U 87 Aiコンデンサーマイクを筆頭に数々のスタンダード・レコーディングマイクを生み出してきたNEUMANN(ノイマン)は、1928年11月23日にGeorg NeumannとErich Rickmannによってドイツ・ベルリンで設立されました。
同年に発売された最初のコンデンサーマイクCMV 3は「ノイマン・ボトル」の愛称で親しまれました。取材などに使われましたが、高さは約40cm、重さも3kg近くあり、現代のマイクとは比べ物にならない大きなものでした。CMV 3の販売権は、AEGの子会社であるTelefunken社が獲得していました。
現在でもビンテージマイクとしてごくごく稀に目にすることができるU 47は、1949年に発売されました。今日のスタジオマイクでも定番の機能である「指向性切り替え機能」を初めて搭載したマイクで、無指向性と単一指向性を切り替えることができました。同時に単一指向性と双指向性を切り替えることができるU 48(スペシャル)も発売されました。
「伝説のコンデンサーマイク」として語り継がれ、現在はM 49 Vとして復刻されている真空管コンデンサーマイクM 49は、1951年に発売されました。当時のマイクはすべて真空管回路であったため、電源を供給するパワーサプライが必要でした。そのパワーサプライから遠隔で指向性を切り替えることができる初めての製品がM 49でした。北ドイツ放送局中央研究所の技術者が同じものを開発しましたが、NEUMANNが特許を取得。以後他社で製造された遠隔指向性切り替えマイクは、NEUMANNのライセンスを受けて製造されました。
1950年代には「ステレオ」の概念が登場し、「ステレオ録音」の技術が生まれました。これに呼応するようにテレビ局からは小型化の要求が高まり、直径21mmの「スモールダイアフラム・コンデンサーマイク(ミニチュア・マイクロホン)」を開発。1953年に無指向性のKM 53、1954年に単一指向性のKM 54がリリースされました。これは現在のKM 183/KM 184に受け継がれているラインナップです。
さらにステレオ録音の技術は進化し、2つのカプセルを1つのハウジングに搭載することが理想的な解決策と考えられるようになります。1957年、世界で唯一の「ステレオマイクロホン」であったSM 2を製造しました。
1960年代になると新たに生まれた「トランジスタ」という半導体が従来の真空管を置き換えるようになってきます。ほどなく「電界効果トランジスタ(FET)」が開発されると、コンデンサーマイクもFET化が考えられるようになり、1965年、初のトランジスタ・マイクロホンKTMがリリースされました。同時に電源供給の方法として「ファンタム電源」が開発され、現在でもコンデンサーマイクへの電源供給方法として使われています。
以降、真空管回路を用いたマイクは順次半導体回路に置き換えられました。旧来のU 67、KM 53/KM 54/KM 56等がそれぞれU 87/KM 83/KM 84/KM 85等に置き換えられました。今日でも最も有名なマイクとして名高いU 87の誕生は1967年でした。U 87はその後U 87 iを経て1986年にU 87 Aiに進化し、今日でも生産され続けています。
近年注目されるダミーヘッドマイクは、1973年にベルリンで行われた国際ラジオ・テレビジョン展でKU 80として発表されました。1982年の改良型KU 81ダミーヘッドを経て1992年には第3世代のKU 100が発売され、今日も製造され続けています。また、1992年には球面マイクロフォンKFM 100を開発し、新たなステレオ録音方式を実現しました。
現在主流となりつつあるトランスレス・マイクロホンの歴史は、1983年ののTLM 170まで遡ります。TLM 170はトランス・マイクロホンU 89と同一のデュアルダイヤフラムを搭載したマイクで、旧来のマイクと比較してダイナミックレンジが大幅に改善されました。
以後トランスレス・マイクのラインナップを拡充し、1990年にTLM 50、1993年にTLM 193、1997年にTLM 103を発売しました。中でもTLM 103は等価ノイズ -7dB-Aを実現し、ひときわ大きな評価を得たマイクです。なお、NEUMANN製品の回路構成は製品のバッジの色で見分けることができ、トランスレス回路は赤いバッジが付与されています。
1960年代に登場したトランジスタは世間一般では完全に真空管を置き換えていますが、レコーディング分野では今日でもその特徴的なサウンドによって重宝されており、1990年代に入ると入手困難になってきた真空管マイクを求める機運が高まりました。
この流れに呼応し、伝説的なK 47/49カプセルを使用したM 149 Tubeを開発しました。真空管回路を用いたマイクではありながらも出力段ではトランスレス・半導体回路を採用するなど、過去と現代がハイブリッドされたM 149 Tubeは高い評価を得ました。その後も1998年にM 147 Tube、2000年にはM 150 Tubeを発売しました。
一方で新たなマイクの開発にも余念がなく、2003年には初のデジタル・マイクロホン「Solution-D」D-01が発売されました。また、放送向けマイクにも着手し、2005年には放送局の要求に対応したBCM 705を発売。NEUMANN初のダイナミックマイクとなりました。
NEUMANNはマイクのメーカーとして有名ですが、マイク以外にも様々な製品を手掛けており、レコードカッティングマシンもその一つです。1928年頃よりGeorg Neumannはレコード技術への関心からEugen Reiszと袂を分かつことになります。イギリスの友人から製作を依頼されたことをきっかけにカッティングマシンを製品化し、1956年には横録と縦録の両方に対応した初のステレオディスクカッティング旋盤ZS 90/45を発売するなど、多くの製品を生み出しました。
また、あまり知られていませんが、NEUMANNはミキシングコンソールも手掛けていました。1963年にベルリンで開催されたラジオ・テレビジョン展では、「オールソリッドステート」のミキシングコンソールをデビューさせていました。その後ドイツやヨーロッパの多くのラジオ局やテレビ局、映画館やレコーディングスタジオ、劇場などにコンソールを納入しました。
様々な分野の開発の中で近代に技術的な貢献も生み出し、1947年にはニッケル・カドミウム電池をガスを発生させずに製造する方法を開発し、今日の普遍的な蓄電池の基礎となっています。
このようにマイクを含め多方面に技術と研究を重ねたNEUMANNは、1999年2月、録音分野とオーディオ界への卓越した技術的意義のある貢献に対して、テクニカルグラミー賞を受賞したのです。
NEUMANNは経営・運営面でも興味深い歴史を持ちます。NEUMANNの本社はベルリンのシャルロッテン通り、連合軍の国境検問所「チェックポイント・チャーリー」の近くにありました。当時のベルリンは西ドイツの飛び地のような位置にあったため、ベルリンの壁が崩壊するまでの30年間、ベルリンは西ヨーロッパの西端に位置していました。しかしベルリンの壁崩壊とともに突然ベルリンがヨーロッパの中心になり、一夜にしてコストが大幅に上昇。最終的には高層ビルの建設計画のために社屋を取り壊すことになりました。
また、1976年にGeorg Neumannが亡くなった後も会社の支配権を持ち続けていたノイマン家が、ゼンハイザー・エレクトロニックに株式を譲渡することを決定しました。1991年1月1日よりNEUMANNはSENNHEISERグループとなり、1993年にはマイクの生産をSENNHEISERに移管することが決定され、最新鋭の機械設備と製造装置を備えた「ノイマン・プロダクション・ホール」が建設されました。
SENNHEISERグループに加わった明確な相乗効果として、2002年、SENNHEISER SKM 5000ワイヤレス・システム用のマイクカプセルKK 105 Sを発売。これは1999年に発売されたKMS 105をSENNHEISERワイヤレス・システムで使用可能にしたものです。NEUMANNサウンドをSENNHEISERワイヤレス・システムで使うことが可能になったのです。以降、NEUMANNのマイクを大規模なコンサートやテレビ番組でも目にするようになりました。
2005年にスピーカーブランドKlein + HummelがSENNHEISERグループに加わり、2011年にはNEUMANNブランドでKH 120モニタースピーカーを発売しました。以降、3社の技術とノウハウを結集しモニター製品ラインナップを拡大。2019年にはヘッドホンNDH 20、2017年にはDSPを搭載したKH 80 DSPを発売するなど、様々なカテゴリでプロフェッショナル向けの製品をリリースしつづけています。
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