前であり、人間生活の基本と考えるべきだ。
その大切な農業や漁業など、生活の根幹に纏わる仕事をおきざりにして、みんなが欧米志向にうつつをぬかし、オフィスワークに慣れきってしまったことに問題を感じる。人間が週6日働いてはじめて、動物も健やかに生きていくことができる。週6日働くことの大切さを思うこの頃である。それはオフィスワークについても言えることだ。日頃、週6日働くことになれていなければ、いざという時、どうやって連日、畑仕事に取り組むことができるのだろうか。めんどうくさくてやってられない、とさじを投げる人が多くないか、危惧している。
もうひとつ、見逃せないポイントがある。人間は余暇が増えれば増えるほど、悪さをする傾向にあるということだ。当たり前のことだが仕事が忙しければ、一生けんめいに働いて、1日が終わり夕食を楽しみ、安堵する。そして心地よく眠りにつく。これが本来の姿だ。よって、余計な邪念に襲われることもなく、暇つぶしに何をしようかと模索することもない。昨今の悪意ある犯罪をみても、そのほとんどは職務中におきてはいない。仕事をしてない人が、暇がある人が、あれこれと罪を犯してしまうことに疑いの余地はない。みんなが畑仕事に取り組んでいたら、犯罪は起きようがない。斧でも振るわない限り。みんなに時間の余裕ができると、それぞれがしたいこと、やりたいこと、そして時には妄想まで心の中に描き、やってはいけないこと、考えてはいけないことを実行に移してしまうのだ。よって、余暇とは一見、楽しいことのように思えるが、実は、人間が堕落する落とし穴にもなっていることに気が付くべきだ。余暇こそ、犯罪の温床に成りうるのだ。
最も大切なポイント、それはそもそも人間は週6日、働くように作られていることを知ることだ。聖書に書いてあるとおりである。そして6日働いて、1日は必ず休みなさい、と神は教えた。7日働いてはいけないのだ。あくまで6日働き、1日は休む。それが体と心の健康を保つ秘訣と言える。これが人間社会の鉄則なのだ。
週休2日、3日がよいと妄想を描いている人たちは、いつか天地を作られた神と議論することになる。果たして勝てる自信があるのだろうか。その前に、もうすぐ災難、災害の時代が訪れ、食べる物がなくなってくる。その時あわてふためいて、今から畑で食物を作る!と言っても、もはや手遅れになるだろう。飢えて苦しむ時代が来るのを悟らなかったつけが回ってくるのだ。そして畑仕事しようとしても、体がついてこないだろう。休んで遊ぶことばかり考えてきたのだから、危機的な状況においても順応はむずかしいように思える。
だからサウンドハウスは以前、ファームハウスをやろう、と計画し、今でも畑を耕してお米を作っている。その米は社食で使われている。無論、その規模はあまりに小さすぎて話にはならないだろう。しかしそれがはじめの一歩だ。一時でも早く、少しでも多くの日本人が、国家が滅亡の道を歩んでいることを知り、自らがアクションをおこし、本来あるべき姿に回帰することを願うばかりだ。その答えは、週休1日から始まる。
