レコードが誕生してから、ジャケットの役割は演奏者の写真とアーティスト名が一目でわかるものというのが定説だった。その後、タイトルが付くようになり、アーティストがそのタイトルに合わせたポーズをつけたり、着飾ったりという流れになった。そして1960年代終わり頃のイギリスに、レコード・ジャケットに革命を起こすデザイン集団ヒプノシス(Hipgnosis)が誕生する。出版物などのデザインを手がけていた彼らにジャケット・デザインを依頼したのは、ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズだった。彼らのデザインには、たくさんのチャレンジがあった。タイトルの無いジャケット、さらにはバンド名の無いジャケット。画像ソフトなど無い時代、ありえない情景はそこに作る!という制作スタイルから、モンタージュ、レタッチを駆使し、摩訶不思議な世界を我々に見せてくれた。ジャケットをアートの分野まで引き上げた功績は各方面より評価され、彼らの手がけた作品はバンドの音楽と共にレコード購買意欲を高めた。逆に中身を聴かず、ジャケットに惹かれてレコードを購入する「ジャケ買い」という言葉を生んだのも彼らの功績だろう。彼らが初めて手がけたアルバム・ジャケットはピンク・フロイドの『神秘』だった。

ピンク・フロイド 『神秘』(1968)

実際に人に火をつけ撮影。ピンク・フロイド『炎』(1975)
ヒプノシスはストーム・トーガーソン、オーブリー・パウエル、ピーター・クリストファーソンの3人。それぞれがデザイナーを務め、1970年代には驚く数のアルバム・ジャケットを手がけている。ピンク・フロイド『原子心母』『狂気』『炎』『アニマルズ』、レッド・ツェッペリン『聖なる館』『プレゼンス』、ポール・マッカートニー・アンド・ウィングス『バンド・オン・ザ・ラン』『ヴィーナス・アンド・マース』、イエス『究極』、10cc『愛ゆえに』『びっくり電話』、ジェネシス『眩惑のブロードウェイ』、UFO『宇宙征服』、スコーピオンズ『ラヴ・ドライヴ』、レインボウ『闇からの一撃』、T.Rex『電気の武者』、XTC『Go2』、松任谷由実『昨晩お会いしましょう』など。イギリス本国のアーティスト以外にも、さまざまな国のアーティストのアルバム・ジャケットを手がけた。ヒプノシスの全盛は1970年代だった。1980年に入り、映像部門に参入するも、時代の波に乗れずチームは解散する。その後、ストーム・トーガーソンはジャケット・デザインを担当し、ヒプノシスの世界を継承する。しかしCDというフォーマットになったせいか、作品のインパクトは半減してしまったようだ。

アンスラックス /『Stomp422』(1995)
2018年現在。3人の内、2人が他界してしまい、回顧録的作品集が出版された。『ヒプノシス/アーカイブス』(2013年)がそれだ。この本、華やかな作品群と対照的な裏のドラマとなる作品集で、世の中に出なかった没作品と苦労話などを集めている。ローリング・ストーンズ『ヤギの頭のスープ』を実は手がけるはずだったという話は、ラフ案と共に興味深い話だ。「今や、レッド・ツェッペリンのアルバムは紙袋に入れていても売れる」とバンド・マネージャーに言われた彼らは本当に紙袋に入れ、中身の見えないアルバム・ジャケットを制作。これがレッド・ツェッペリン『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』になる。紙袋を開けると、デザイン違いのジャケットが6種類登場するという仕掛けも彼ららしい。この本はAubrey Powellが監修しており、資料的価値も高い。

レッド・ツェッペリン『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』(1979)
これはどうやって撮ったの?という驚きが彼らの作品には必ずある。そのほとんどが、実際にセッティングされたものという事実にもう一度驚く。例えば、ピンク・フロイドの『鬱』。準備をしている間に潮が満ちなかったの?天候は?犬たち、静かにしていた?野次馬集まらなかったの?遠くに飛んでいるハングライダーはどこから飛ばしたの?たった1枚のアルバム・ジャケットを見ているだけでも、色々な想像ができる。それがたまらなく面白い。

ピンク・フロイド『鬱』(1987)