1984年にクリフ・キャッスル氏がとある楽器店のオーナーをしている知り合いに、新しいマイクのブランドを設立すると打ち明けた際、その知り合いに「アイディアは良いけどこの店で売ろうなんて考えないでくれよ。一流メーカーのマイクと対等に張り合おうなんて絶対無理だよ。」と言われました。実際のところキャッスル氏は当時、誰も音楽産業でベンチャー企業が成功するなどとは考えていなかったと言います。しかしながらキャッスル氏はフレッド・ビージェイ氏と共に日本のマイク製造会社の正規代理店として契約を交わし、AUDIXというブランド名で世界各国に販売を開始しました。
当初、業界自体のAUDIXに対する反応は非常に懐疑的なものでした。AUDIXがまず販売を開始した最初の製品は日本の工場に在庫があったボーカルマイクでした。品質自体は特に問題はありませんでしたが、実際に市場に出ている有名なマイクと比べるとAUDIXにとって栄光への道は長く険しいものであることは明らかでした。
「最初は本当に散々でした。しかし私達は長期的に物事を考えていましたし、フレッドが製品デザインにかなりの自信を持っていましたので、一年も経たない内に日本の工場に世界のトップブランドに対抗できるような製品を製作するように依頼しました。」とキャッスル氏は語ります。
1986年にAUDIXは最初のプロ仕様マイクOM1を発表しました。OM1は雑誌のレビューでも高く評価され、Beach Boys等の著名なミュージシャンからも支持されました。また、新しい製品にオープンな小規模の販売店の多くが以下の3つを理由にAUDIX製品の取扱いを開始しました。
1. 製品のクオリティが高かった為。
2. 市場にAUDIX製品がそれほど出回っていなかった為、先だって利益をあげることができた為。
3. キャッスル氏の情熱と販売店に製品を試してもらうことに努力を惜しまなかった為。
それでもOM1は容易に販売することができませんでした。
「OM1はSM58よりも音質的にもフィードバックに対しても優れていると思いましたし、OM1はグリルボール、プローブキャップの両方の仕様から選択して購入できた為、当時のマイクとしてはボーカル用、楽器用として併用することが可能でこれは画期的でした。また数多くのエンジニアがSM58よりもOM1の音質を気に入ってくれました。しかしOM1はSM58よりも値段が高く、その上SM58の持つネームバリューは私の想像を越えたもので、例えるとすれば"コーラ"や"クリネックス"のマイクバージョンとも言えるほど浸透していたのです。もし私達がSM58の2倍性能の良い製品を半額で提供したとしても、SM58に勝つことは非常に困難だと悟りました。AUDIXの次の製品であるOM2を発表する頃にはSM58ではなく、SENNHEISERやAKG、又はBEYER DYNAMICS等のヨーロッパ高級マイクメーカーの製品に対抗することが得策だと考えたのです。」と、キャッスル氏は当時を振り返ります。
サンフランシスコ育ちのクリフ・キャッスル氏は1960年代後半にカリフォルニア大学バークリー校を卒業後、ベイエリアを中心にベースプレーヤーとして生計を立てていました。週に6日演奏し、経済的に余裕のある生活を送っていましたが、夢にまで見たロックスターになることが現実的ではないことを悟った時、他のもっと安定した職業に就くことを考え始めました。1981年にキャッスル氏はサンフランシスコ州立大学で会計学と放送芸術学を学んだフレッド・ビージェイ氏と出会いました。「フレッドは技術的なことが好きで実際に舞台裏で仕事をしていましたし、私はセールスが好きで人とも要領良く接することができましたので相性は非常に良かったと思います。またバンドのリーダーをやっていたことが結果的に様々な企業家的なテクニック、特に物事を肯定的に考えることや将来役に立つ人と上手くコミニケーションする方法を学ぶことができたと思います。」とキャッスル氏は言います。この新しい二人組は様々な製品のアイディアを練り実験を繰り返し、最終的にカリフォルニアに1部屋を借りマイクの製造・販売にたどり着きました。
AUDIXのマイクは小売店市場に先駆け、プロ音響市場で認知されました。これは直接消費者をターゲットにするのではなく、音響設備会社、ミュージシャン、音響機器販売店等を中心に積極的に展開していくというAUDIX創立以来のポリシーが受け入れられた何よりの証拠です。「私は販売店のセールススタッフが最もマイクのセールスに影響を与えると固く信じていましたし、今もそう考えています。私どもは良い製品を良いブランド名のもと販売しています。また販売店とも非常に良い関係を保つように努力もしています。ですから販売店に私どもの製品をどのように売れば売上が上がるということを教えてあげればよいのです。」
それでも「創立後5年間のAUDIXの売上は好ましいものではありませんでした。ほとんどの仕事を私達二人でこなしましたし、毎日本当に長い時間働きました。私達は負けず嫌いですので、絶対に成功すると心に決めていたのです。」
キャッスル氏は、AUDIXを経営するにあたり、まず全ての販売店にマニュアル化された飛行機の自動操縦的なやり方でマイクを販売するのをまず止めなければならないと考えていました。ビージェイ氏が製品のデザインに専念する一方、キャッスル氏は代理店のネットワークを築き、個人的にも多くの販売店を訪問しました。彼の目指したのは、AUDIXのマイクは非常に優れた品質を持っていると店員はもとより、消費者に認知してもらうことでした。ふと、マイクの実演販売を行うメーカーは今まであっただろうか?と思い付いたと、キャッスル氏は当時を振り返ります。「実際、自分が売っているマイクの品質がどれほど優れているかがわかっているディーラーはそれほど多くはないと思ったのです。ですからデモ用にマイクを作って販売店に設置すれば、お客様にもAUDIX製のマイクと他社製のマイクの違いが分かって頂けるでしょう。合言葉は"論より証拠" です。」この単純な手法はそれから長い間、非常に有効な手段として活用され、トレードショーという大舞台においてもAUDIXは他の大手マイクメーカー製マイクに対抗して、堂々とデモを行いました。
「私が最も気を使ったことは、大切なのはデモンストレーションを行っている本人がどうデモの進行状況を的確に把握しているかということです。お客様に2種類のマイクを持たせてどちらがいい音か選んで頂くことよりも、セールスマンがデモを行う際にマイクの本来の機能からはなれて、ハンドリングノイズ、オフアクシスリジェクション、SPL等のスペック面を見て頂くことが重要です。そうすることでAUDIX製マイクの優れている点をお見せすることが出来ますし、デモの間中セールスマンの声を様々なマイクを通して聞いてきているわけですから、デモの終盤になればお客様もAUDIX製マイクの音は非常に澄んでいて、フラットなレスポンスを持つことを納得して頂けると思います。つまるところデモを制する者が売上を伸ばす、これは現在に至っても変わらぬ鉄則です。」
キャッスル氏がデモ革命を始めてから1年後、ビージェイ氏と合意で AUDIX社の製造の拠点をアメリカに移し、製品の開発を自らの手元に置きました。この決定はAUDIX社の行く末を決める大きなターニングポイントとなったのです。
「最初は間違えだらけでスクラップの山が積もっていくだけでしたので、命取りになるかと思いました。」とキャッスル氏は言います。しかし試行錯誤の上、ビージェイ氏がカプセル同士を接続する技術を開発し、それによりAUDIX製マイクのパフォーマンスにも磨きがかかったのです。
この発明はVLM(very low mass)テクノロジーと呼ばれ、カプセル内の超軽量ダイアフラムのことを意味します。「VLMのおかげで、ダイアフラムのレスポンスが飛躍的に向上しました。」とキャッスル氏は説明する。「この発明により音を正確、かつ自然に捉えることが可能になりました。」
それから1年も経たないうちに、ビージェイ氏はOM3とOM5を開発しました。OM3とOM5はどちらもユニークな外観を持ち、非常に高性能スペックを誇る製品で、これらが会社の将来を決定付けることになったのです。
また、ポップミュージック史における変革もビージェイ氏の発明品を後押ししました。シアトルを拠点としたグランジ・ミュージックがポップミュージックシーンに浮上してきたのです。「当時Nirvana, Pearl Jam, Soundgarden などはただの悪ガキのロックンロール・バンドとしか見られなくて、音楽業界自体では大して注目されていなかったのです。」とキャッスル氏は当時を振り返り言います。しかし、何度もL.A.に行くうちに、キャッスル氏はRed Hot Chili Peppers等のパワフルなバンドサウンドを手がけるラットサウンドのオーナー、デイヴ・ラット氏と出会いAUDIX社の最新試作品、OM7を見てもらいました。「デイヴは非常に驚いていましたよ。OM7の方が、今まで使ってきたマイクより音質にしても、フィードバックに対しても数段良い製品でしたからね。彼が手がけてきたバンドはどれも大音量で演奏していましたから、モニターとのフィードバックが少しでも改善できることが、彼にとっては非常に大きいかったのでしょう。」と彼は懐かしそうに語る。その時から、デイヴはこの手のバンドのリードヴォーカルにOM7を使用してみることにしました。その結果どのバンドのサウンドエンジニアもOM7の素晴らしさを認めてくれたのです。OM7のうわさは業界を駆け巡り、グランジミュージックはついに音楽業界のメインストリームに到達し、1993年10月号のTime誌の表紙をOM7にシャウトするPearl Jamのエディー・ヴェッターが飾りました。
また同じ頃、あるサウンドエンジニアがまだ無名だったアラニス・モリセットのツアーで生じたフィードバックの問題に関してAUDIX社の意見を求めて来たので、キャッスル氏はマイクを数機種選んで送った結果、その中からモリセットはOM5を手にし、それ以後OM5を愛用しています。「彼女はOM5なしでは歌いません。OM5は彼女のシグネチャ―モデルのような物ですからね。」とキャッスル氏は言います。
始めの数年間、AUDIXには譲れない1つのポリシーがありました。それは「自社の製品をアーティストとのエンドースメント用に無料で提供しない」ということです。このポリシーは乏しい資本に端を発した苦肉の策ではありましたが、この為に莫大なプロモーション予算を許されていた他社にくらべて、宣伝に関しては大きく出遅れることになりました。しかしながら、それでもAUDIXの製品は確実に浸透していき、トップアーティストがディスカウント抜きの全額を支払い、さらに宣伝までしてくれるようになっていったのです。AUDIXがエンドースをしてあげられない時に、アラニス・モリセット、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ他、様々なグランジバンドに加え、Blink182、ジョージ・ストレイト、クロスビー・スティルズ&ナッシュ、ボニー・レイト、ブルース・スプリングスティーンを含むAUDIXのユーザー達みんながマイクを買ってくれたのです。
OM5を発売後OM7に至るまでの間は、AUDIXにとって非常に大きな弾みになりました。AUDIXはMTVの"Unplugged"や深夜の人気トークショーのエンジニアとの関係を築き上げ「TVをつければ、必ずAUDIXのマイクが映っていました。そこにAUDIXのマイクがニルバーナ、サウンドガーデン、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、パールジャムやスマッシング・パンプキンズ等の有名バンドと共に登場するのです。最高のコマーシャルでした。本当にエキサイティングな時代だったと今でも思います。本当に今までの苦労が実った、と実感しましたし、それがブラウン管を通して実際に見えましたから実に気分は良かったですね。」とキャッスル氏は振り返ります。
OM7が世に出たのと同じ1991年AUDIX社は、カリフォルニアからオレゴンのテュアラティンに移りました。その後会社の成長に伴い、2度の引越しを経て、1998年にようやくポートランドの南東13マイル、同じオレゴンのウィルソンという場所に78,000平方フィートもの施設に落ち着きました。
ビージェイ氏とキャッスル氏は、駆け出しの頃から絶対にAUDIX社を品質の良い、主にハイエンド製品のメーカーにすると決めていましたので、アメリカ本土に工場を持つこと自体はその後に来る苦労を思えば、まだ半分といったところと言えます。本当の苦労、つまり後の半分は、労働にかかるコストを削減しつつ品質の向上、安定性を図るためテクノロジーの分野に大々的に投資を行ったことです。過去数年にもわたりAUDIX社のマネージメント、つまりフレッド・ビージェイ氏(製品デザイン&生産ディレクター)、シンディー・ビージェイ氏(CFO)、そしてキャッスル氏(セールス&マーケティング・ディレクター)の3者が利益を1流の生産工場の建設に投資したのです。
ウィルソンにあるAUDIX本社の最先端の機械工場はメタルとプラスティックのパーツを加工する2つのターニングセンターが特徴になっています。これらはオートマチックに動作する道具や部品用の製品、試作品等を削るセンターと、研磨、ラッピング、そして切断機などを集めたセンターの2つからなり、工場の主力は8軸で形成される加工センターです。「一般的なフライス盤は、工具自体を回してパーツは動かさないのですが、旋盤の場合は逆にパーツが回って工具が止まっています。しかし、我々が使用している機械は毎分4800回転し、パーツと道具の双方が回転します。支軸とタレットが2つずつ、それに付随する60個もの道具全てが同時に働いて8軸が動くことになる。これがあれば、穴をあけ、打つ、切る等の動作が可能になり、さらにD6やSCX25のような複雑なデザインも作ることが出来るのです。機械とそれにかかる諸経費のことを考慮しても、D6を外注したらマイクのボディだけでもゆうにディーラー価格を超えてしまいます。」とキャッスル氏は説明する。
コンデンサーマイクのように生産量が低い商品なら、モデルナンバーやシリアルナンバーを手で刻むことも出来るのですが、大量生産のマイクは自動刻印と動作テストをIBMのロボットやレーザー、そしてオーディオ分析器が備わった工場で行っています。
AUDIXは細部にまで気を配った独自の設備を駆使し、常にマイクロフォンの開発と生産の限界に打ち勝つことを目標にしています。例えば、空気の温度や気圧を調整することが可能な研究室の開発や、独自に開発したノリ付けロボットシステムを導入しています。まずロボットがコイルを磁気が発生している隙間に正確に置き、ごく微量のUV処理済のノリ付け作業をし、あとは高性能拡大ビデオカメラを通してモニターするのです。「ダイアフラムに使うノリの量を調節することで、ダイアフラムをできるだけ軽くしているのです。」とキャッスル氏は言います。マイクのダイアフラムを帯電するのに使われる典型的な磁石とAUDIXで使用している物では4倍程大きく、8倍程強い、磁束メーターつきのコンピューター制御システムを使用し、リアルタイムで帯電力をモニターしています。「このシステムを導入している会社はおそらく他にないと思います。」とキャッスル氏は説明します。
パーツが完成すると生産部で組み立て、加工されます。しかし典型的な組み立て作業を避ける為、AUDIXでは1本のマイクを作るにあたって、誰もがどの行程でもこなせるよう技術のクロストレーニングをしています。また複雑なテスト機材を装備した無響室は、製品に加えられた新しいパーツやモデルチェンジ等による仕様変更そして実験行程の如何なる変化をも測定するために取り入れられています。さらに6,300平方フィートに及ぶライブサウンド用ルーム兼スタジオは、商品開発と試験の要となっています。
これら先端技術への投資は品質のコントロールにも役立っていると言えます。「R&Dと生産の両方のレベルを試すことには、本当に熱心でした。」とキャッスル氏は言います。「AUDIX製品の全モデルに対して、リファレンス・マイクをさだめ、それを基準にレスポンスの頻度、位相、近接効果と指向性をテストしています。我社のマイクほど硬度と耐性に優れた物は国内の市場どこを探しても無いのではないかと思っているほどです。」
最先端の技術と、その完全に制御されたクオリティコントロールはAUDIXを飛躍的に成長させ、マーケットのトップに持ち上げました。
初期のヒット製品であるOMシリーズのヴォーカルマイクに続いて、Dシリーズのドラムマイク、DPシリーズのドラムパック、さらにはバスドラムマイクの部門では業界のスタンダードとまでなったD6と、次々に新製品を生み出してきました。その他にも、手頃な価格に設定されたフュージョンシリーズのドラムパックや多目的用マイクのI-5の他、リードヴォーカル、バックヴォーカル、木管楽器を始め、他のアコースティック楽器にも相性が良いハイエンドマイク、SCX-25A"キャンディ型"ラージ・ダイアフラム・コンデンサー等非常に豊富な製品ラインナップを取り揃えています。また"マイクロ"と言う名の新シリーズのミニ・コンデンサーマイクも注目を集めています。AUDIXは最近ワイヤレス製品ラインにも力を注いでおり、益々その幅を広げています。
またAUDIXは現在ドラマー用の新製品にターゲットを置いており、それは、ビージェイ氏とキャッスル氏のオーディオ市場に対する考え方が非常に良く反映されています。
「Dシリーズが出るまでは、ドラマーやサウンドエンジニアたちはあらゆる楽器に対して1~2種類のマイクですませていたのですが、大体ShureのSM57とSennheiserの421を使っていたと思います。私達はそれらよりももっと用途を絞った、もっと良いパフォーマンスのできる幅広い製品を提供したかったのです。Dシリーズは元々ドラムの為だけに作られた製品ではなく、他の楽器にも適するとされていました。しかしドラム・パーカッション向けにDシリーズを売り込むうちにハイエンドのドラムマイクのパッケージにも需要があることを販売店が気づいてくれたのです。市場によっては、D4がバスドラムにしか向かないと考えられていたのですが、キックドラムマイクの大型版を作って欲しいと言ってくるエンジニアやアーティストもいましたし、それが元になりD6ができたのです。D6も生産がはじまって3年、市場に出回って2年、今やビートするマイクとして幅広く認められてきています。」
ドラマーなどは、マイクロフォン産業にとって最高の客なのにどうしてこの好条件が今まで手を付けられずに来たのだろうか。「ステージでマイクを一番使う楽器は何だかご存知ですか?ドラムですよ。ドラマーはステージに立つ誰よりもずっと楽器にお金をかけるのです。そして満足の行く音が出来上がった際は良質のマイクが欲しくなるのです。観客に聞かせたい音を再生するためにです。」とキャッスル氏は指摘します。
Dシリーズが市場まかせとなり、他の商品がエンジニアやアーティストの需要に合わせて即刻対応していく中、キャッスル氏はAUDIX社の最も革新的な、しかも売れ筋の商品はフレッド氏の独創性と人のやらないことをやりたいという願望から生まれた製品だったと明かしました。「OM7、Dシリーズ、VX10、SCX25、マイクロシリーズこれらの全てが、彼の独創性の産物でした。市場がこれらの商品を受け入れてくれるかどうかってことにはあまりこだわらなかったと思います。これらひとつひとつが個性を持ち、独り立ちして行き、業界の新しいツールとして開発されていったのです。」
またキャッスル氏は続けて「マイクロシリーズ、M1244、M1245、そしてM1290を例に挙げましょう。ある日フレッドがタバコぐらいしかない小さなマイクを持って私のオフィスにやって来たのです。みんな声を揃えて『かわいいね、何に使うの?』と聞いたのを覚えていますよ。その時フレッドは『プリアンプと取り外し可能なケーブルをいっしょにした、世界で一番小さいコンデンサーマイクロフォンを作る』と言っていました。エンジニアとして物の価値を見極めるセンスがありましたし、良いとなったら商品的可能性はそっちのけで開発に打ち込むのです。それがベータテストに入るか入らないかという時には既に、マイクロは他のマイクよりはるかに優れていて膨大な応用範囲があるということがわかりきっていました。マイクロは、ライブとPAマーケットのどちらでも、凄い成功を収めることが出来たのです。」
最新の製品i-5の場合は状況が少々異なっていました。ある意味、OM1で市場参入を試みた時代、「ダビデとゴリアテの戦い」を強いられた、あの頃に経験したようなことをもう一度味わうことになるかも知れない、とキャッスル氏は正直に思っていたようです。
「40年あまりの間、多目的マイクSM57に対抗しようなんて人はいなかったのです。SM58になら誰でもチャレンジしたのですが、SM57は無敵でした。そこでAUDIXが名乗りをあげたのです。最近のヒット商品のほとんどが楽器向けマイクの域に限られていましたので、丁度良い機会だったのかもしれないと思います。確かにドラマーは楽器マイク市場の大部分を占めていましたが、このi-5は別にドラマーだけにターゲットを絞った商品ではなかったのです。ライブであろうがスタジオであろうが、何の楽器に使うのであろうがかまわない、ともかくマイクを使う人間にアピールしようとして考え出された製品なのです。」
マイク市場においてAUDIXがこれだけには手を出すまいと決めていたのは、超低価格コンデンサーの部門でした。コンデンサーマイクやエレクトレッツマイクは高品質のダイナミックマイクを作るよりは簡単で、生産に必要な設備はずっと低価格ですんだからです。メーカーの多くは(主に中国のメーカーですが)自分達もこれに便乗できればと、絶好のチャンスに飛びついてきました。キャッスル氏は「コンデンサーマイクを作る企業は多いのに、ダイナミックを作る企業は、片手ほどしかない。これにはそれなりの理由があると思います。」もちろんAUDIXにもこの手の製品がいくつかあります。しかし、もっと利益の上がる、パフォーマンスの高い製品を開発することに力を注いでいるのです。
「20年前、いや、10年前でもダイアフラムにゴールドスパッタ加工を施されたカーディオイド・コンデンサーマイクがショックマウントとケース付きで、$59.00で買えるようになるなんて、逆立ちしたって考えつきませんでした。中国から入ってくる安いマイクが、価格だけでなく販売店のマージンまでも下げてしまったのです。一度供給者が『低価格競争』に加わってしまうと、もう元には戻れない。AUDIXは、長年かけて品質において信用を築いてきましたし、これからも引き続き『良い物を安く』供給することで、固定客と信頼を得ていきたいと思っています。しまいには販売店が儲かるか儲からないかも我々の腕にかかっているというわけですね。」とキャッスル氏は言います。
『マイク販売において一番大きな影響力』からの勝利へのサポートは、年々受けやすくなってきたとキャッスル氏は言います。「要するに我々の製品を使っている店員がたくさんいるって言うことです。誰だって自分の良く知っている商品を売るのは楽じゃないですか?」AUDIXは販売店の従業員向けに当別優待プログラムを作成し、優秀な店員にはAUDIX製品をボーナスとして獲得できるようにしています。また販売店には公平な競争条件で、AUDIX製マイクを売るようにも念を押してきました。MAP(最低広告価格)を勧め、それ以下で宣伝しないように指導もしています。「我々はどの販売店にも均等に、貢献したものには、ディスカウント率を上げ収益率がアップするようにしています。販売店が商品を売らなければ当然販売店の利益は上がりませんが、同様にAUDIXの利益も上がらないのです。ですから私達は全ての販売店がその規模に関わらず成功することを望んでいるのです。」
フレッド・ビージェイ氏とクリフ・キャッスル氏が、周りの予測も良きアドバイスもみんなはねつけて出発した、あの時から20年。今、キャッスルはしっかりとした、ずっと見通しのよい場に立って、AUDIX社の明るい未来を見ています。「まず、私達のオフィスに入っていただければ、誰でも何か特別なことをやっているな、ということを感じると思います。」と彼は言います。「ここで働く者は皆、自分の仕事にプライドを持ち、楽しんでいます。必ずしも大きくならなくて良いのです。ただ"ベスト"になりたい。これからも、今までと全く同じようにやっていきます。違いの分かる、目の肥えたアーティストやエンジニアに優れた製品を届け、良質の、信頼できるハイパフォーマンスの製品を、安く送り出してブランドの知名度を高め、固定客を増やしていきたい。これから先の20年がどのようなものになるか、私には予測が出来ませんが、創立当時の"Performance Is Everything(パフォーマンスが全て)"というスローガンを追いかけていることだけは確かなのです。」