
サディスティック・ミカ・バンドがデビューした時は、まだミュージック・シーンはフォーク全盛期。フォーク以外はすべて「ロック」にすみ分けされる時代でした。特に加藤和彦はそれまでザ・フォーク・クルセーダーズでヒットを飛ばしていたこともあり、新しく結成したミカ・バンドに対して、音楽業界はジャンル分けを求めました。フォークでもロックでもない音楽に「ニューミュージック」と日本の音楽業界は、名付けたがっていたのです。その頃から個人的に海外に行っていた加藤和彦は、日本より海外を視野に入れ、海外で通用するためには優秀なプロデューサーとタッグを組まなければいけないと考えます。加藤和彦がレコード会社に提案したのがザ・ビートルズ(アシスタント・プロデューサー)、ピンクフロイド、ロキシー・ミュージックをプロデュースしたクリス・トーマスでした。契約はスムーズに行われ、そしてクリスを日本に招いて、2ndアルバム「黒船」のレコーディングが始まります。
当時の日本において、コンセプトアルバムを作るというのは珍しいことでした。それに加え、各曲に実験的な録音方法が採用され、その録音時間は述べ600時間にものぼったそうです。ディレクターは発売当時のレコードの帯に、その制作時間を宣伝文句に使おうとしました。しかし実際には「レコーディング300時間」と明記されます。なぜ300時間短いかと言うと、600時間かかったことが知られるとレコード会社に費用がオーバーしたこともバレてしまうからだそうです。

「日本から世界へ、世界から日本へ」逆輸入の発想の中で『黒船』というコンセプトも既にあったそうです。さまざまな効果音の挿入も当時としては実験的な取り組みでした。1曲目の「墨絵の国へ」では加藤和彦の歌を先行したり、追っかけたり歌詞の語りが入ります。実はこれ高橋幸宏が語っています。1974年5月にレコーディングを終え、10月に「タイムマシーンにお願い」がシングル発売。11月5日にアルバム発表となりました。アルバムは話題となり、ロックでもフォークでもない新たなサウンドとして注目されました。ライブも積極的に行い、続く3枚目の『HOT! MENU』もクリス・トーマスとの制作となったのですが、すでにクリスはミカと不倫関係にあり、バンドは崩壊に向けて突き進んでいました。

日本から黒船がやってきた! イギリスのロキシー・ミュージックの前座として、数週間のライブツアーを行うため、サディスティック・ミカ・バンドは渡英します。日本から摩訶不思議な音楽を奏でるバンドは、始めは冷ややかな目で見られたものの、圧倒的な演奏力に聴衆は大喜び。結果的には温かく歓迎されました。今思い返しても、このバンドはスーパーバンドでした。音はあまり良くないのですがライブアルバム『ライブ・イン・ロンドン』における脂の乗った演奏は、サディスティック・ミカ・バンドが非凡なバンドであることを証明しています。特に『黒船』からのレパートリーはイギリスの観衆には脅威のサウンドに聴こえたに違いありません。ミカ以外のメンバーで帰国後、バンドは解散してしまいます。その後のメンバーの活躍は、日本のロック・シーン、フュージョン・シーン、歌謡曲とさまざまな分野を彩っていくことになります。