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フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド 最初で最後の来日公演 - 第2回リアルタイムのファンに聞くニッポン洋楽ヒストリー

2018-06-27

Theme:Show Reports, Small Talk

第2回:フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド 最初で最後の来日公演
語り手 AKIMAさん(ユニオンジャックマニア)

1980年代の大ヒット曲と言えば……カルチャー・クラブの「カーマは気まぐれ」、ワムの「ケアレス・ウィスパー」が、すぐ頭に浮かびますが、フランキー・ ゴーズ・トゥ・ハリウッド1983年のデビュー曲「リラックス」を挙げる方も多くいるのではないかと思います。グループ一連の作品を手掛けてきたプロデューサー、トレヴァー・ホーンが2017年に来日公演を行なった際、ラストナンバーとして、この大ヒット曲「リラックス」を披露し、会場内が大いに盛り上がったというレビューをネット記事などで見ることができます。

時代の先端を行く分厚いデジタル・ビート、過激な歌詞の内容に加え、メンバーが自らゲイであると公表するというイメージ戦略も相まって、デビュー曲「リラックス」は各国のラジオ局で放送禁止になったにも関わらず、世界のヒットチャートを賑わせていました。歴史的な大ヒット曲と、2枚組のデビュー・アルバムで、時代を象徴する存在となったフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドが、唯一のジャパンツアーを行なったのは1985年。唯一の来日公演にも拘わらず、ライブに関する記事や体験談が非常に少なく、謎めいています。

そこで今回は、ニッポン洋楽ヒストリーの第2弾として、貴重な日本公演の体験談を、リアルタイムの女性ファンに伺いました。今回語っていただいたのは、ビンテージ雑貨をとり揃えたセレクトショップ「ユニオンジャックマニア」のオーナーであるAKIMAさんです。
女性視点ならではの、ファン心理や80年代洋楽事情が伝わってくる体験談は、当時の日本における洋楽マーケットの特徴も見えてきそうです。

Q : 1980年代、AKIMAさんが、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの音楽に触れるきっかけといいますか、情報源はどういったものからだったのでしょうか。
A : やはりMTVですね。何度も繰り返し流れているので釘付けでした。当時は洋楽ブームで、MTV以外に民放放送でも洋楽情報はたくさん扱われていました。 洋楽専門雑誌も何冊も発行されていて、情報に溢れていました。

Q : 大ヒットしたデビュー曲の「リラックス」。日本ではTVコマーシャルでも使用されていたと同時に、過激な歌詞が欧米で問題になっているというニュースを見た記憶があります。 AKIMAさんがフランキーの曲に興味を持ったきっかけとして、そんな話題性も大きかったのでしょうか。
A : NHKでは放送禁止対象だったようですが、英語なので日本では歌詞の内容はそんなに大きく扱われていなかったと思います。 今から思えば「リラックス」の歌詞は(レコードの対訳では)過激すぎないように訳されていたように感じます。洋楽の放送は大抵翻訳字幕が付く事が多かったのですが、フランキーの「リラックス」のPVには付かなかったと親戚のお姉さんから聞きました。トレヴァー・ホーンの戦略なのか分かりませんが、ゲイ(同性愛者)のバンドというふれこみでしたので、 ビレッジピープルと比較されたりしていました。しかし日本ではサウンドが先行していて、過激な歌詞の内容はあまり話題になっていませんでした。

Q : 続く2枚目のシングル「トゥー・トライブス」は、アメリカのレーガン大統領と、ソ連のチェルネンコ書記長みたいな男二人が戦う土俵で、ニュースのアナウンサーに扮したボーカリストのホリー・ジョンソンが、東西冷戦の危機を歌うというPVが印象に残ります。こういった映像の作風も、女性リスナーにとってフランキーの魅力の一部だったのでしょうか。
A : むしろ日本では歌詞の過激さより、PVのユニークさが受けていました。特に「トゥー・トライブス」は、映像も音楽もTVやラジオで流れる回数は凄まじかったです。

Q : 1983年頃から「ベストヒットU.S.A.」や「MTV」を はじめ、洋楽のPVを流すテレビ番組が増えてきました。メンバーのセンセーショナルな話題が飛び交う中、ビデオなどで、メンバーのルックスに魅了された女性ファンもいたのでしょうか。
A : 初期の頃はルックスより「リラックス」の曲のかっこよさの方が話題でした。音楽性と表現力豊かなキャラクターには惹かれていたと思います。 ギターとベースのメンバーが好きな女性達は結構いましたね。その頃のホリー・ジョンソンとポール・ラザフォードはハードコア・ファッションでしたから、あまりファッショナブルではありませんでしたね。「トゥー・トライブス」がヒットしてからは彼らもスタイリッシュになり、巷ではメンバー達が着用していたロシアン帽やミリタリー・コートなどが流行った記憶があります。ファッション・ショーでもデザイナーがこぞってミリタリー・ファションを発表していました。当時のフランキーの影響力はそういった分野でもすごかったと思います。

Q : 1984年には初のアルバム「ウェルカム・トゥ・ザ・プレジャードーム」が、デビュー作としては異例のLP2枚組 のボリュームでリリースされました。高額でしたが、このアルバムを買っていた人は周りに多かったのでしょうか?
A : バブルの時代でしたから、みんな気前よく買っていましたね。当時は洋楽好きな人達がすごく多くて、新しいものにみんな飛びついていました。私も子供でしたが、お年玉を沢山もらえた時代でしたのでもちろん買いました。 まだ聴いたことのない方は2017年に発売された 180g重量盤LP&新装版CDをぜひ聴いて頂きたいですね。

Q : アルバム発売時、特典グッズなどはあったのでしょうか。
A : 当時、洋楽好きの人は、日本盤と海外盤をどちらも購入することが多かったですね。日本盤の多くは歌詞・解説付で、別バージョンの曲が特別に入っていることが多かったのですが、フランキーの日本盤は解説付きの歌詞のみだったと思います。後にスペシャル盤として、特典付きで何度か再発売されています。 いかに人気があったのかが分かりますね。

Q : 今、改めてデビュー・アルバムを聴いてみるとブルース・スプリングスティーンの「BORN TO RUN」といった正統派 のロック・クラッシクや、バート・バカラックの「サン・ホセへの道」といった王道ポップスのカバーをはじめ、お行儀の良いサウンドを持つ曲が多く見受けられます。 そんな側面を覗かせたこの2枚組LPの内容は、リリース当時、ファンの方にも意外に思われた内容だったのでしょうか。
A : トレヴァー・ホーンのセレクトでしょうか?全く話題になっていませんでした。その事を急遽イギリス人に聞 いてみました。ブルース・スプリングスティーンは、当時から積極的にゲイの人たちを擁護する発言をしてきたことから、当時のイギリスで彼はゲイの象徴のような存在だったということ、バート・ バカラックの曲は、イギリス人のツボを刺激するサウンドである、ということでセレクトされたのかもしれませんね。 正統派の曲からバラードをもパワフルに歌いこなす哀愁あるボーカルのうまさが光ります。サンプリングもかっこよかったですし、さすが「ラジオスターの悲劇」(バグルス)のトレヴァー・ホーンですね。

Q : さて、アルバムもリリースし1985年には待望の来日公演。大ヒットを連発していたグループの東京公演は、主に新宿の厚生年金会館というのも意外に思えます。チケットの入手は結構むずかしかったのではないかと想像するのですが。
A : 一時期、大物はコンサートで武道館が押さえられなかったら厚生年金会館、というパターンが多かったです。 チケットは洋楽好きの親戚のお姉さんに買ってもらいました。当時は電話で申し込してから後日取りに行くか、 新聞掲載された朝に並んで整理券をもらい、後日チケット・エージェンシー等で番号順 にチケットを受け取るというパターンでした。コンサー トはそのお姉さんに、私と友達が連れて行ってもらいました。

Q : 前回の「ニッポン洋楽ヒストリー」では、1983年のP.I.L.の来日公演の体験談を取材していまして、会場内ではパンフレットとレコードしか販売していないというお話を聞いたのですが、1985年のフランキーの来日でも、グッズはあまりなかったですか。
A : 当時を振り返って偉そうに語ってはいますが、私は当時ませた小学生の洋楽マニア(笑)でしたので全くその部分は記憶にありませんね。おそらくパンフレットくらいだったと思います。

Q : 会場内の客層や年齢層はどういった感じだったのでし ょうか。
A : 話題のバンドだったので、客層は中・高校生くらいから大人まで幅広かった印象です。

Q : 開演時間となり、メンバーがステージに登場したときの印象とか、ホール内のムードとかはどういうものだったのでしょうか。
A : 席は真ん中より少し後ろくらいでしたが、ステージから離れている事を全く感じさせないくらい、近くに感じる迫力のあるステージでした。ボーカルのホリー・ジョンソンが、客席の後ろまで届く大きなライトを持って、会場中をまんべんなく照らして観客を引きつけていましたし、PVそのままの雰囲気を感じさせてくれるパフォーマンスも圧巻でした。 今でも強烈な印象が残っています。

Q : その圧巻のパフォーマンスの中で、特に思い出深い曲はありましたか。この来日の時点では、アルバムはまだ1作のみのリリースという中、持ち歌のほとんどをプレイしたのではないかと思うのですが
A : そうですね。「ザ・パワー・オブ・ラブ」などのバラードもあって聴きごたえありました。あっという間に終わってし まった印象でした。観客はみんな総立ちで満足そうでした。

Q : この公演で一番盛り上がった曲はやはり……….
A : もちろん「リラックス」は最後でしたので大盛り上がりでした。「トゥー・トライブス」「ウェルカム・トゥ・ザ・プレジャードーム」 もヒットしたばかりでしたのでかなり盛り上がりました。 PVがかなり話題でしたからね。

Q : 結局は最初で最後となってしまった、このフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの来日公演。ネットとかを見ていても、その内容を読めるサイトやブログが本当に少ないです。そこで、最後にAKIMAさんが体験した、この来日公演やバンドの事で他に面白いエピソードがあったら、お聞かせください。
A : 突然来て嵐のように去っていったイメージですね。バンドはゲイということを前面に出していましたが、実際ゲイだとカミングアウトしているメンバーはホリー・ジョンソンとポール・ラザフォードの二人だけでした。ところがポール・ラザフォードはバイセクシャルとなり、後に女性と結婚して子供をもうけました。来日中は、なぜかアイドルばかりが出ていた歌番組にTV出演しましたし、メンバーはライブの後に新宿で食べた屋台の焼き鳥にハマっていたようです。コンサートが終わってすぐ帰ってしまったことを、すごく後悔したのを覚えています(笑)。

今回の語り手:AKIMAさん(ユニオンジャックマニア)
UKロックのアーティストグッズ、英国マニアックな雑貨、アンティークを扱うセレクトショップ、ユニオンジャックマニアを運営。 ウェブサイトに入るとロンドンのカムデン・マーケットにいるようです。 ショップのTWITTERは、UK アーティストの最新ニュースをはじめとする、イギリス愛好のための情報発信ツールとして親しまれています。
https://unionjackmania.com/

Ichihara

45歳にしてオヤジバンドにベーシストとして参加。バンドでサウンド・ハウスの存在を知りその勢いで入社。 趣味はUKロック、60年代ソウルやソフトロック等のレコード・コレクション。最近はSPレコードも愛聴しています。ポール・マッカートニー、デヴィッド・ボウイとP.I.L.を愛する永遠の29歳。

 
 
 

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