 
  
  
   Peaveyというブランド名は楽器とプロオーディオ業界内では最も知られているメーカーの1つです。このミシシッピーに本拠地を置くメーカーは今年で創立40周年を迎えます。今回JerryGilbertが特に盛り上がりを見せているフランクフルトメッセに赴き、Peaveyブランドの創立者であるHartleyPeavey氏にインタビューを行ってきました。
Peaveyというブランド名は楽器とプロオーディオ業界内では最も知られているメーカーの1つです。このミシシッピーに本拠地を置くメーカーは今年で創立40周年を迎えます。今回JerryGilbertが特に盛り上がりを見せているフランクフルトメッセに赴き、Peaveyブランドの創立者であるHartleyPeavey氏にインタビューを行ってきました。
今回のインタビューは非常に幸運なことに、ミュージックメッセ中にPeavey社がTrace Elliot社の前社長Clive Roberts氏を新たにPeavey Europeのトップに任命し、Trace Elliot製品の復刻を行う、という思いもよらないニュースに関して話を伺うことができるまたとないチャンスとなりました。これに関する詳細は後ほどお伝えします。
さてフランクフルトにオフィス代わりの小部屋を1つ借り、そこへ音楽楽器界の大御所、Hartley氏を招き、インタビューを行いました。Hartley氏はアメリカ南部訛りの英語で、ゆっくりと非常に興味深い話を始めました。
Peavey社の楽器業界からプロオーディオ業界への転換は比較的スムーズに行われ、建築音響事業部の設立に共に、1993年にDSPチップを搭載したソフトウェア、Media Matrixエンジンを開発しました。一方、Hartley氏が今から6年半前に買収したCrest Audioはその当時、経営の立て直しの大変な局面を迎えていました。
Hartley氏が経営難のCrest Audioを買収した理由は、それまでの10年におけるHartley氏の人生に目を向ける必要があります。
Hartley氏はミシシッピーのキリスト教篤信地帯の厳格な南部バプテスト教信者として育ち、ミシシッピー州立大学において経営学の学士号を習得しました。1998-99年にかけてはHartley氏にとって非常に苦痛に満ちた大変な時期でした。それは21年間人生を共にしたHartley氏、最愛の妻でありPeavey Electronics社の社長でもあるMeliaさんを亡くし、またその直後に連続してご両親がお亡くなりになったのです。しかしHartley氏はこの想像を絶する大きな損失を補う為に、Peavey社に有名大学のMBA卒から企業役員を雇うことを選択しました。
Hartley氏は「これらのエキスパートが加入したことによりCrest社を買収する機会が巡ってきました。Crest社のオーナーから、幹線道路拡張事業の為にパワーアンプ工場を手放さなくてはいけない、と電話があったのです。」と振り返ります。しかし新たに任命した経営マネージメントチームが「Peavey社がさらに発展する絶好の機会」とCrest社の買収を勧めたにも関わらず、その後の話を詰めていくにしたがってCrest社が実はいくつかの負債を抱えていることが明らかになりました。またHartley氏はCrest社のチーフアンプデザイナーを務めていたJD Bennett氏にも内部事情の確認をしましたが、JD氏は「Crest社は非常に素晴らしい会社です。」とHartley氏に伝えただけだったのです。
こうしてCrest社は1998年の秋にPeavey社によって正式に買収され、Peavey社の経営マネージメントチームによって2つのビジネスを統合する努力が始まりました。しかし、Peavey社のチームがCrest社に到着してすぐに、採算性と生産計画の連続性が全く無視され、経営再建の最優先課題から漏れている事実に驚かされたのです。Hartley氏はこの時Peavey社の新しい経理チームによって、本来ならば行われているはずのCrest社の適正評価が実際に行われていなかったことに気付いたのでした。過去5年間にわたりHartley氏は会社の方向性を正しく導いてきました。またパワーアンプ、ミキサー、ハイエンドDJミキサー等の多くの新しい事業にも取り組み、導入に成功してきました。さらにそれらの事業に並行してCrest社が過去15年間生産してきた製品で既に時代遅れになってしまっているものの生産中止作業にも着手しました。しかしHartley氏はCrest社がPeavey社とは全く異なって、「仲間をお互い誉めあう社会」とHartley氏が形容する、特別な企業文化を持っているということに気付きました。「一見したところCrest社では誰もが他の社員に対して好意的である一方、まるで利益や価格競争、また将来に関して関心のない技術者の集まりのように、責任や長期的なプランがないように思えました。」とHartley氏はその当時のCrestを表現します。
しかし当然ながらPeavey社がCrest社を買収したことによって、この文化は変わる必要がありました。エンジニア部門は新製品のデザインを行い、生産部門は市場の求める価格、性能を持った製品を時代に合わせて市場に送り込むことが求められました。「長期的にCrest社に勤務していた人々の多くはその和気藹々とした雰囲気に浸かることに慣れ、“実社会で労働する”ということを理解していないようでした。」Hartley氏は当時をそのように振り返ります。
 その後Crestの生産施設はPeavey社が拠点とするミシシッピーに部分的に移転し、多くのCrest製品の生産ラインを移しました。しかしHartley氏は、「Crest製品の生産ラインを全てミシシッピーに移さなかったことが、Peavey社が犯した最大の過ちだった。」と言います。そして今年の初めにHartley氏はとうとう我慢ができなくなり、Crest製品の生産、販売、そして技術部門を含めた全ての部門を移転させました。
その後Crestの生産施設はPeavey社が拠点とするミシシッピーに部分的に移転し、多くのCrest製品の生産ラインを移しました。しかしHartley氏は、「Crest製品の生産ラインを全てミシシッピーに移さなかったことが、Peavey社が犯した最大の過ちだった。」と言います。そして今年の初めにHartley氏はとうとう我慢ができなくなり、Crest製品の生産、販売、そして技術部門を含めた全ての部門を移転させました。
また、Peavey社には当時この大規模なプロジェクトの舵取りを行える有能な人材が不足していました。そこでHartley 氏が白羽の矢を立てたのが、オーディオとコンピューターに関する専門知識を持ち、Peavey社でプロダクトマネージャーとして2、3年間働いていたMark Pinske氏でした。Pinske氏はフランクザッパのサウンドエンジニアとしてツアーとスタジオで活躍していたという、特筆すべき経験の持ち主でもあります。またPinske氏はQuad-8社で工場長として働いていた時にオーディオ生産部門を管理していたことがあり、さらにMicrosoft社の認定技師の資格を保有し、Creamware社に勤務した経験があるなどPCベースのオーディオソフトにも非常に精通しています。「彼の持つ稀で、非常に数多くの経験が必ずPeavey社のMedia Matrix部門と建築音響部門の舵取りを行う際に生きてくると思ったのです。」とHartley氏は言います。
Peavey社がCrest社を買収したすぐ直後は、会社内を取りまとめる為に必要なリーダーシップが十分成熟しておらずPeavey社が持つ“文化”を解体するには至りませんでした。Pinske氏は社内の政治的な問題を切り開くには最も適した存在でした。そして、過去1年半にわたり建築音響部門とMedia 
                          Matrix部門を監督する為にミシシッピーとニュージャージーを行き来し、その他の時間はCrestに時間を費やすことになりました。
                          このようにしてHartley氏はCrest社の自立とCrestブランドの強さを保つことに成功したのです。Crest社を買収した当時、Hartley氏は「Crestの名前は変えるつもりはない。」と主張していました。そしてその言葉の通り、Crest製品はCrestの名前のもと復活したのでした。
この度Peavey社は北米におけるTrace Elliotブランドのベース/アコースティックアンプやキャビネット、コンボの販売権を得たと発表し、自らの創立40周年記念を盛大に祝いました。Hartley氏は(コングロマリット化することが主流の世界で)単独で闘ってきた自身のキャリアを回顧し、事業を彼の次の世代へと紹介しました。Hartley氏がフランクフルトメッセに足を運んだのはこの7年で初めてのことでしたが、近年ではあのJim Marshall氏に並んでフランクフルトメッセの巨大なホール内を牛耳ることができる巨人は他にはいません。フランクフルトで取り決められたTrace Elliot社の北米での販売権に関する契約によると、Trace Elliot社の新製品はイギリスのコービーにあるPeavey社の工場で今後生産される予定です。
今日Peavey Electronics社は130の特許を保有し、2000以上の製品を生産しています。その数は、Leo Fender氏を尊敬する若きHartley少年が1954年に父に連れられて初めてNAMMショーに行った時にはほとんど想像もできなかった数値です。Hartley氏はその後すぐにギターアンプをいじるようになり、1965年にはついに生産を開始したのです。しかし若きエンジニアの本当の躍進は、当時のポータブルPAシステム市場における新たな方向性を提示することによって巻き起こりました。これが1968年に発表されたPeavey PA-3の発売につながり、その直後にPeavey社は初めての専用施設への移転を行ったのです。会社の規模が社会的に認知されるほどの規模に発展するにつれ、Hartley氏は自立し続けることが会社を守る最良な方法だということを学んだのでした。「私は70年代の複合企業を多数見てきましたが、その中で元の形を保っている会社を1つたりとも知りません。私は熱心でない技術者なのかもしれませんが、巨額の金を手に飴玉のように甘い話しを持ちかけてくる企業家達を信用できませんでした。」とHartley氏は振り返ります。
 Hartley氏にとって、的外れな労働倫理に従って会社が動いていくことは期待を裏切られる結果をもたらし、それについて永遠に後悔することになるだろうと予測することはそう難しくありませんでした。それでもHartley氏を最も意気消沈させることは、業界自体がHartley氏のことを固定観念によって判断すること、またPeavey社がMI業界とプロオーディオ業界の境界線をスムーズに渡っていることに対する認知度が余りにも低いことでした。「私は40年間この業界にいます。それでも今尚驚くことに、人々が私に対して未だに1968年当時のような印象を抱いているということです。当時私は何故だか音楽業界ののけ者のように見られていたのですが、私は今まで口だけで実際に行動で示さなかったことはありません。なぜ他の大企業は問題なくて、私だけが槍玉に挙げられるのでしょうか?」とHartley氏は言います。
Hartley氏にとって、的外れな労働倫理に従って会社が動いていくことは期待を裏切られる結果をもたらし、それについて永遠に後悔することになるだろうと予測することはそう難しくありませんでした。それでもHartley氏を最も意気消沈させることは、業界自体がHartley氏のことを固定観念によって判断すること、またPeavey社がMI業界とプロオーディオ業界の境界線をスムーズに渡っていることに対する認知度が余りにも低いことでした。「私は40年間この業界にいます。それでも今尚驚くことに、人々が私に対して未だに1968年当時のような印象を抱いているということです。当時私は何故だか音楽業界ののけ者のように見られていたのですが、私は今まで口だけで実際に行動で示さなかったことはありません。なぜ他の大企業は問題なくて、私だけが槍玉に挙げられるのでしょうか?」とHartley氏は言います。
「音楽楽器部門で行ったことのいくつかはプロオーディオ業界の人々がやっていることよりももっと洗練されていますし、それにMedia Matrixのように誰もやっていないことに着手しなくてはいけなかったのです。当時十分なプロセッシングパワーを得るには、今日私達の競合企業の内数社のみが採用しているDSPを使用するしか方法がありませんでした。」しかしHartley氏は今までのDSPに対するアプローチとは異なる、他とは違う方法に挑戦しなくてはいけない、と合理的に考えPeavey社がドラマー用のRadial Bridgeシステムを発表した時に経験した一般の反応を例に取りました。「私が実際に今まで出会った人々の中でプロオーディオ業界の人々よりも保守的だと感じたのはドラマー達でした。Radial Bridgeシステムを発表した時に“音質は良いがドラムに見えない”という反応が多数ありました。要するに彼らはそのコンセプトを全く理解しなかったわけです。」
Media MatrixはPeavey社とMotorola社との提携により開発されました。「私達はMotorola社の最も大きな取引先の1つであり、その当時Motorola社はオーディオ処理能力が格段に良くなったDSPチップをテストしていました。Motorola社は56,000種類ものチップを開発、販売しており、我々は彼らにMedia Matrixを開発する為に必要なチップのリストを送ったのでした。」
Hartley氏は繰り返し、アイディアは異なるテクノロジーから生まれる、と言います。「シンセサイザーを思い浮かべて下さい。シンセはトーンジェネレーター、サンプラー、EQ等のパーツから構成されていますが、接続してボタンを押すだけでどんな音にでも変化させることができます。Media Matrixも同様に、コンプレッサーやパラメトリックEQ等の機能が搭載されたチップが多数装填されており、シンセのように様々な用途に使用することができます。さて、では何故楽器製造会社がこのような電子機器分野に関わってくるのでしょうか?答えは簡単です。それは結局これらの電子機器もシンセサイザーと全く同じ原理でできているからです。」
またPeavey社はCobraNetのディベロッパーであるPeak Audioと提携を結ぶことにしました。しかしこの件は危うくHartley氏の離婚問題に発展するところでした。「私の妻の“私達はハードウェアメーカーだからハードウェアに集中していくべきだ”という主張に対し、私は“もし私達がやらなければきっと誰かがやってしまう”と主張しました。度重なる議論の末、最終的にはこの提携を結ぶことに決定したのです。」
1993年にHartley氏はPeak Audioの技術者2人と共に会社の飛行機に初期段階のMedia Matrixシステムを搭載し、デモを行う為に国内を飛び回りました。「何人かは私に“コンピューターなどにビジネスは任せられない。”と言ってきました。私はそれに対して“それではあなたがいつも乗っている飛行機の運行は何が管理しているのですか?”と逆に質問することにしていたのです。」
実際Media Matrixシステムはアメリカの上下両院に始まり、非常に多くの会社が他に先駆けて採用しました。今日ではイギリスのヒースロー空港の新しいターミナルやウェンブリースタジアムを含め、3000~4000台が世界各国に広がっています。また、シドニーのオペラハウスやその他各展示場等、知名度の高い場所にもMedia Matrixの最新コンピューターシステムが導入されています。もし誰かが20年前に“将来、君はヒースローに離発着する飛行機の運行に携わることになるでしょう。”とHartley氏に言ったとしたら、「ただ単に“何を訳のわからないことを言っているのだろう。”と思っていたでしょう。」とHartley氏は笑いながら言います。
 Media 
                          Matrixは、Crest社が1991年に他社に先駆けて開発したソフトウェアベースNexSysネットワーク・アンプコントロールシステムに非常に近い製品です。Hartley氏はCrest社の買収がそのようなソフトウェア関連の市場へ参入する機会になればと強く考えていました。しかし例えCrest社の買収にまつわる苦い経験がHartley氏の更に買収を行うことを思いとどまらせたとしても、Jack 
                          Daniels社とのコラボレーションによるPeaveyギター製品等に見られる他ブランドとの提携は行っていたでしょう。また、Hartley氏はClive 
                          Roberts氏がTrace Elliotブランドの復興の為に再び彼のチームを集めたことを大変喜んでいます。
Media 
                          Matrixは、Crest社が1991年に他社に先駆けて開発したソフトウェアベースNexSysネットワーク・アンプコントロールシステムに非常に近い製品です。Hartley氏はCrest社の買収がそのようなソフトウェア関連の市場へ参入する機会になればと強く考えていました。しかし例えCrest社の買収にまつわる苦い経験がHartley氏の更に買収を行うことを思いとどまらせたとしても、Jack 
                          Daniels社とのコラボレーションによるPeaveyギター製品等に見られる他ブランドとの提携は行っていたでしょう。また、Hartley氏はClive 
                          Roberts氏がTrace Elliotブランドの復興の為に再び彼のチームを集めたことを大変喜んでいます。
Hartley氏は労働倫理について楽器店を経営していた父から学んだと言います。「私は父のことを町で一番意地悪な人間だと思っていました。しかし父は仕事の仕方を私に教えていたのです。私はその父のやり方を真似て、同じことを私の2人の子供にしてきました。」とHartley氏は言います。現在、長男のJoe氏はPeavey社でデモンストレーターとしてPeavey社に勤務し、次男のMarc氏は広告部を管理しています。
またHartley氏の妻、Meliaさんの死後、Hartley氏は現在Peavey社の社長を務めるMaryさんと再婚しました。そして義理の息子にあたるCourtland Gary氏もまたPeavey社で働いており、経理部の副部長を務めています。
Hartley氏の勢いは緩まるどころか、さらにたくさんの新しいDSP製品を世に送り出そうとしています。その先駆けとして、信号のルーティング、ミックス作業、周波数帯の制限、イコライジング、コンプレッション、ゲート、ディレイ等の機能を多数搭載した汎用DSP機器、Digitool MXの生産を既に行っています。
またフランクフルトメッセでPeavey社のヨーロッパ地域のネットワークに関する専門家であるDave Bearman氏が新製品のNION(Networkable Input Output Node)の実演デモを行いました。NIONはCobraNetをサポートするMedia Matrixの次世代プロセッサーであると同時に、Hartley氏が長年思い描いてきた製品です。「他の数多くのメーカーは非常に早く市場にNIONのような製品を送り出します。それは単にプロセッシング能力が私達の製品よりも劣っているから可能なのです。我々の製品は最大1000系統の入出力を行うことができ、そしてこの技術は私達の競合企業が開発したのではなく、私達自身が開発した技術だと言うことを忘れてはいけません。プロの世界では人々はお金を払えばおのずと良い製品が手に入ると考えられています。これは生産に関する全ての要素が全く同じである場合に限り事実と言えます。もしスピーカーを生産するよりも安く買えてしまったとしたら何故生産したいと思うでしょう?我々は生産を中国で行っていますが、それはそうしたいからではありません。去年Peavey社は今までで一番多くギターを販売しました。しかし、世界的に価格のデフレが起きています。中国に生産を移しても結局のところウォールマート現象が起きてしまうのです。」
さらにHartley氏は「Crest社は色々ありましたがそれでも信じられないくらい評判が良く、特に私が関わるようになってからはCrestが製品生産の最終到達点とも言えるレベルに達してほしいと願っていました。Crest社の件で誰もが私は失敗するだろうと予想していたようですが、しかしそれは私がこの業界に入って常に言われ続けてきたことです。もちろん私達は適切な変革を行わなければなりませんでした。しかし資本主義社会では生存し続けることが鍵です。利益を上げながらお客様を大事にし、そして人々に耳を傾けなければいけません。一番簡単なことは背を向けて諦めてしまうことですが、私はCrest社に金銭的にも感情的にも多大の投資を行っていました。私にとってCrest社の買収は初めての大きな冒険でしたし、またするべきではなかった推測に基づく判断をいくつも行ってしまいました。しかし、その経験から学ぶことも多かったのです。」とHartley氏は過去を振り返ります。
このような経験を持つHartley氏はこれから企業家として独り立ちする人々にどのようなアドバイスを送るのでしょうか。Hartley氏はStandell Amplifiers社の創設者であるBob Crook氏と1968年にStandellのブースへ行ったときに交わした会話を良く覚えていると言います。「Crook氏は厳格な面持ちで率直に“アンプ業界にはもう既に多すぎるくらいの人々がいる。悪いことは言わないから深入りする前に止めておきなさい。”と言いました。しかしご覧の通り、私はCrook氏のアドバイスを聞きませんでした。今は本当にそのアドバイスを聞かなくてよかったと思います。今日この業界に参入するには、まず飛びぬけて能力がある必要があると思います。そして市場の流れをよく掴み、また大胆に人とは違うことを行う勇気をもっている必要があります。」Hartley氏は続けます。「今日、企業間の競争は以前に比べて非常に厳しい状況に置かれています。1965年当時はアンプを製造しているメーカーは少数でしたし、ましてやPA機材を製造しているメーカーはもっと少なかったと思います。現在では文字通り何百ものメーカーがギターを製造し、恐らく何千ものメーカーがアンプやPA機器等を製造しています。流通技術も変わり、業界自体も真空管アンプの歴史を辿りながら、デジタル技術に向かって進んでいます。今日の市場の中で他よりも前に進みたいと思ったら大胆な独創性が必要になりますし、また起業したばかりの時はかなりの苦労を強いられると思います。中国とインターネットが世界を完全に変えました。人々はただで音楽やソフトを手に入れ、どこよりも低い売価を求めます。製品の性能が素晴らしいことは当然の事、サポートの質にまで非常に大きな期待をしています。これら全ての要素を低価格で提供するということはPeavey社のような相当な資産を持ち、負債がない会社にとってさえ非常に困難なことなのです。」
 またHartley氏は「我々のこれからの経営方針についてですが、現在Peavey社は今まで以上に将来に目を向けています。」と非常に力強く言います。「我々は数多くの“業界初”を開拓してきたという事実を誇りに思う一方、我々の向かう先にはその経験を生かしさらに前へ進まなくてはいけない未墾の地が広がっています。私は決して今までに我々が達成してきた事全てに満足しているわけではないのです。」
またHartley氏は「我々のこれからの経営方針についてですが、現在Peavey社は今まで以上に将来に目を向けています。」と非常に力強く言います。「我々は数多くの“業界初”を開拓してきたという事実を誇りに思う一方、我々の向かう先にはその経験を生かしさらに前へ進まなくてはいけない未墾の地が広がっています。私は決して今までに我々が達成してきた事全てに満足しているわけではないのです。」
何故Hartley氏は今尚、貪欲に自分達を高めようとするモチベーションを維持することができるのでしょう?Hartley氏はこの質問に対し、「私がこの業界にいる理由はただ一つを除いてありません。それは単に私が音楽を愛している、というだけのことなのです。」ときっぱり答えてくれました。
mondo dr誌 2005年5/6月号